昭和九年の武蔵野がここにある。夫婦の愛情と清流のような言葉とともに。

昭和九年を彷彿させる言葉で描かれている。だがとっつきにくいかと思えば、するすると物語に引き込まれて行く。その言葉も文化も生活も何に違和感もなく受け入れられる。まるでその時代にタイムスリップしたように。
荻窪の喧騒やそこを練り歩く文士たち。おでん屋の匂いまで感じられる。終わりのない議論、大きな声、喧嘩にまで発展しそうな熱さ。そんなエネルギーの中、そこに憧れながらも飛び込んでいけない主人公の葛藤。
その主人公は情けないのではなく、愛すべきもの大切にすべきものが何なのかを深く理解している。この夫婦は深いところでお互いを思いやっているのだ。それは現代まで脈々と受け継がれている。
変貌していく武蔵野のように人もまた変わっていくけれど、深いところは実は変わっていないのだ。そんな希望を感じさせる作品である。
この作品の素晴らしさは日本語を再発見させてくれるところだ。こんなにも心地よく美しいと思わなかった。清流のような言葉に身を委ねて欲しい。
また実は武蔵野の歴史が隠しコマンドのように散りばめられているので、知ってる人はついニヤリとさせられる。それもぜひ探してみて欲しい。長身の男前は一体誰なのか。そんな二重三重の楽しみも堪能できる作品なのである。