灰白の銃士

藤芳

一章 瑠璃色の王女

一話

 私は馬車の手綱を握りしめ、急かす様に鞭を打った。


 それから、薄汚れたほろの付いた、みすぼらしい座席に腰掛ける白いマントのフードを目深にかぶった少女の様子を一瞬窺った。

 山間の悪路を本来ありえない速度で走行しているせいで激しく揺れる車体の中、彼女は、御者用の座席の背もたれに必死にしがみついている。


 国境付近の関所を抜けてから、奴らの追跡はより苛烈さを増していた。

 今この瞬間も、後ろからいくつもの馬蹄の音が私たちを追い立ててくる。


「くそっ」


 私は舌打つ。

 絶対にこんなところで追いつかれるわけにはいかないのだ。

 

 焦燥感を募らせながらも、必死に馬を走らせる。

 夕日に照らされた、細長い直立した褐色の樹木が次々と流れていく。


 このまま、振り切れなくとも、何とか国境を越え人里までたどり着ければ…。

 そんな、淡い期待を抱く私をあざ笑うかの如く、現実は無情な未来を突き付けた。


 乾いた破裂音が木立に響いたかと思った矢先、左側の木製の車軸が砕け散り、車輪は宙を舞った。

 支えるべき車体は、バランスを崩し、整地されていない道も相まって、吹き飛んだ車輪と逆方向へ横転を始める。

 私は、宙へ放り出された少女をとっさに抱きかかえると、共に馬車から投げ出された。


 それでも、彼女の緩衝材となる様に、何とか体勢をコントロールし、地面に背中から着地するも、余剰の勢いで回転しながら傍の大きな幹に叩きつけられた。

 一瞬呼吸が止まり、次いで激痛が全身を襲い、私はうめき声をあげた。


「カエデ!」


「…サクラ様、ご無事ですか」


 眼前がちかちかと明滅し、意識がほつれたが、悲壮な声を上げる主人を守るため奥歯を噛みしめ上体を起こした。

 と、同時に、先程まで自分たちを追ってきていた蹄の音が私たちの前で止んだ。


「ずいぶん面倒をかけてくれた」


 私と主人――サクラ様へ、赤毛の短髪と切れ長の冷たい青い瞳を持つ中肉中背の、二十台前半位の青年が、感情の無い声をかけてきた。

 追手の数は、五人。

 鎖帷子を装備し、腰には護拳の付いたサーベルを下げ、マスケット銃を肩に担いだ銃兵。馬上からこちらを見下ろしている。


「瑠璃姫をこちらに渡せ。そうすれば、楽に死なせてやる」


 青年は、暗く光の無い双眸で私を射貫く。

 私は、深く息を吐くと、茜色の花の装飾が施された、刀を抜き放った。

 たとい、どんなことがあっても、その要求に従うわけにはいかない。


「銃は使うな、姫に当たる」


 赤毛の青年がそう言うと残りの四人の男たちはサーベルを抜き放ち、馬から降りると私を取り囲み、一斉に襲い掛かってきた。

 私は、先ほどしこたま背中を打ちつけた大木を背に、怯える主人を庇いながら、右手から斬りかかってくる二人の袈裟斬りを弾く。

 そして、間髪入れず突きを放つもう一人の刀身の軌道を、返す刃で逸らした。

  

 続き、大柄な一番左の男が放つ、横なぎの強烈な一撃。

 コレはまともに受けるわけにはいかない。私の直感がそう告げている。

 何とか力を受け流そうと、両手に持つ獲物を垂直に立てて、インパクトの瞬間を狙い刃先を斜め後ろに傾けた。

 

 しかし普段ならば、なんの事もない動きなのだが、今は一挙手一投足が苦痛を伴い、動きを鈍らせる。

 その一瞬の遅れのせいで、私は剣戟の力を逃がしきれずに地面へ叩きつけられることとなった。

 刀も弾き飛ばされ、後ろの木の根っこの辺りに転がっていった。


「しっかりして、カエデ」


 主人、サクラ様は仰向けに倒れる私へと駆け寄った。

 彼女が羽織るローブのフードは、しゃがみ込む勢いで、後ろへとずれ、彼女を象徴する腰まで伸びた美しい瑠璃色の髪と、幼さの中にも気品を感じさせる整った容貌があらわとなる。

 彼女のその美しい、満月の様な金色の瞳は涙でぬれていた。

 

 ああ、彼女を何としても守らなければならない、この身に代えても。

 私は、立ち上がろうと腕に力を込めるが、体中が軋み、痛みと共に力が抜けた。

 

 いけない、体に力が入らない。視界もおぼろげだ。

 私は、こんなところで、倒れるわけには――。

 

 それと同時に、悲し気なサクラ様の、私を呼ぶ声が遠くから聞こえる。

 

