第二十一章 あの日

 俺の記憶に強くこびりついて離れない景色。二度と見れないという確信があった。あの景色をもう一度見たい。あの日に戻りたい。


 誰にだってあるだろう。昔に戻りたいという気持ちも、戻りたくないという気持ちも。


 俺達は常に喝采を浴びていた。俺ももちろんそうだった。レナだって”ムソウの魔女”と呼ばれているし、ライトも”アルヴァーンの盾”なんて呼ばれている。氷河も”百発百中”という異名を獲得して龍牙の”絶対竜王”と並べて見られることも多い。今はまだ異名など持っていない天も、しばらくすればすぐに異名の一つや2つは獲得するだろう。


 俺は、その異名に耐えきれなかった部分がある。


 アルヴァーン戦争の終戦後、俺は”伝説の剣士”と呼ばれるようになった。だが、俺はその異名に対して喜ぶことはできなかった。理由は一つだ。”伝説の剣士”なんて呼ばれるぐらいなら、親友を失うことなんてなかったはずだ。俺にその異名は合わない。ずっとそう考えていたのだ。




 俺はあの頃に戻りたい。俺とライズの2人で剣術大会に打ち込んでいたあの頃に。でも、俺にはあの頃に戻る術なんてない。もし、方法があったとしても、戻ろうとは思わないだろう。


 俺は過去のライズと過去の日常を過ごしたいのではない。ライズと、これからの日々を過ごしたい。タイムマシンがあったとしても、俺の願いはかなわない。俺が知る限り、この願いを叶える事が出来るものは一つだけ。


 使用者の願いを叶える神器。”女神の聖杯”。



 実在するかも怪しい幻の存在に、今必死になってしがみついているのは何人いる?俺の他に何人だ?



 ライバルがいなくたって到底無理な話だ。ソレを俺はやろうとしている。



 俺は、ただあの日に戻りたいだけ。すべてが終わったあの日に。


 俺は、ただあの日のように笑い合いたいだけ。夢が叶ったあの日に。





「はぁ…はぁ…」

 荒々しく息をしながら、路地にて壁に背を預けながら崩れ落ちる。



  アルヴァーン戦争が終戦したあの日、俺は政府軍のメンバーとは遠く離れて、一人で戦っていた。その2日前に敵の本拠地を完全に無力化したばかりだ。


 身体は既に限界を超えている。とっくの前に悲鳴を上げることなど止めたこの身体を、無理やりに動かしてひたすらに敵をさばいていく。ただ、目の前を動くものに反応して剣を振るうだけ。返り血を浴びても気にすることもなくなった。全速力でダッシュしながら、出てきた相手に剣を撫でつける。それを繰り返すことで敵兵は少しずつ減っていく。しばらくその調子で戦っていると、自分の中の何かが崩れていく感覚があった。もう普通の人間には戻れないような、タガが外れていくような感覚。


 おそらくそれは、人を手にかける事に対しての恐怖。




 なんとなく見つめた自分の左手が小刻みに震えているのに気づく。そして、続けて気付く。俺の目から涙が流れているということに。俺にはわかった。これは恐怖による涙じゃない。



 これは、遅れてやってきた喪失感。寂しさによる涙なんだと。



 恐怖とは、一種のリミッターだ。その感情を忘れると、それはもう人間とは言えない。


 俺はソレのせいで、自分の事を人間とは思えなくなった。世界の不条理によって創られた兵器。


 そんな俺は世界を恨むようになった。すべてあの大戦からだ。ライズを喪い、人間性を失い、そして、目標を失った。俺には何も残っていない。ただ、俺の手の中にあるのは空虚な虚ろ。虚無を抱いても、それをもってどこにいける訳でもない。行くべき場所を、居場所をも失った俺はこの後、表舞台から姿を消すことになる。これ以降の経歴は、次の大戦である異界戦争まで、記録に残らないようになる。


 俺だけじゃない。

 天にも。龍牙や氷河に、そしてレナにも。全員に、”それぞれのあの日”があり、そのあの日を取り戻すため、乗り越えるために。そのために戦っている。

 人々は『過去を振り返るな』『過去に囚われるな』と、文字通り口をそろえて言う。だが、そんなのはただの綺麗事だ。

 自身の過去から解き放たれるのは、想像以上に難しい。『振り返るな』なんて台詞を吐くように簡単にできる事ではない。人間なんて所詮そんなものだ。全員が多かれ少なかれ過去に囚われている生き物だ。『囚われるな』なんて言葉を放った人間でも十中八九、何かを思い返している。人間とはそういう生き物だ。




 そして、この世の中には、過去に囚われているからこそ、足を動かす理由を得ている人間がいる事を忘れてはいけない。


 俺は実際にその一人だ。


 過去を見るぐらい好きにすればいい。重要なのは前を向くことじゃない。後ろを向いたまま前に足を出さないようにすること。後ろぐらい見てもいい。立ち止まることは大切だ。前に進むことを意識しすぎて倒れたら元も子もない。


 辛いことからは逃げてもいい。『逃げたら笑われる』なんてのは、逃げているように見えるから言われる台詞だ。


 なら、前に向かって逃げればいい。それは他人にとって逃げているようには見えない。ただ、人の瞳には突き進んでいるかのように映るのだ。俺は逃げる日々を繰り返してきた。今だって必死に逃げている最中だ。俺の足を絡めとろうとする過去から、自分自身から。







 おそらく、俺以外のみんなもそうだろう。必死に、呪縛から逃げている。


 あの日以降、俺達の人生は大きく変わった。俺達の思い描いていた人生は、絶対に掴めなくなった。




 そう、すべてはあの日から。あの日から歯車が狂った。




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