星の人

「『星』があるから、風邪なんてひかないと思ってた」

「まさか…そんなことあるわけないでしょ

 たいちょがこれまでかぜひいてない、てならないかぎりは」


 エントランスで軽い案内を受けはしたが、まるで迷路のような居住区だった。傭兵隊の居住区は、以前お邪魔したこともある正規軍側とは比べようもないくらい質素な造りをしている。粗末と呼ぶにはギリギリ品質を保っているあたり分かっててやっているなと推し量れそうだ。

 ようやくたどり着いたの部屋の前まで来ると、聞こえてきたのはそんな会話で。

 聞き馴染みの彼の声は、今は少しばかりくぐもっている。


「あ、先生……」


 軽いノックの後、相変わらず鍵の掛かっていないドアを開けると、その原因が分かった。

 いくつになっても変わらないように見える幼い顔を、大きな白いマスクが覆っている。


「こんにちわ、ニウラシュカ。きみ、やってしまったね」


 私がそう言うと、彼は苦笑いで目元を緩めた。いつも思うけれど、彼は笑うのがとても上手だ。

 誰が見ても、彼のその顔はいる。それ以外に形容のしようがない。なのに、なぜか私はそれに違和感を覚えてしまうのだ。


「わざわざこっちまで来てくれてありがとう。ちょっと油断してた」

「私がここから動かないでと言ったからね。

 往診もやっていると言っているのに、いつもきみは病院に来たがる」

 

 この人はしょっちゅう怪我をして私の小さな病院に来るくせに、体調を崩すことがほとんどない。ましてや風邪など数年に1度くらいしか罹らないのではないだろうか。本当に、きっと人が思うより数倍健康に気をつけてはいるのだ。

 なぜなら───


「覚悟なさい、きみ、あと2日間くらいは熱が下がらないからね」


 一度発症すると、この小さな人物はたやすく重篤化する。

 人一倍気をつけてはいるが、彼はとにかく食べることが出来ない。そもそものところで、マイナスからの出発を余儀なくしている。

 私がそう警告すると、途端に彼は狼狽えた。


「あの…… 来週、参戦予定の作戦が」

「うちのベッドにぶち込むわよ」


 彼の言葉を遮ると、どういうジェスチャーなのか、マスクを抑えながら首を振る。

 そして、ベッドの傍らにもう1人。白い印象の背の高い青年がいた。


「こんにちわ」


 彼はゆっくりとした柔らかい口調で私に挨拶をくれた。ふんわりとした見た目通りのしゃべり方をする人だ。辛うじて整えられた顎の髭が彼の外見を年相応ほどに引き上げているが、これも取っ払ってしまえばかなり印象が変わってしまうだろう。前髪が目深に被ってしまっていても綺麗な顔立ちをしているのが分かる。

 きっと、普通ならばなんてのんびりした人だと思うのだろう。…… 何も思うところが無ければ。

 「はじめまして」と私も返すと、「しってます」と彼は言う。


「たいちょから、よく、はなしを」

「ちょっと、何を話してるのかな、ニウくん」

「ぇぇぇ…… なんでそんなマイナスな方向前提みたいな感じなの」


 ふつうの話だよ、と困りながらマスク越しにニウ君は言う。

 白い彼は、自分が座っていた椅子を私の方へ勧めながら、自身は扉の方へ移動した。

 診察の邪魔にならないところ、ということなのだろうか。


 私は。


 …… 私は、彼に、言いたいことと、言わなければならないことが、ある。



「先生?」


 私があまりにじっと彼を見つめてしまったためか、ニウくんに呼ばれてしまった。

 私はマスクの彼を振り返り、「熱計ろうか」と持っていたバッグをサイドチェストに置いて体温計を取り出した。

 体温計をニウくんに差し出しながら、私は尋ねた。


「熱が出てる間は、柔らかくて消化のいいものを食べて欲しいけど、そういうことできる?

