第5話 バイバイ名古屋

 清美君に話す内容を頭の中で整理する。在さんのことを上手く切り取って話せば良いだろう。どの角度で切り取るのが一番センセーショナルになるだろうか。宗教絡みの話なんか面白いが、清美君がそこまで知っているか怪しい。焔の話も微妙そう。案外優作さんの話がいいかもしれない。でも、あっさりしすぎている。優作さんがもっと弾けた人間なら、悩む必要なんかないのに。少しは時也さんを見習ってくれないかなあ。

 そんなことを考えていると、清美君達が電車から降りた。幸運なことに人の流れが多い駅だった。四人程を盾にしながら清美君を追った。

 電車の中よりは話の内容が聞き取れた。どうやらアニメの話のようだ。聞こえてきたワードを検索すると、コミカルな絵柄のお色気バトルの作品が出てきた。大学時代の清美君の変化が手に取るように分かった。立派なオタクになっちゃったなんだなあ。下乳ががっつり見える服装をした少女の絵を見ながら、清美君の母親の瀬戸香さんを思い出した。グラビアアイドル真っ青な巨乳が身近にいると、胸部を強調した絵が好きになっちゃうのかな。瀬戸香さんよりは劣るけど巨乳の奈央子ちゃんで釣られてくれないかなあ。

 なんて考えていると、話題が特撮作品に移った。さてはバトル物が好きなんだね。さっきよりちょっとテンション高くなってるし。まあ、それならまだ高校時代の姿から想像しやすい。

 話題が変わったあたりから、彼らが人通りの少なくなる道を選んでいた。ちょっと焦ったが、彼らは気付きそうになかった。それどころか、開放的な気を起こしたらしい。手で武器を持つ振りをして小さくヒーローごっこのようなことをした。場面の再現をしていたので、方言ばりばりの清美君が標準語で喋って驚いた。しかも、恥じらいがない。この子、割と幼いのかもしれない。

 清美君はその作品が大好きらしく、表情がキラキラと輝いていた。それがあまりにも可愛らしくて目が奪われた。

 こういう子が桜刃組にいてくれたら、何でもない日も輝いて感じるだろう。頭の中で大人しい在さんの隣に溌剌とした清美君を置いてみた。清美君が楽しそうに話し出して、在さんが機嫌良さそうに聞いていた。半ば反射的になされた想像に口角が上がっちゃってた。急いで直して、ゆっくりと呼吸をした。

 そしたら、思ってた以上に彼らに近付いちゃってたことに気付いた。まだ自然な距離とは言えなくもないし、彼らは相変わらず気付いていない様子だ。でも、流石にそろそろ気付いてもおかしくない。見つかって五人全員に警戒される予想が脳裏を過ぎった。

 逃げられるだけならまだリカバリーが効くが、問い詰められることになったら最悪だ。何を言っても信じてもらえないに決まってる。頭が痛くなってきた。

 機会を待つなんて悠長なことはもう言ってられない。最低限の接触で清美君だけを隔離して、さっさと言いくるめてしまおう。父親の名前を出せば、清美君だけに事の方向性が伝わるだろう。清美君はこちらの事を仲間には知られたくないだろうから、二人きりになろうとしてくれるに違いない。

 声をかけようと前を見れば、彼らは階段を上り始めていた。足場の悪い所で立ち止まらせるのは気が引けた。階段を終えた所、地上に出た時に実行に移そう。そう決めて歩みを進めた。

 階段の半ば、紀香ちゃんが足を滑らした。こける前に清美君が何気なく支えた。紀香ちゃんが嬉しそうに清美君と泰一君を指さした。そして、泰一君にこけるよう提案した。清美がブーイングを上げた。菊次郎君が紀香ちゃんをふざけながら叱った。春彦君がそれに加勢した。清美君も同じ調子で喋り出した時、彼も足を滑らした。言葉が仰天の声となった。菊次郎君が咄嗟に清美君の腕を掴んだ。しかし、清美君はその腕に頼らずにすんなり体勢を立て直したように見えた。菊次郎君はきょとんとした後、大袈裟に踏ん張る演技をして清美君の腕を引っ張った。清美君がそれにのって引っ張られる演技をした。春彦君が菊次郎君を手伝う振りをした。泰一君が「おおきなかぶ」のナレーションをした。清美君が笑いながら突っ込んだ。紀香ちゃんが懐かしそうに小学校の劇の話をして、意味ありげに清美君を見つめた。

「清美ってさ、故郷の話、全然しないよね。話す空気の時もわざわざ切り上げるよね。何で?」

 かなり強引な展開だった。それで、彼女がずっとそれを聞く機会を窺っていたことを察した。他の三人が緊張感を持った顔をするが、清美君は平然と答えた。

「したくないけん、せんだけやわ」

 その言葉で空気は弛緩しなかった。僕にもざっくりと刺さってしまった。清美君が取り繕うように言葉を続ける。

「あんたに話したら、やらしい妄想の材料にするじゃろ。そんなの嫌やもん」

 出まかせに近い言葉だと分かってしまった。

 春彦君が妙に感心した様子で、それな、と同意した。泰一君が不満気な声を上げる。

「僕らにも話さないじゃんかあ」

「えー、話しとるよ。な!」

 清美君が春彦君に同意を求めると、春彦君が難しい顔で唸った。

「……西田敏行の物真似がむっちゃ上手い女友達の話しか思い出せんわ」

「あの人ねえ、最近、大杉漣の物真似もできるようになったわい。HANA-BIのんとか特に上手いんよ」

「何で謎情報の追加すんねん!」

「あと、その人、クォーターで見た目めっちゃ外国人やの」

 南曇正美のことだね。意外な特技を持ってるんだなあ。

 春彦君と菊次郎君と泰一君が奇声を発する。

「最初にそれ言うやろ、普通!」と春彦君。

「ほぉおおお、しゅげええっ、脳が想像を拒むううう」と菊次郎君。

「よりにもよって何で嘘みたいな話するんだよおおおおお」と泰一君。

 清美君がくすくすと笑った。紀香ちゃんがむっとして清美君のシャツの裾を引っ張った。

「私は男友達の話が聞きたいんだけど」

 清美君が顔をしかめた。

「嫌じゃわ!」

 その後、紀香ちゃんが説得を試みて言葉を重ねた。清美君は立て板に水という態度でそれを受け流す。そして、真っ先に階段を上り切った。

 彼は太陽の光で輝く硝子の扉を開くと、迷いなく地上に出てしまった。

 他の四人が出ると、扉が閉まった。

 僕はその扉を開いて清美君に追いついて父親の名前を出す――つもりだったが、出来なかった。

 偶然聞いてしまった清美君の言葉に足を止めていてしまっていた。

 失踪、という単語が頭の中で回る。

 清美君の噂は様々で、明らかな嘘が多く含まれていた。

 だから、失踪もただの噂話だと思っていた。

 そうじゃなかった。彼は故意に過去を、故郷を捨てたんだ。

 だから、高校時代とは違う存在になれたんだ。今までとは別のタイプの人間と友達になって、好きなものを増やして、柔らかく笑っていられるんだ。

 清美君が自ら捨てたものの中には、父親のこともある。それが一番捨てたかった可能性もある。

 僕が接触してしまえば、清美君は捨てた筈のものをもう一度手にすることになる。そしたら、きっともう笑えない。

 彼の笑顔を思い返した途端、在さん達の意見を理解してしまった。馬鹿げているように聞こえていたのに、今や何よりも真っ当に感じた。

 打ちのめされたような感覚がして、名古屋にいること自体が億劫になってきた。

 帽子を脱ぎ、髪を整えながら踵を返した。

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