二二.追跡者

「おい、朝だぞ。若者がだらだらと惰眠を貪るな」


 ナイトレインの声で目が覚める。山登りの疲れもあって結局昨日はすぐに眠ってしまった。人数分の寝室などあるはずもないので、広間のソファーで寝ることになったが、牢獄のベッドとは名ばかりのベンチに比べればはるかにマシだ。


「一気に四人も増えたのではすぐに食料が足りなくなる。フェルもいることだし一緒に狩りでもしてこい」


「え、でも俺そういうのしたことなくて……」


「習うより慣れろだ。まあ荷物持ちくらいにはなるだろう」


 確かに家にいてもできることがあるわけではない。少々不安だが行くしかないか。


「ちなみにフェルはどこに?」


「……多分墓の方だろう。準備ができたら声をかけろ」


 ナイトレインはそれだけ言って去っていった。




 墓地と言っても綺麗に整備されているので特に暗い印象は受けない。むしろ朝の清々しい空気と相まって、どこかの庭園にやってきたかのような錯覚を覚える。その中に一つだけ、墓の前に座り込んでいる人影が見える。


「おはよう、フェル」


「ん」


 フェルは墓の前で尻尾の毛づくろいをしている。帽子も今はつけていない。リラックスしすぎな気もするが、フェルにとっては母親の前なのだ。今くらいはありのままの姿でいさせてあげた方が良いだろう。


「ナイトレインに狩りに行ってこいって言われた」


「やれやれ、人使いの荒いおっさんだこと」


「でも俺で大丈夫なのか? 全然自信ないけど」


「リタはまだ寝てるだろうし、ラヴは……あんまりそういうことをさせない方がいいと思う」


「ん? 料理はともかく、狩りならラヴにもできそうじゃないか?」


「あー、そういうことじゃなくて……まあいいや。とっとと行こう」


 フェルの言わんとすることは俺にはよくわからない。いい加減ホムンクルスについてちゃんと学ぶべきだろうか。それともラヴ個人に関する話だろうか。どちらにしてもいずれ詳しい話を聞いておいた方が良いかもしれない。そして俺たちが今後どうしていくかについても。






「リタ、起きて」


「んぅ……もうちょっとだけ……」


「フェルとクロは狩りに行ってる。僕たちも仕事しないと怒られる」


「ああ、眩しい……。どうして今日も晴れなんだ……」


「晴れるのはいいこと。そう教わった」


「私にとってはそうではないよ……。ああ、毛布を返して……!」


「ダメ、起きて」


「ラヴがこんな酷いことをするなんて……私は悲しいよ」


「誰かのために働くのは大切なこと。そう教わった」


「立派な師匠だ。ぜひお会いしてみたいよ」


「もう死んでる。だから会えない」


「……そうかい。それは残念だね」


 窓からは今日も忌々しい朝陽が頼んでもいないのに降り注いでいる。牢獄の暗い環境に慣れされたせいか、嫌光体質けんこうたいしつも悪化してしまったようだ。前は日中であっても直接日の当たらない場所ならどうということはなかったのだけれど。


 身支度を済ませてラヴと広間に行くが、ナイトレインの姿はない。墓地の方にいるのだろうか。薪割のような屋外作業はできれば避けたいけれど、家を貸してもらっている以上やれと言われれば従うしかない。その時、正面玄関の方で音がした。ナイトレインがどこかに出かけたのかと思ったが、そこにいたのは見覚えのある少年だった。


「おや、君は昨日の」


「あ」


 少年はそう言ったきり黙ってしまった。あまりナイトレインのことを好いていないようだったが、いったいどうしたのだろう。人間の子どもと話したことなんてほとんどないが、ラヴに任せるわけにもいかない。なるべく警戒されないように優しい微笑みを作ってみせる。


「どうしたのかな? 何か用事でもあるのかい?」


「……姉ちゃんは?」


「ああ、フェルに会いに来たんだね。あいにく今は出かけているよ」


「いつ帰ってくる?」


「それは……ちょっとわからないな。すまないね」


 多くの獣人は自分たちを迫害する人間を憎んでいる。それはフェルも同じだと思っていた。実際、牢獄での生活では何度となく王侯貴族や兵士たちに虐げられ、そのたびにフェルは怒り、人間を口汚く罵ることもあった。それでも彼女は、人間の子どもと笑い、ナイトレインを恩人だと言った。あっけらかんとしているように見えて、強い二面性を隠し持っている。それがフェルという人だ。どちらが彼女の本音なのかはまだ私にもわからない。


「……ねえ、名前なんていうの?」


「私はリタ・ブランドール。きゅう……」


「きゅう?」


「……急に来たから驚いてしまったよ、はは」


 その時、不意に何かの気配を感じた。これは……物理的なものではない。魔力だ。明らかに危険な、異常ともいえるほど強い魔力を感じる。この子が発しているのではない、これは——


「風よ、驕り、昂ぶり、怒り狂い、万象を切り刻め」


「皆、避けろ!」


 少年の手を取り、家の中へ転がるように逃げ込む。その直後、竜巻のような豪風が吹き荒れ、ドアや壁を木端微塵に吹き飛ばしていく。そして、一瞬にして完全に破壊された玄関から、見覚えのある男が家の中へ入って来た。


「み、見つけたぞ、吸血鬼ィ……!」


 それは間違いなくあの日戦った魔術師の男だ。その目は血走り、どこかやつれたようにも見える。まさか後をつけられていたというのか。しかしそれにしては様子が変だ。


「……お前一人か? 一度敗れたというのに、学ばない奴だ」


「黙れ! き、貴様のせいで私の人生は滅茶苦茶だ……! 私はずっと正しいことをしてきたのに、なぜ、なぜ……!」


 なるほど、そういうことか。おそらく私に敗れた責任を問われ、城を追放されたのだろう。この男の感知力ならば私の残した魔力の残滓をたどることも不可能ではないだろうが、こんな場所まで追いかけてくるとは寒気を感じるほどの執念だ。


 男の魔力が再び高まっていくのを感じる。今は昼間だし、血も飲んでいない。正直言ってまともに戦えば勝ち目はない。このままでは、まずい。


「雷よ、空を駆け、彼の者を撃て」


 ラヴがそう唱えるのが聞こえた。その瞬間白い閃光がほとばしり、視界を眩ませる。だが男は素早く距離を取り攻撃をかわした。ラヴの使う雷の魔導術は威力も速さもあるが、その分射程が短い。男はその特性をちゃんと理解しているようだった。


「風よ、驕り、昂ぶり、怒り狂い、彼の者を切り刻め!」


「雷よ、空を駆け、地を焦がし、彼の者を撃て」


 豪風と閃光が激しくぶつかり合い、あたり一面に炸裂する。風の刃が屋根に穴を開け、雷が床を焼き焦がす。このまま戦いを続ければどこに被害が出るかわかったものではない。


「何が起こってんだよ! なんだよこれ!」


 少年は泣きそうな顔でそう叫んでいる。見ればラヴも腕から血を流している。やはり魔法では男の方が上だ。今の私ではまともな戦力にはならない。そうである以上、できることは一つしかない。


「ラヴ、少年を頼む!」


 家を飛び出し、村の外へと走る。


「はぁ、はぁ、逃がさんぞ、吸血鬼ィ!」


 思った通り男の狙いはあくまで私らしい。とにかくこいつを村から引き離さなければ。暖かい日の光が全身を照らす。軽い目まいを感じつつもひたすらに走り続けた。

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