十二.夜の空

 その場所はすぐにわかった。青々とした芝生が広がる庭に、クレーターのような巨大な穴が二つ開いている。これが魔法を使った戦い、もし巻き込まれればまず命はないだろう。そしてその大穴の向こう側に、誰かが座り込んでいるのが見える。


「リタ! よかった、無事だったんだな」


 そう言って彼女に近づいてから気づいた。足にひどい怪我をしている。これではまともに歩くこともできないだろう。


「……どうしてここに来たんだい? それにフェルとラヴは? 一緒じゃないのかい?」


「二人は先に行ったよ。……話は聞いた。いざという時は自分を優先するって約束も。だけど君を置いてはいけない」


「……そういうことか」


 リタは喜びも怒りもしなかった。その心情は俺にはわからない。だけどこうして生きてまたリタに会えただけで、ここまで来た意味はあったと思う。


「とにかく早く行こう。なんとかして二人に追い付かないと」


「……悪いけど、足が動かないんだ」


「そうだろうね。大丈夫、背負っていくから」


 腰をかがめて、リタに背を向ける。女の子とそこまで密着することに若干の抵抗はあるが、今はそんなこと言っていられない。数秒の間はあったが、リタは俺の背に体を預けてくれた。見た目通り大した重さではない。全力疾走とはいかないが、小走りほどの速さで城壁を目指す。


「もう追手が来ているかもしれない。……置いていくなら今の内だよ」


「今更そんなこと、できるわけないだろ」


「……君に約束のことを話さなかったのは、君に重荷を背負わせたくなかったからだ。君は異世界の人間、本来ならこんな目に合わなくてすんだ……いわば被害者だ。そんな君を私たちの事情に巻き込んでしまった。そうである以上、君を生きて脱出させるのが私たちの責任だ」


「君は真面目だな。責任なんて感じなくていいのに」


「そういうわけにはいかない。……君は意外といい加減だな。こんな無茶なことをして、もし私が死んでいたらどうする気だったんだい? あの魔術師と鉢合わせていたかもしれないんだよ?」


「その時はその時さ。とにかく君を見捨てるわけにはいかない。あの時リタがいてくれたから、俺はここまで来れたんだ」


 その時、不意にあたりが暗くなった。どうやら庭に設置されていた魔力灯の光が消えたようだ。夜の闇が視界を覆い、進むべき道を閉ざす。


「これは一体……!?」


「おそらく意図的に魔力供給が断たれたんだろう。となるとあの魔術師が倒されたことが向こうにもわかったようだね。きっと敵は近い。あくまで私を連れていくつもりなら急いだ方が良い」


「そうは言ってもこんなに暗いと前が……」


「そのまま前進してくれ。指示は私が出す」


「わ、わかった」


 どうやらリタは夜目が利くらしい。それともこれも魔法の類だろうか。どちらにせよ、おとなしく連れていかれる気になってくれたらしい。これでなおさら敵に捕まるわけにはいかなくなった。足元に気を付けながら小走りを続ける。


「20ライド先に障害物だ。2ライドほど右に避けてくれ」


「ライド? ライドってなんだ!?」


「ああ、そうか……。と、とりあえず右だ」


 どうやら長さの単位が違うらしい。当然と言えば当然だ。人の名前を消すくらいの力があるのなら、そのあたりもちゃんと翻訳しておいて欲しいものだ。


「止まってくれ」


「え、どうしたんだ?」


「……人が近い。少し隠れた方が良い」


「で、でもどこへ」


「一旦下ろしてくれ。こっちだよ」


 リタの体を支えながら、物陰へと移動する。暗くてよくわからないが、大きな石像のような物の陰に隠れているらしい。しばらくすると芝生を踏み分ける何者かの足音が聞こえてきた。息を潜め、その音が通り過ぎるのを待つ。だが願いとは裏腹にその音はどんどん近づいてくる。リタが静かに腕を上げた。周囲の空気がひりつくのがわかる。まさか——


「……フェル!?」


「シッ、静かに。……生きてたんだな、リタ。よかった……」


 その声は間違いなくフェルのものだった。ということはつまり。


「戻ってきたのか、フェル……!」


「あー、まあ……。あたしもリタには世話になったし……。と、とにかく行くぞ」


「あ、待ってくれって。俺一人じゃ暗くて歩けないんだよ」


「……文句を言えた立場じゃないのはわかるけど、もう少し丁寧に運んで欲しいね」


 フェルはリタを軽々と担ぐとずかずかと歩いて行ってしまう。はぐれないようにその背中になんとかついていく。


「でもどうして場所がわかったんだ?」


「匂いだよ。あんたの血の匂いは覚えてたからな。それをたどれば大体の居場所はつかめる」


「ラヴは? 一人で行ったのか?」


「穴の前で待機してくれてる。一人は寂しいから嫌だってさ」


「まったく、それじゃ何のためにあの約束をしたんだか……」


「まあいいじゃないか。今更切り捨てられるような仲でもないだろ」


 そうこうしているうちに城壁の前にたどり着く。ようやく少し闇に眼が慣れてきたのか、穴のそばに立つ人影がわかる。


「ラヴ、全員連れてきたぞ」


「うん。長居は無用、早く行こう」


 穴を潜り抜けると、そこは林の中だった。暗いうえに足場が悪い。移動するのは骨が折れそうだ。


「夜が明ける前にここを抜けて、身を隠せる場所を探す。そうでないと見つかる可能性が高い」


「わかった。……ここまで来たんだ。全員で自由をつかみ取ろう」


 木々の間から夜空に光る星が微かに見える。異世界の名前も知らないその星に、心の中で祈った。

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