第9話 首脳

 10月15日の午後4時大曽根は漸く官邸に戻ってきた。総裁再選へ向けまず金石総務会長に会い支持を取り付け、さらに中田元首相と会談して党内で対立している重鎮たちへの説得工作を依頼してきたところだった。

「須藤君、ちょっと疲れた。取り次ぎは控えてくれ」と秘書に言うと大曽根は執務室に入って行った。ゆったりとした椅子に腰を下ろし背もたれに寄り掛かると目を閉じ、「これでこの椅子にまた当分は座っていられるはずだ」と心の中で呟いた。安堵感と座り心地の良さは緊張した神経を安らげ眠気を誘って、大曽根は虚ろな状態に陥った。夢の中へと誘われようとした時、電話のベルがそれを妨げた。一瞬、痙攣を起したように体全体がビクンと動き現世に引き戻された大曽根は、2回目のベルで意識を蘇らせた。

 受話器を取り耳に当てると「総理・・」と須藤の静かな声が聞こえた。

 「防衛長官が至急お目にかかりたいと参っておりますが、いかがいたしましょう」

 「栗林君が?」

 「はい」

 「通してくれ」大曽根は受話器を置くと執務用の椅子から立ち上がり、応接用のソファーへと歩き出した。途中、ドアをノックする音に「どうぞ」と答えると、防衛庁長官の栗林が眉間にしわを寄せ重苦しい表情でドアを開け入ってきた。

 「何があった?」

 「え?」大曽根のもとに歩を進めていた足を止め栗林は逆に聞き返した。

 「厄介な事が起ったような顔つきをしておるからな。まあ座れ」と言って大曽根はソファーに腰を沈めた。

 栗林は「はあ・・」と言いながら向かいのソファーに浅く腰かけた。そして続けた。

 「次期支援戦闘機として三川重工が開発した試作機を松島でテストしていることは総理もご存じのことと思います」

 「ああ知っている」

 「それが・・」栗林はすこし間を置いて「落ちました」と俯き加減に言った。

 大曽根は一瞬険しい目つきになりソファーの背もたれに寄り掛かっていた半身を起し「パイロットは?それから、どこに落ちた」と即座に問うた。

 「はい、パイロットは脱出して無事が確認されました。そして墜落したのは三陸沖の洋上だったため他に被害は出ておりません」栗林は続けて「今のところ漁船等から墜落の目撃情報も入っていません」と答えた。

 「そうか」大曽根は少し安堵の表情を浮かべ再びソファーの背もたれに寄り掛かった。

 「墜落の直接の原因は機体の損傷によるものらしいのですが・・・、厄介な事がありまして」状況説明を続ける栗林が視線を大曽根の目からずらし下に向け、そして、再び睨むような目つきで大曽根を見た。

