奔走 part2



 というわけで、俺とララは一旦、家へと戻って用意をしてから、その場所へ――香水郷ことカピドゥスの邸宅、その部屋の中へ《テレポート》を使って移動した。



 が、寝室らしきそこには誰もいない。



 なので廊下へ出てみると、奴の馬鹿でかい笑い声が近くの部屋から響いてきた。



 その声がする部屋へララが入ると、



「なあに、うちには優秀なマージがいて、連中に水の浄化は充分にさせている! それに、いざとなれば連中の力でどこへでも逃げられる! だから何も心配などする必要などないのだよ! ガハハハハ――」



 カピドゥスは大口開けて笑った顔のまま凍りついて、それから、



「な、なな、なんだ、貴様ら!? 儂になんの用だ! ワシはもう何もしておらんぞ!?」



と、食卓を囲むイスの後ろに隠れて身構える。



 友人だろうか、他に二人、どうやら貴族らしいオッサンたちがいたが――やむを得ない。



 俺は『喋れる兜』という正体を現し、精一杯の威厳を示しながら言う。



「確かにそのようだな、カピドゥス。街がどうなろうと、自分が無事ならそれでいいということか」


「ち、違う、そういうわけでは……!」


「聞け、カピドゥス。いま街がこうなっているのは、精霊――ウンディーネが暴走しているからだ。そして俺はこれから、それを止めに行くつもりでいる。だから、お前にも手を貸してもらう」


「な、なぜワシが……?」


「いくら今は問題ないと言えど、この状況が長く続けば、香水を収入源にしているお前にとっても死活問題となるのではないのか?」



当然、その通りだったらしい、カピドゥスは「ぐぅ」と蛙が鳴くような声を出して息を呑み、



「ワシに……何をしろと?」


「今ここに残している部下をこちらに差し出せ。そして、どこかに潜んでいる暴走した精霊を捜索させろ」


「い、いやしかし、急に差し出せと言われても応じることはできない。見ての通りワシは貴族、つまり軍へ兵を差し出す義務があるから、既に人員はそちらへ出してしまったのだ」


「……その割には、屋敷の中に強いマナを持った人間がかなり多く残っているようだが?」


「ぅぐ……! な、なぜ、それが……!?」



 カピドゥスは額に玉の汗を浮かべて呻き――どうやら観念したらしい。



「……ああ、確かに、身辺を守る優秀なマージを残してはいる」


「何人だ」


「……およそ三十」


「充分だ。それを全てこちらへ寄越せ。――安心しろ。無論、タダでとは言わん」



 ララ。俺がそう声をかけると、決めていた通り、ララが麻の袋から一つの小瓶を取り出した。



「これは……なんだ?」



 テーブルに置かれたその小瓶を、カピドゥスだけでなく他の貴族も興味深そうに身を乗り出して見つめる。



 ふっ、と俺は勝利を確信しながら言う。



「マヨネーズだ」


「マヨ……ネーズ……?」


「ああ、黄金に等しい価値の、奇跡の調味料だ。試しに食してみるがいい」



 言うと、カピドゥスは怪訝そうな顔をしながら瓶を開け、まずは匂いを確かめる。



 それから、スプーンの先でほんのわずかにすくい取り、まるで毒でも舐めるように恐る恐る口へ入れる。



「んん……?」



 眉間に深く皺を寄せて、それでもこれが毒物ではないことは解ったのか、先程よりも多めに口へ運ぶ。



 しばし味を吟味するように口をもごもごさせてから、



「これは……なんだ? 酸味が気持ち悪いし、ベタベタと油っぽい。こんな物のどこが美味いというのだ?」



 スラリ。



 ララが剣を抜く音が部屋に響いた。同時、俺は炎の目を天井近くに出現させる。



 俺とララの声が揃う。



「「殺す」」


「な、なぜだ!? ワシは何も――」



ララは剣先をカピドゥスの二重顎に突きつけて、



「何もしていない? アンタは今、絶対に許されないことをしたわ」


「ああ、『マヨネーズを冒涜した人間は殺してもいい』、これは世界の理だ」


「そ、そんな無茶苦茶な……!」


「美味いではないか!」



 同席していた貴族の一人が、マヨネーズの瓶を手に持ちながら叫んだ。すると、隣にいた貴族もスプーンでそれを口に運び、



「……うむ……うむ、なるほど。クセは強いが、確かに美味い! これは売れるぞ、カピドゥスよ!」


「ほ、本当か……?」


「やはりお前は底抜けのアホのようだが、よき友は持っているようだな」



――落ち着け、冷静になれ、俺。



 マヨネーズのことを悪し様に言われて思わず動転してしまったが、俺は貴族たちの言葉でふと冷静に返る。



 カピドゥスを睨み下ろす炎の目を消し去って、



「どうする、カピドゥス? いま我々に手を貸すなら、この調味料を売る権利をお前に与えてやってもいいのだぞ」



 ぬう……。とカピドゥスは小瓶とこちら、そして美味しそうに二口、三口とマヨネーズを口にする友人たちを交互に見やって、



「……解った。協力しよう」



 そう首を縦に振った。



「よし。では、お前が雇っているマージの中で、《テレポート》を使える者は何人いる?」


「無論、全員だ。儂が高給を払っている、選りすぐりのマージたちなのだからな」



 それはありがたい。金持ちはこんな時に役に立つ。



「ならば、俺がこれから指示する所へ行って、早速、捜索をしてもらう」


「いや、だが待て。確かに人間は貸すが、くれぐれも誰も死なせるのではないぞ。連中を集めるのに、ワシがどれだけの金を使ったか――」


「何を呑気に金の心配をしているんだ。お前も行くんだぞ」


「……はぇ?」


「今は一人の人間も無駄にできない状況だ。だから、お前にも現地へ行ってもらう」


「そ、そんな、無理だ! ワシはもう身体中が痛くて、昨日から咳も出るし、腰も膝も痛くて……! ゴホ、ゴホ……!」


「そうか。じゃあ、マヨネーズをしっかり食え。マヨネーズは神の調味料。無論、風邪にも効くぞ」


「そんな……! で、でも、外はもう真っ暗で……せめて明日の朝からでも……!」


「街では大勢の人が苦しんでいる。そのように悠長なことは言っていられない」



 床に崩れ落ちるカピドゥスを見下ろしつつ、ララが口元を隠して囁く。



「アンタ、凄いわね……。アタシ一人じゃ、絶対ここまでできなかったわ」


「何言ってるんだ。お前もヤツに剣を突きつけてただろ」


「いや、あれはつい身体が勝手に動いて……」


「フッ、お前も中々の『マヨラー』のようだな」


「マヨラー?」


「『マヨネーズを愛し、敬う者』を意味する聖なる呼称だ。お前は充分、それに値する」


「それはどーも。って、こんなふざけた話してる場合じゃないわよ。急がないと」



 ああ、と俺も改めて気持ちを引き締める。



 そして――ララにはまだ明かしていない覚悟も決めるのだった。

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