 副隊長さんに頼んでおく? てか、君、このことちゃんと副隊長さんに言っているよね?」

「言ってる言ってる、向こう一週間の仕事は持ってかれてるよ」

「よろしい。三年前に君が風邪を押して事務処理してたことは都度都度言っていくつもりだからね、私」

「あれはその…… うっかり提出期限が迫ってて……

 ええっと、それで、食事はお湯でデロデロにすればいいかな?」

「きみが食べてくれるならいいけど」


 彼が何かごにょごにょと言っていたのが聞こえたけど、優しい私は聞き流すことにした。

 それよりも、控え目に見てもニウくんが確認してきた食事は美味しそうには思えない。

 彼は味音痴ではないようなのだけど、どうも食に対しては栄養以外に求めるところがないようなのだ。

 だから、「もちろん食べるよ」と事も無げに頷く。

 すると、


「あいつが、つくれるんじゃないの」


 ふと扉の方からゆっくりとした声が聞こえた。


「きいてみるよ」


 振り返れば、白い彼がモバイル端末を取り出してどこかへ通話し始めた。

 私はニウくんに「誰のこと」と尋ねると、彼はマスク越しにもなんだか嬉しそうに笑っているのが見えた。


「仲間に料理のうまい奴がいるんだ」


 私はちょっとびっくりしてしまった。

 およそ食に無頓着なニウくんが食事に関してこんなに楽しげに話すのは初めてだろう。

 だが、おそらく彼は私が驚いた理由を料理の美味い奴がいるという方に捉えたのだろう。


「すんごい口が悪いんだけどな」


 と、彼は笑うのだ。あの違和感のあるではない。笑ったのだ。こんな笑顔を見たのはいつぶりだろうか。

 重ねて驚く私は感想の一つも声に出せない。

 そんな私の隣から、白い彼がひょいと顔を出した。


「しかたねーな、ていってたけど、りょうかいしたよ」

「うん、ありがとうな」

「だから、ちゃんとたべてね。あいつ、かなりしっかり、つくってくるはず、だから」

「そう…… だな」


 ニウくんの言ったとおり口の悪そうな返答が来たようだ。更に白い彼の念押しに、ニウくんがちょっと引き気味に頷いた。

 その様子を見ると、どうやら「あいつ」さんは、「美味しく」「しっかりとした量」を作ってくれるのだろう。

 同じ軍人さんではないのだろうか。「仲間」と言っていたから、きっとそうだと思うのだけれど…… 調理師さんの方の知り合いだろうか。


「君は、本当にちゃんと食べないとだよ。ふつうの人より、ずっとエネルギー使っているんだからね。

 そうじゃないと、今度は自分自身を削って動くことになるんだからね」


 白い彼に重ねて更にニウくんの小さな身を縮こませてしまうところ申し訳ないけれども、私はしっかりと伝えた。

 もう何度も彼に言い聞かせてきたことだ。うん、と彼もいつものように頷く。話を聞いてないわけでも、テキトーに返事をしているわけでもない。彼はいつでも真面目で律儀だ。

 だから、彼がそれでも食べることに消極的なのは、いくら彼自身が何と反論しようと、本当に。

 …… 積極的に、生きるつもりがないのだ、この人は。


「まだ上がるかな」


 計っていた体温計を確認して、ニウくんは呟いた。渡されたその数値を見てみると、平熱が低い燃費の悪い彼にしては、確かに苦しそうな値を示している。

 上体を起こしている彼の胸を軽く押して、寝ていて、と伝えた。

 私はニウくんの額に触れてみた。汗をかいていない。


「そうだね、まだ上がるだろうね。

 寒くはない?」

「少し寒いかな」

「毛布はまだあるのかしら」

「さがしてくる」


 扉のところに立っていた彼が、そう言って部屋を出ていった。

 先ほどからまめまめしく動いてくれている人だ。


「彼は」


 白い影が出ていった扉を見つめながら、私はニウくんに尋ねた。


「いつも、きみの傍にいるの?」

「うん…… まあ、だいたいは、てところだけど」

「なにか、巻き込まれているの…?」


 前は彼の傍にそんな人なんていなかった。あの副隊長さんでさえ、実際にはずっとニウくんの傍にいるわけではない。彼は大人で、この隊は要員が多いわけではない。一緒にいるよりも手分けをするべきなのは分かっている。