 「なんだ?」

 「墜落直前にアメリカの戦闘機F15と絡んでいたというのです」

 「なんだとぉ」ガバッと上半身を起こし執務室の外まで聞こえるような声を発した。

 「どういうことだ?説明しろ」

 「これまでに分かっているところでは、一昨日の13日に嘉手納から三沢にF15が移動しまして、それが試作機のテスト飛行に合わせるように三沢から飛び立っております」

 「それで?」

 「松島基地ではレーダーで南下してくるF15を捉え試作機に回避するように伝えたのですが、それをF15が追いかけて来たというのです」栗林は続けた。

 「追ってきたF15と空中戦状態になったところで試作機に不具合が生じ墜落したということらしいのです」

 「空中戦だとぉ?打ち合いでもしたのか?」大曽根は無いとは思いつつも確認の意味で栗林に尋ねた。

 「それはありません。こちらはテスト飛行ですので武装はしていませんし、F15の方からも攻撃してきたとの情報はありません」

 「うむ」と頷くと大曽根は静かに立ち上がり思案顔でデスクの後ろにある窓の方へとゆっくりと足を運んだ。窓の外に見える木々にはまだ緑の色彩を蓄えた葉が風に揺れていた。

 大曽根は窓際に立ち、外に視線を向けていたがその風景を捉えてはいなかった。

 「向こうには、こちらの事はすべて筒抜けになっているということか」大曽根が独り語とのようにボソッと言うと、

 「はい?」と栗林が聞き返した。

 「いや」栗林の方へ向き直り、「この事に関係したすべての者に口外無用を徹底させろ。絶対にこの情報を漏らしてはならん。いいな」

 「はい、承知いたしました。最重要機密事項として処理いたします」そう言うと栗林は立ち上がりドアの方へと向かった。

 「あ、それから」ドアを開けようとした栗林に大曽根が声をかけた。「自衛隊内部にアメリカへの情報提供者がいるかもしれん。内々に調べて報告してくれ」

 「かしこまりました。では」そう答えて栗林は退室した。

 大曽根はまた椅子に腰を下ろした。ひじ掛けに手を置き一点を凝視し考えていた。

 「ローガンがどう出てくるか?奴は今選挙中だ。どのタイミングで仕掛けてくる?何れにせよ向こうの出方を待つしかないか」静かに長い溜息を口から吐き出すと受話器を持ちあげた。

 「須藤君、今夜の予定は何もなかったよな?」秘書に確認すると、

 「はい、この後の予定は何もございません」即座に須藤が答えた。

 「うむ、公安委員長の田辺を呼んでくれ、至急だ」

 「かしこまりました」

 アメリカ側から何か言ってくる前にやらねばならぬ事をやっておかねばなるまい。大曽根は次には官房長官に電話をして、マスコミがこの事を嗅ぎつけた時の対応について話し、外務大臣への電話ではローガンが何を要求してくるのか予測し対応策を練った。その間、夕陽を橙色に映していた雲は、その光源を東京のネオンやビル街の灯りに移し、ぼんやりと、そして鈍い光を放っていた。

 そして、通商産業大臣に電話しようとしたその時に、秘書の須藤から「公安委員長の田辺様が参りました」と電話があり、大曽根が通すように言うと、田辺が緊張した面持ちで執務室へ入ってきた。総理と一対一で会うことなど無かった田辺にとっては平静でいられるはずが無かった。しかも、至急の呼び出しは重大な事が起こった為であると想像がつく。案の定、総理の表情は重く沈んでいるのがすぐ見てとれた。田辺はドアの所に立ち、

 「何でございましょう」と言った。大曽根は執務用の椅子に座ったまま、

 「まあ、そこに掛けてくれ」とソファーの方に手を伸べた。田辺は言われるままにソファーに向かうと長椅子の左端に浅く腰を下ろし半身を左に少し捩り総理を見た。

 「実は・・・」と大曽根は次期支援戦闘機を三川重工が極秘に開発しテストをしていたことから、今日三陸沖でテスト飛行中にアメリカのF15と絡んで墜落したことまでを手短に話した。そして一呼吸置いて本題を語り始めた。