 そこで、私の思考は佛切れとなった。



***



 抜き身の剣を手にした四人の男は、ゆっくりとわたしへ近づいてきた。

 その後ろで、馬にまたがったままの、恐らく彼らの首魁であろう赤毛の青年が、短くわたしの腕で気を失いぐったりとしたカエデを見下ろし短く吐き捨てた。


 ――殺せ、と。


「わたしの身柄が狙いなのでしょう!あなた方に従います、だから、どうかこの者の命は!」


 わたしはカエデの体を強く抱きしめ、叫ぶ。

 この人だけは、失いたくない。すべてを失った私に残された唯一の大切な人。


 しかし、無言で、がっしりとした体躯の男は、わたしをカエデから引きはがした。

 とっさに手を伸ばすが、それは空しく切る。何もない空間を。


「やめて!」


 男はサーベルを逆手に、頭上へ掲げた。

 別の一人に羽交い絞めにされて身動きの取れないわたしは、その後に起こるだろう凄惨な現実を直視する勇気がなく、思わず顔をそむけるときつく目を閉じその瞬間を待つことしかできなかった。



***



 わたしの国、ケノーランド大陸の東端に位置する、リーアは、長い歴史を持つが、中央のフレイス王国や南方のローレンシア帝国と言った大国に飲み込まれない様、周辺の小国が集まり形成されたロア・バ=キー連邦のうちの一つの小さな国家だった。

 急峻な山に囲まれ国土は小さいながらも、質の良い鉄鉱石や石炭が産出され、それらを使った独自の技術を持つ。

 

 リーアの鍛える鉄は、鋼と呼ばれ、通常に加工した鉄よりも高い靭性・可塑性を持ち、高品質な武具や錠前といった金属製品の材料として重宝されていた。

 それは、近年軍事力の増強に力を入れているフレイス王国との良好な関係を連邦が築くことにも一役買っていた。


 わたし、サクラ=ライリ=リーアは、そんなリーアの第一王女として生まれた。

 国王である父様や、王妃の母様は優しく、二人いる兄様たちも、年が離れているせいかわたしを目に入れても痛くないくらい可愛がっていた。

 近侍としてわたしが物心つく少し前から仕えているカエデ=ハクスウは、少し固い性格ながら清廉な人柄で、姉妹の居ないわたしは、彼女を実の姉のように慕っていた。


 そんな人たちに囲まれ、わたしは何不自由ない幼年期を過ごしていた。


 状況が変わったのは、わたしが十五歳の誕生日を迎えた時だった。

 母様譲りの美しい瑠璃色の髪の毛と、銀色の双眸を持つわたしは、人々から瑠璃姫などと呼ばれていた。(正直言いすぎだと思うが)


 わたしは、母様に案内され、王城の地下にある幾重にも封印が施された一室に案内された。

 そこは、古えよりリーアに伝わる遺物アーティファクトと呼ばれる物品の保管場所だった。


 ガラスの様に透明な、手のひら大くらいの大きさの球形で、どういう原理か、わたしの腰ほどの高さの柱の上に浮いている。

 母様の話によれば、リーアの王族、しかも女子にのみ、この遺物を動かすことができるとのことだった。


 長い伝承の中で詳しい内容は失われてしまったようだが、この世界に大きな変化を与えるほどの力を持つと言い伝わっている。

 そして、このアーティファクトを起動するカギとなる祝詞は、代々王女が十五の年になるか、后として迎え入れられた際に先代より受け渡される。


 母様は、説明を終えると、わたしに顔を寄せ、二人だけにしか聞こえない声量で聞いた事の無い呪文のような言葉を呟いた。

 そうして、にこりと母性に満ちた微笑みを私に向けたのだった。



 ――それが、わたしが見た、母様の最後だった。



 数日後の深夜、わたしは、呆然と自室の窓から喧騒に包まれる城下町を眺めていた。

 突如として、連邦内のいくつかの国が、周辺諸国へと攻め込んだのだ。


 火の手が方々から上がり、悲鳴と怒号が徐々に迫ってくるのを感じる。

 なぜ、こんなことになったのだ?

 一人ごちたが、答えはない。


 やがて、自室の扉が乱暴に開け放たれた。

 わたしは、恐怖に慄き、そちらへ振り返ると、そこには、肩で息をし額から大粒の汗を流す黒緋色の髪をつむじの辺りでひとまとめにした切れ長の瞳を持つ女性、カエデが血に濡れた茜色の愛刀を片手に立っていた。


「カエデ!これはいったい?父様や母様、兄様たちは?」


 わたしの問いに、カエデは無言で首を横に振る。


「・・・そん、な」


「あなただけは、必ずお守りします・・・!そう、約束しました」


 思わず崩れ落ちそうになったわたしを抱き止め、カエデは歯ぎしりをしながら、力強くそう言った。

 そうして、わたしを抱える様にして立たせると、駆け出したのだった。



***



 いつしか、朱に染まった周囲は、宵闇に包まれていた。

 不意に、乾いた破裂音が、何の前触れも無く轟くと、逆手のサーベルごと男の肘から上が吹き飛んだ。


 苦悶の悲鳴を上げ、地面を転げまわる男。

 残る三人と、赤毛の青年は、音のした方向へと一斉に目を向けた。


 次の瞬間、わたしが目にしたのは、灰色の髪と、息をつく間もなく一撃で、次々と崩れ去る男たちだった。

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