二十.母と子

「……もう亡くなっていたんだね」


「ああ……。それまでは森の獣を狩って暮らしてたんだけどね。ある日母さんは高熱を出して倒れた。あたしじゃどうすることもできなかったけど、医者に見せれば正体がばれてしまうかもしれない。そうなればどのみち終わりだ。あたしは……結局何もできなかった」


 フェルは墓前に跪いたまま、静かに語り続ける。これがこの世界の獣人の現実なのだ。たとえ奴隷でなくとも、その人生に自由などない。ただじっと息を潜めて、辛うじて日々を生きている。


「母さんは死んだ。せめてちゃんと葬ってあげたかった。でも葬儀だって同じだ。正体がばれてしまう可能性が高い。だから自分一人でやろうと思ったんだ。それでナイトレインに埋葬の仕方を教わりに行った」


「なるほど。それで助けてもらったのか」


「あいつはすぐにあたしが人間じゃないと見抜いた。もしかしたら前から勘づいていたのかもしれない。だけど村人の一人として、この墓地に母さんを葬ってくれた。……あたしが村を出た後も墓の管理をしてくれてたらしい」


 そう言ってフェルは白い墓石を撫でる。他の墓も荒れている様子はなく、きれいに整えられている。


「あの男は間違いなく人間。なぜ人狼を差別しないのか、理由がわからない」


「葬儀の時に言ってた。死は全ての命に平等に訪れる。だから安らかな眠りも、全ての命に平等であるべきだって」


「……僕にはよくわからない。生命はただの現象、死んでしまえばそれで終わり」


「確かにそうかもな。でも次の命へ受け継がれるものもある。この狼の血とダスターローズって名前もそうだ。だからあたしはそれをさらに繋ぐために旅に出た。まあ、途中でしくじって捕まっちまったけどな」


「ん? そこで旅に出るのはなんでだ?」


「なんでって、そりゃ子を残すための相手探しだよ。人間とやるわけにはいかないだろ?」


「ちょ、ちょっと! フェル!」


「あーはいはい。挨拶もすんだし中に戻ろう」


「あ、ああ」


 どうもフェルはその手の話題にもさほど抵抗はないらしい。しかし同性ならまだしも異性からそういう発言が飛び出すとさすがに反応に困る。逆にリタはかなりご立腹のようだ。


「まったくフェルといいラヴといい、どうしてこうなんだ……。以前ならまだしも今はクロだっているというのに……」


 リタはリタでなかなか苦労をしているようだ。とはいえ俺が口を出すと余計に事態がこじれかねない。その辺は女性陣に任せておくしかないだろう。




 フェルによるとナイトレインは独身で、この葬儀場兼自宅に一人で住んでいるらしい。従業員も雇っておらず全ての作業を自分一人でこなしているようだ。このくらいの小さな村ならそうそう死人が出るわけでもないので、それでやっていけるのだろう。特に尊敬されているわけでもないが、村人たちからは一目置かれている、とのことだった。


 俺たちがそんな話を聞きながら広間でくつろいでいると、奥の部屋から音もなくナイトレインが現れた。葬儀屋という職業柄もあるだろうが、出会ったときからどことなくただ者でないような印象を受ける。


「ここは私の家だし、お前たちは客ではない。泊めてはやるが、その分働いてもらうぞ」


「それは構わないけどさ、何をさせたいんだ?」


「先日ホリックのとこのバカ息子がイノシシを三匹も狩ってきた。おまけにすぐには食いきれないから保管しておいてほしいと言って、冷暗所に勝手に入れていきやがった。お嬢さん方であれを解体して調理しといてくれ。フェルがいればどうにかなるだろう」


「お、イノシシか。最近は保存食ばっかだったからな。久々にひと暴れするか」


「厨房では暴れないで欲しいけどね……。頼んだよ、フェル」


「えーと、俺はどうすれば?」


「お前さんは私と魔力炉の番だ」


「魔力炉……?」


「なんだ、魔力炉も知らんのか」


「すみません……その、記憶喪失なもので……」


「魔力炉は熱を魔力に変換する装置。こういった僻地での魔力供給によく用いられる」


「僻地で悪かったな。冷暗所は地下、厨房は左の通路の奥、魔力炉はこっちだ」


 魔力炉というのは家庭用の発電機のようなものだろうか。だとしたらここにも一応、魔力文明は存在しているということだ。ひとまずは胸をなでおろす。人間とは贅沢なもので、一度便利さを知ってしまうとなかなかそこから抜け出せなくなる。


 ナイトレインについていくと、墓地の片隅にある小屋にたどり着いた。中には大き目の薪ストーブのようなものがある。おそらくこれが魔力炉だろう。ナイトレインはそこに薪を入れて、さらに棚に置いてあった小瓶の中身を振りかける。油の類かと思ったが少し甘い匂いがする。


「火種よ、踊り舞い、薪を燃やせ」


 これは優男に教わったのと同じ、魔法の基礎とされる魔導術だ。ナイトレインが唱え終わると同時に薪は激しく燃え上がる。今まで見た事がないくらい鮮やかな紅い炎は、それがまさに魔法の炎だということを示している。


「お前さん、何者だ?」


 不意にナイトレインが語りかけてくる。なんと答えたものか。フェルの正体を知っているのなら、こちらも必要以上に警戒することはないだろう。ただ異世界人という概念をこの世界の一般人がすぐに理解できるかはいささか怪しいところだ。俺がどう返すか悩んでいると、ナイトレインは炉の炎を見つめながら静かに話し始めた。


「言いたくないならそれでもかまわん。だが自覚があるかどうかは知らんが、お前さんは明らかに異質だ。人間とも、他の三人とも違う。まるでこの世のものではないような、そんな印象すら受ける」


「……もし、そうだと言ったらどうしますか」


「否定はせんよ。魔法が世間に浸透して久しいが、まだ人間はその全てを解き明かしたわけではない。未知の世界、未知の存在、そういうものと接触するというのも可能性としてはある得るだろう。だが——」


「?」


「お前さんは明らかにいびつでもある。誰に何をされたかは知らんが、気を付けた方が良い」


「気を付ける、というのは具体的に何に?」


「不用意に力を求めんことだ。歪んだ器では注がれたものも同じように歪んでしまう。それだけならまだしもお前さんは異質でもある。もはや何が起こっても不思議ではない。長生きしたいならリスクは避けた方が良い」


「……その」


「まだ何か気になるか」


「……あなたこそ、何者なんですか?」


 明らかにただ者ではないその男は、静かにほほ笑んだ。


「ただの死にぞこないの葬儀屋だよ」

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