 そうして彼もまた、誰かを傍に置いておくことをしない人だ。

 あの4人以外には。


 私は、これは本当になんとなく、という程度のイメージでしかないが。

 なんとなく、あの4人がいなくなってしまったことで、彼らとニウくんがお互いに解放し合えたように見えて、仕方ないのだ。

 それが彼らにとって幸いだったのかどうかは、まだ定かではない、が。


 …… 何を考えているのだ、と私は頭を切り替えた。


 人を隣に付けることをしない人が、誰かを傍に置いているのであれば、やむを得ない事情があると考える方が妥当だ。

 ニウくんは私の質問に答えなかった。ただ、口端を上げたようだ。マスクで口元が隠れてしまっているからだろう、なんだか、笑っているような困っているような曖昧な表情に見えた。


「…… 先生、帰るときは彼が送っていくよ。

 それから、次に来るときには連絡が欲しい。迎えを寄越すから」

「なに、それ……」


 まるで、私が…… あなたの縁者が、何かに巻き込まれてしまうかのような……

「お願いだから」と私を見上げる彼の黒い双眸は、至極真面目であるのだ。

 私がそれに頷きかねていると、扉が開く音が聞こえ、幾枚かの毛布を持った白い彼が帰ってきた。「おかえり」とニウくんが彼に声を掛け、この話はなんとなく私が了承をしたような空気で終わってしまった。