 「推測だが、この件に関してアメリカが諜報活動をしていたと思うのだ」

 田辺はすべきことを把握した。

 「調査しろということですね」

 「うむ、人物の特定や所属機関、そして、手口などもだ。確たる証拠が無ければ状況証拠による憶測でも構わん」

 「分かりました。で、いつまでに報告すればよろしいのでしょうか?」

 「報告書という形で貰いたいのだが、いつまでと言うことは無い。ただし、急いでくれ、動きだしは今すぐにでも始めてくれ。言っておくがこれは機密事項だ。」

「かしこまりました。他には?」

「いや」大曽根はゆっくり頭を横に振り言った。

「それでは失礼します」田辺がすっと立ち上がると、

「ああ、そうだ」思い出したように大曽根が付け加えた。「捜査が自衛隊内部に及ぶようだったら防衛長官に言ってくれ」

「栗林さんにですか?」

「ああ、彼にも内部調査を依頼している。必要だったら連絡を取り合ってくれ。以上だ」

「分かりました。では」

 田辺が出ていくと大曽根は再び受話器を持ち上げた。

「通商産業大臣に至急繋いでくれ」

「分かりました。少々お待ちください」須藤の冷静な声が返ってくると受話器を置いた。

 大曽根は程なくして通商産業大臣に三川重工業から試作機の墜落時の事情聴取を早急に行うように指示を出した。そして、その後もこの件に関係する省庁のトップに連絡し対応を指示していった。思いつく関係先に一通り指示を出し、背もたれに寄り掛かると向かいの壁掛け時計が目に入った。時計の針は夜の8時を回っていた。

 大曽根は立ち上がると隣接する秘書室へ向かいドアを開けた。

「須藤君、今日はここに泊まることになるかもしれん。君もだ」

「承知いたしました」

 須藤は見ていた書類を机に置き、視線を総理に向け静かに答えた。

 大曽根はゆっくり須藤の机に向かいながら話を続けた。

「今日、我が国が秘密裏に開発していた戦闘機が墜落した。その場にアメリカのF15がいたということだ。このことから、既にアメリカ国防省にはこの情報は伝わっていると思われる。そして、ローガンにもだ」机の前で立ち止まり座っている須藤を見ながら、

「アメリカでは今日が始まったばかりだ。奴らが動くのはこれからだ」と言った。

「はい」と答えた須藤の目からは事情を飲み込んだ様子が窺えた。

「すまんがよろしく頼む」そう言うと大曽根は執務室に戻ろうと踵を返した。と、その時、須藤の机の電話が鳴った。2回目のベルが鳴り終わったところで須藤は受話器を持ち上げた。

「はい。・・・そうです。・・繋いでください」

 大曽根はドアの前で須藤を見ていた。須藤もチラッと大曽根を見た。その視線の様子から大曽根はどこからの電話か察しがついた。

「・・ハロー、・・イエス・・・、ジャストモーメント」須藤は保留のボタンを押し、

「総理、ローガン大統領から直通でかかってきました」と言った。

「向こうに繋いでくれ」そう言うと大曽根はドアを開け執務室のデスクに急いだ。

 椅子に腰を下ろし、受話器を右手で持ち上げ、その人差指で点滅しているボタンを押してから右耳に受話器を押しつけた。

「ハロー・・」聞き覚えのある声に、

「モーニング」と返すと大曽根は英語で話し始めた。

「大統領、随分と早いですね」

「歳の所為か、いくら遅くベッドに入っても5時前には目覚めてしまうのだよ」

「私もです。ところで、選挙の情勢はこちらにも聞こえてきますが、ほぼ決まったんじゃないですか?」

「ああ、油断は禁物だがね。そちらはどうなんだい?次期総裁の椅子は」

「ええ、今日も根回しをして来ましたから、恐らくは大丈夫でしょう」

「おお、ネマワシね。それじゃあ大丈夫だな、ヤス」ハハハ、と笑うローガンの声に、大曽根も笑い声を返したが、腹心では身構えていた。

「それじゃあ、ヤス、早いうちに会わないか?年明けにでも」

「ええ、いいですよ。正式に決まったら話を進めましょう」

「よし、そこでだ・・」ローガンの声の調子が変わったのを大曽根は聞き逃さなかった。

「貿易不均衡を是正しないと益々日本への風当たりが強くなる。それは私にとっても困るのだ。今、日本からの輸入は形式的には自主的に規制をしてもらったりしているが、根本的な解決にはなっていない。我が国からの輸入量を増やしてもらわねばならんのだよ」

