第3話「アテナとくみの誕生」

「くみ、どういう事なのか私の前にすわって説明しなさい。」


母アテナの前に正座をさせられたくみは、助けを求める目を祖父に向けた。


祖父は目をそらした。裏切られた…


くみは母親のアテナを誰よりも愛しているのだが、苦手にがてでもあった。



くみの母親であるアテナは、もちろん日本人ではない。


 彼女はギリシア生まれのギリシア育ち、金髪で碧眼へきがん生粋きっすいのギリシア人女性である。


 それが何故なぜこんな日本の都市に住んでいるのかと言うと、アテナの夫でありくみの父親でもある榊原さかきばら竜太郎りょうたろうが現在、ジェット旅客機の国際線機長をしていることに関係する。


 アテナは竜太郎と出会う前は母国ギリシアにおいて、やはり国際線のCA(キャビン・アテンダント)をしていた。ギリシアのごく平凡な家庭に生まれ育ったアテナだが、彼女の出産前日の夜に母親は女神アテナの夢を見たという。


 生まれ出る際にアテナは身体から黄金色の光を発していたと、当時の分娩ぶんべんに立ち会った担当の産科医師や看護師が証言している。何よりも分娩室で立ち会っていたアテナの父親自身が、その現象を自分の目で確認していたのだ。


 生まれ出た女の赤ん坊を、以上の様に不思議な出来事から「女神アテナの生まれ変わり」と、その場にいた関係者全員が思い込み口にしたのも、あながち不思議な事ではなかった。


 赤ん坊は両親により「アテナ」と名付けられた。アテナは皆に誕生をたたえられ、祝福された。彼女は生まれてすぐ両目を開き、まるで見えているかのように、自分を見る大人達の目をつぶらな瞳で見つめ返した。その瞳は美しく澄んだ碧眼へきがんだった。


こうしてアテナが誕生した。


 アテナは幼い頃より聡明そうめいで、まわりが息をのむほどの美貌びぼうの持ち主でもあった。彼女は国際的な仕事にきたいと国際線のCAを目指して勉強し、大人になって夢であったその職にくことが出来た。


 だが、アテナにとって不幸だったのは自身の完璧すぎる美貌びぼうである。まわりの男達は彼女のあまりの美貌びぼう委縮いしゅくしてしまい、誰も彼女に交際を申し込む事は無かった。


 アテナはそんな自分をおごることも卑下ひげすることもなく、自分の仕事に自信とほこりを持って勤務についていた。22歳になってもいまだ彼女は処女のままで、けがれを知らない身体だった。


 そんなアテナに運命の出会いが訪れた。日本からの国際便の副機長としてギリシアへとやって来た、アテナにとっての運命の男、榊原さかきばら竜太郎りょうたろうとの出いである。


 日本の国際便の乗員とギリシアの航空会社スタッフとの間で、親睦しんぼくを深めるための交流会が開かれた。日本からのギリシアへの観光客は多い。日本の乗員達にギリシアという国を深く知ってもらうためにも、航空会社はもちろん、国にとっても重要な交流会であった。経済面でも日本と手を結びたがっているギリシアにおける重要な人々が多く参加していた。


 その交流会にまねかれて出席していた竜太郎と、ホスト側としての出席者であるアテナが顔を合わせる事となった。


 二人にとって衝撃的な出いであった。目を合わせた瞬間、まるで稲妻いなづまのような衝撃が二人の間に走った。挨拶あいさつで目の前に立った二人は、互いに運命的な相手であることを直感で感じ取ったのだ。まるでこの出会いが決められていた運命であることを、本能の様に二人は感じた。二人には、互いに相手以外の人間が存在していないかのようだった。まわりの全ての時間が静止したかのように、二人は長い間見つめ合っていた。


 互いの感情を言葉に出さなくても、気持ちが共鳴し合ったのだ。二人にとって言葉は必要では無かった。互いの気持ちを理解するのは、見つめ合うだけで十分だったのだ。


 二人はその場で互いに恋に落ちた。竜太郎りょうたろうもまた独身だったのだ。二人の間にある国際的な壁などは、愛し合う若い二人にとって何の障害にもならなかった。アテナはあれだけ夢に描いて苦心して努力の末に就いたCAの座をするのに、何のためらいも持たなかった。遠い異国である日本の竜太郎りょうたろうの元へととつぐ彼女の決意は、決してるがなかったのだ。アテナにとって、竜太郎との出会いからわずか数か月後のギリシア出国となった。


 アテナの両親は健在であったが、彼女の意志が強く竜太郎への愛が海よりも深いのを理解して、二人の国際結婚と娘アテナの日本への移住を許した。彼らは女神アテナの生まれ変わりである娘の固い意志に、何ら疑問を抱かなかった。


 こうして、アテナははるか異国の地ニッポンへとたった一人でとついできたのだ。しかし、彼女には何も不安は無かった。自分が愛する男、榊原さかきばら竜太郎りょうたろうの元へ来ることが彼女の全てだったからだ。この時アテナが24歳、竜太郎りょうたろうは30歳だった。


 二人は幸せだった。当時、国際便の副機長である竜太郎りょうたろうは仕事がら、家を留守にする事が多かったのだが、二人は結婚後も夫婦として仲睦なかむつまじく、互いに深く愛し合った。


 結婚二年後にくみが生まれた。竜太郎りょうたろうは勤務で海外にいたため、アテナの出産には立ち会えなかった。


 この日、アテナは両親から聞かされていた、自分自身の誕生の時と同じような奇跡を目にする事になった。生まれ落ちたくみの全身は、まばゆいばかりの銀色に輝いていたのだ。これは分娩に立ち会った全ての関係者が目撃した。信仰心の薄い日本の人々にとっても、初めて目にする衝撃的な光景であり、生まれ落ちたばかりの赤ん坊の発する光に、思わず手を合わせておがんだという。


アテナだけがこの奇跡に驚くことは無かった。そして彼女は赤ん坊のほほにキスをしながら、ひとりつぶやいた…


「私のニケ…」


アテナ自身が、無意識につぶやいた自分の言葉にとまどった。


私は何故、この子の事を「ニケ」などと呼んだのかしら…


アテナ自身にとっても分からなかった。


「ニケ」とはアテナの母国ギリシアの国民なら子供でも知っている、勝利の女神の名前だったのだ。


母アテナが呼んだ「ニケ」こと榊原さかきばらくみの誕生だった。

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