 軍属でない私が、彼らの事情を詳らかに知ることはできない。機密事項だってたくさんある。

 おそらく本当は、私が知るべきではないことを、しかし、ニウくんは一つだけ、教えてくれた。

 お伽話のような話だった。

 何かに巻き込まれてない、なんてはずがないのだ。



 家庭用の点滴を持ってきていて良かった、と思った。

 案の定、昨夜の食事を最後に(状況的にも、身体的にも)何も食べることができていなかったようだ。その話を聞いた私はもちろん、白い彼も呆れたかったところだろう。

 「やっぱり、あさからきていたらよかった」と彼は小さく呟いていた。

 なお、現在、午後3時。


「おやつね」

「豪勢だなあ」


 点滴を豪勢というのも彼くらいなものだ。おそらく、栄養価の面だけで評価したのだ。

 私は口をへの字に曲げていたことだろう。ため息の一つも吐きたい気分で返した。


「ニウくんには、もっと、美味しいものを食べてほしいわ」

「先生の料理とか」


 ニヤニヤと彼は笑った。ので、私はマスクの上から彼の小さな鼻をぎゅうっと摘まんだのだ。


「もっと美味しいのが、これからしっかり来るんでしょ」

「そういうつもりで言ったんじゃないって」


 鼻を摘まんだ私の腕に触れる彼の掌が、思ったより熱かった。こうやって普段通り喋っているけれど、さっきの体温を考えれば辛くないはずがない。

 私はパッと手を放し、彼の手を掴んで毛布の中に突っ込んだ。

 それから二日分の解熱剤をチェストの上に置く。


「四十度を超えるようだったら、解熱剤飲んでね。それまでは、がんばって」

「うん」


 ありがとう、と彼は笑った。

 念のため、白い彼の方にも解熱剤の事を伝える。ニウくん自身がダメそうだった場合には、彼に頼るしかない。ああ、後で副隊長さんにも伝えておかなければ。

 そう思いながら、けれど、彼の周りに人が増えて良かったと思っているのだ。

 彼は生きているのだから。


「ニウくん、……」


 そろそろ、と思い挨拶をしようとして、彼が寝ていることに気づいた。白い彼と話していて私の視線が自分から逸れたことで、気が緩んだのだろうか。

 熱のせいで苦しそうな呼吸ではあるけれど、眠れるならそれに越したことはない。

 私は、彼の眉間に寄る皺を撫でるように額に触れた。

 私が彼の寝顔を見るときは、彼に何かが起きたときばかりだ。だから私は、本当は彼の寝顔を見たくはない。

 それでもこの寝顔に安堵してしまうのだ。

 少なくとも彼はこれから2日間、戦場には出ない。

 ベッドの上で寝ている限り、私が彼を守ることができる。


「あの……」


 くるりと振り返り、私は白い彼に声を掛けた。


「少し、お話をしていいですか」


 そう言うと、彼はぱたりと瞬きをしてから、ゆっくりと頷いた。

 とはいえ、ニウくんの傍にいる彼だ。部屋からそう離れることもできない。せめてと思い部屋の前まで彼を連れ出した。

 廊下に誰もいないことを確認し、私は白い彼を見上げた。


「…… あなたと、ニウくんの抱えるものの話を、聞いています」


 彼は、私がそれを知っていることを知っていたのだろうか。どこかぼんやりと現実感の無い榛色の双眸に変化はない。静かな森から落ちる木陰のような色だ、と私は思った。

 その光は、静かにこちらのその先の言葉を待っているようだった。

 私は、まず、一つ目の言葉を彼に掛ける。


「なぜ…… ニウくんだったんですか」


 それは、質問ではない。思った以上に零した自分の声が掠れていた。


「彼、ぜんぜん軍人なんか、向いてないんです、体小さいし、手だって私より小さいし、考え方だって基本的にお花畑だし、副隊長さんがいないとずっとゆるふわっとしてるし」


 しかし、分かっている。

 それなのに、誰よりも、彼は命に対して容赦なく平等なのだ。

 それは自分に対しても、誰に対しても、冷徹とまで見えるほどに。

 命を扱うものの必須要項にして最大の適性を、彼は有している。あんな…… あんなに、『向いていない』のに。


「私は…… 今しばらく、あなたを、許すことができそうに、ない」


 これが、私の言いたかったこと。

 そして、


「…… けれど、…… 彼を助けてくれて、本当に、ありがとうございます」


 これが、私が言わなければならないこと。

 私は。いつの間にか、もう一度大事な人を失うところだったのだ。



 どんな手段だって構わない、あの小さな彼の形や人格や思想がそこにあれば、それはなによりの幸いなのだ。

 この白い彼はそれらをすべて叶えてくれた。

 ニウくんを─── 永遠に戦場に残すことと引き換えに。



「どうか、彼をお願いします。

 きっとあの子、自分に齎されたその性質を見誤るから。自分がどれだけ壊れても構わないと思うはずだから。

 それを見ている周りの人たちが、分かっていても苦しくなることを、きっと、考えないから」


 最後の一人がいなくなってしまったとき、ニウくんは泣いている私の背中をずっと撫でていてくれた。

 私は慰めてほしかったのではなかった。私と一緒に泣いてほしかったのだ。彼に、ただ悲しいと思える時間を過ごして欲しかったのだ。

 だが、すぐに分かった。

 彼は、そのとき既にちっとも悲しくなどなかったのだろう。4人に対して何も思わないわけもない、彼は彼で思い尽くしていたことだろう。私の背中を撫でるそのときには、とうに思い尽くしていて……、もう、そこに哀れみや悲しみは、無かったのだ。