「ええ、分かっています」何かを強引に要求してくることは察しが付いている。問題は「何か?」だと大曽根は思った。

「まずは、我が国が得意な分野から輸入を増やして欲しいのだ。例えば軍事産業とかだ」

 やはりそうきたか。

「今、日本では次期支援戦闘機の選定をしているのだろう?決まったのか?」

「いや、まだ選定中です」

「迷うことは無い。我が国の戦闘機の性能は世界でもっとも優れている。機種も豊富だ。その中から日本の防空に見合ったものを選べばいい」

「そうですね、私から防衛大臣の方に進言しておきましょう」

「そうだ、もし必要ならば日本仕様にカスタマイズできるように取り計らおう。機体を我が国が提供し日本でカスタマイズすれば名目上は共同開発と言うこともできる」

「それはよい考えですね」大曽根は苦々しい思いでそう答えた。この案がアメリカ側の最大の譲歩と言うことか。もしこの案を呑まなければ次には更に困難な要求をして来ることだろう。

「むろん只でとは言わん。戦闘機の購入を決めてくれるのなら、日本の自動車メーカーが行っている我が国への輸出量の自主規制を撤廃してもらってもよいと考えている」

「ほう、大統領がそこまで言ってくださるのなら、私としても前向きに検討せざるをえませんな」ローガンめ、自動車の輸出自主規制を撤廃して、アメリカの自動車産業の業績回復と、ローガノミックスの正当性を同時に強調するつもりだな。

「これは双方にとって有益だと思う。悪い話ではないだろう?」

「ええ、年明けに会う時にいい返事ができるよう私も動いてみましょう。朝早くから我が国のために良い提案をして頂きありがたいことです」

「戦闘機の開発には膨大な開発費と時間が掛かる。自国で開発するより経費は掛からんと思うぞ、ヤス」すべて知っているぞという口ぶりに、

「御助言、ありがとうございます」と言うに止めた。

「是非とも前向きに検討してくれ。このことは今後の米日関係を左右する重要事項になるかもしれん。そこを踏まえてくれたまえ」

「承知しました。双方にとって有益な答えをだせるよう準備いたしましょう」

「よろしく頼む。では、年明けを楽しみにしているよ」

「はい、年明けに。失礼します」大曽根は静かに受話器を置いた。

 ほぼ強制的に戦闘機の購入を強要してきたが、もし、これを受け入れなければ日米関係はさらに悪化するだろう。今でさえアメリカではジャパン・バッシングが国民の間に広まっている。これ以上、アメリカを怒らせる事は日本にとって得策ではない。

 しかし、大曽根はすべてアメリカの言いなりになろうとは考えてはいなかった。

 しばし椅子に座ったまま思案していた大曽根は、ゆっくりと立ち上がり秘書室へと再び向かった。ドアを開け、その場から、

「須藤君、話は終わった。今日はもう上がってもらって大丈夫だ。それから、近いうちに自動車産業経営者連盟の石山会長との会談をセッティングしてくれ」と言った。

「いつまでにという要望はございますか?」メモを取りながら須藤は尋ねた。

「今週中に頼む」

「かしこまりました」その返事に御苦労さんと声をかけ大曽根はドアを閉めた。


 受話器を置いたローガンの目の前にはワインベイカー国防長官が立っていた。

「大統領、F15のパイロットからの報告によると開発中の戦闘機の能力は、やはりF15と同等以上の可能性があるということです」

「信じられんな」

「私も信じたくはないのですが、任務に当たった実戦経験も豊富で優秀なパイロットが言っているのです。徹底的に調査して開発を中止に追い込まなければ我が国が被る被害は多大なものとなるかもしれません」

「うむ・・」考えこんでいるローガンに、

「国防省でも独自に調査を開始します。指しあたっては開発中の戦闘機にはフライトレコーダーが積んである可能性があるので、その回収をウラジオストクに展開している原潜バッファローに当たらせる予定です。本来なら昨日の様子を監視させる予定でしたが、ウラジオストクで不穏な動きがありましたので、まだウラジオストクにいますが一両日中には現場に向かわせることができると思います。大統領にはCIAに飛行データなどの入手を依頼していただきたいのですが」とワインベイカーは言ってきた。

「わかった」ローガンは答え、「この問題に関して早急に策を練らねばならんな」と付け加えた。

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