 彼の「笑顔」に何故違和感を覚えるのか、その理由が分かっている。

 あの「笑顔」は彼自身さえも錯覚してしまっているが、彼が必死になって身に付けた「普通の人の笑顔」なのだ。

 ニウラシュカという人間の土台には、常人の理解が及ばない透明な世界観がある。何物にも侵されず何物も響かず、ただ静かに凪いでいる湖面のような空間だ。

 あの4人だけがその水面を揺らすことができた。…… はずだったのに。

 私の気持ちを、ニウくんは理解することができないだろう。


「…… ごめんね」


 ぽつりと、白い彼はそう言って、私の頭を柔らかく撫でた。

 いま、私は、何を謝られてしまったのだろうか。

 ニウくんを巻き込んだことだろうか、それとも私の頼みごとに対してだろうか、あるいは、そのどちらもだったのだろうか。

 この白い彼がニウくんを見放すわけがないと思っていたのが、間違いだったのだろうか。

 ぱた、と瞬きをしたはずみで涙がこぼれたのが分かった。

 偶然だろうけれど、その瞬間、部屋の中からパタパタと駆けてくる足音が鳴った。慌てて涙を拭おうとして、

 ───── ああ、君は、いつもそんなタイミングで来るのだ。


「せんせ…っ」


 音を立てて開け放たれた部屋のドアと、一瞬、状況が分からないながらも私の泣き顔を見つけてしまったニウくんだ。


「どうした、大丈夫?」


 私の肩を宥めるように摩りながら、彼が覗き込む。私の視線の真っ直ぐその先、彼の黒い双眸には心配の色しかない。

 喉がつっかえてしまって、私はただ頷くことしかできなかった。ニウくんは私の状況を察すると、白い彼を振り返る。


「すまん、ちょっと送ってくる」

「いや、だめでしょ……」

「ちょっとだけ、そこまで」

「いや」

「だい、じょうぶ、大丈夫だから」


 まだしっかりと熱の籠もった体でたわけたことを言い出したニウくんに、さすがにこれは医者として黙っているわけにはいかなかった。

 私は腫れることを覚悟してごしごしと両目を拭い、キッとニウくんを見つめた。


「きみ、熱があるの、寝ていなきゃならないの、早くベッドに戻って」

「でも」

「おれがおくるよ。そういうはなし、だった、でしょ」


 のんびりと私とニウくんの声の間に、上から振ってきた。

 二人で見上げれば、どこかきょとんとした表情で、白い彼がこちらを見下ろしている。


「…… 大丈夫か」

「もちろん」


 ニウくんがそう確認した意図も分かった。ドアを開けて、泣いていたのは私の方だ。

 ゆっくりと、しかししっかりと頷く彼に「分かった。頼むよ」とニウくんはその背中を叩く。そこで、ニウくんがこの白い人をどれだけ信頼しているのかが分かった。

 この人がニウくんの隣にいてくれて良かった。


「気を付けてね」

「お大事にね」


 ニウくんが軽く抱きしめて、私も彼の背中を軽く叩く。

 触れた彼の身体はやはりいつもより熱を持っていた。解熱剤を使うことにはならないでほしいが。

 迷路みたいな軍施設の入り口まであっさりと辿り着いた。白い彼の足取りは私に合わせてくれたのだろう。とてもゆっくりしていたが、一つも迷うことなく私を導いてくれた。

 入り口まで来たところで、私は「ここまでで大丈夫です」と彼を振り返った。

 あまりニウくんから離れないでほしかったし、それは相手も同じではないだろうかと思ったのだ。


「また明日、同じ時間に往診に来ます」

「じゃあ、むかえにくるね」


 わかった、と彼は頷いた。

 そうしてふと彼の白い手が伸びて、指先が私のこめかみを梳くように触れる。髪が、さっきの涙で張り付いていたらしい。


 「たいちょは、あんなかんじ、だけど

 たぶん…… おれはあなたと、おなじきもちだと、おもうよ」


 静かな彼の声は。

 夜に瞬く星の光のように微かな音だったけれど、確かに私の耳に届いた。ぼんやりとした、ある意味では表情に乏しいと言われてしまいかねない彼だが。


 私と同じ気持ち ───── 「貴方も、ニウくんに、誰かを重ねているの」


 え、と彼は頭を傾けた。

 ああ、と私は勘違いをしていたことに気づき、…… 安堵した。そういう『同じ』ではなくて、だ。

 さっきの話しだ。私が彼にお願いをしたこと。ニウくんがゆるふわだといった話しに同意してくれたのだろう。私は、彼に「気にしないで」と返した。

 彼はまだ少し分かりかねたように首を傾げるような、頷くような、そんな仕草で返した。



 彼に会釈をして、私は病院に向けて歩き出す。

 往診のバッグの使い馴染んだ持ち手を握りしめた。

 ニウくんはその性質からなのか、かつての誰か、どこかの誰か、そういったものへ重ねられやすいように見える。彼自身からよくそんな話を聞くような気がした。

 彼がそれを重荷だとは思っていないようなのだが、いつか誰かのそれが、彼を貫きはしないかと心配になってしまうのだ。



 そうして、私は。

 私には。



 かつて、戦場に行ったきり二度と戻りはしない弟がいた。



(星のひと 了)

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