3.噂

 お昼休みは基本的に自由な場所で過ごしていいことになっている。

 それをいいことに、いつもの空き教室でお弁当をつついていた。

 私たちだけしかいない教室は、まるでほかの世界からは隔離されているように外の音が遠く反響して聞こえる。

 机を三つ寄せて、にぎやかな二人の会話をBGMに、私はあの日以来会話をしていない柳生くんを思い出していた。

 彼はいつも、机に突っ伏しているか、ダルそうにしつつも真面目に授業を受けているかのどちらかだった。

 誰かと雑談をしているところを見たことはないし、帰りのSHRが終わると同時にすぐに教室を出てしまう。


 話したいわけじゃない。

 でも、気になってはいる。

 どうして柳生くんは助けてくれたのだろう。


 あれから数週間が経った。

 柳生くんとは一言も話していない。


「そういえば最近未結、柳生のことよく見てない?」


 唐突な言葉に、卵焼きを落っことしかける。

 今、なんの話をしていた。

 確か、タナカくんがサエキさんと付き合いだしたとかなんとか。

 つまりはいわゆる、恋バナだ。


「え、なに未結。柳生のこと好きになっちゃったの? なんで? いつ!?」


 食い気味に来る、というか、物理的に迫ってくるサラに、私はどうしようか、と考える。

 たぶんこの場合、そうだよ、と答えたほうが盛り上がるのだろうし、彼女たちも楽しいのだろう。

 だけど実際のところは、気になりつつも、そういった類の感情はまったくない。

 向こうだってそんな感情を抱かれたら、いい迷惑だろう。


「そういうのじゃないよ」

「なーんだ」


 つまんないのぉ、とサラが唇を尖らせた。

 椅子にストンと座るとすぐに興味を失ったのか、購買部で買ってきたパンが入っている袋を漁りだす。

 その横でアリサがほっと息を吐いた。


「よかった」

「よかった?」

「柳生、ちょっとあれな噂があるからさ」

「あ、サラそれ知ってるー! 柳生って視えるんでしょ?」

「見えるって」

「ユーレイが視えるんだって。面白いよね」


 キャッキャと高い声で言うサラは、言葉のまま面白がっているようだ。

 対するアリサは、そんなサラを呆れたように眺めている。


 そういえば助けてくれたとき、一瞬柳生くんは私のうしろを見ていた。

 まるでそこに誰かいるような、そんな目で。


「私は小学校同じだったから知ってるんだけど。それでちょっと色々騒ぎになっちゃったことがあってさ」


 顎までの長さに揃えられた軽やかなグレージュがサラリと揺れる。

 それを耳にかけながらアリサは、小さく笑った。


「だから心配してたんだけど、そうじゃないならよかった」


 言外に、柳生くんに近づかないでと、そう言われた気がした。

 どんな騒ぎなのか気になったけれど、アリサが詳細を言わないのなら、それは言いたくないことなのだろう。

 無理に聞き出そうと思うほど興味があるわけでもない。


「未結はユーレイって信じる?」


 パンの袋を細い指で開けながら、サラが訊いてくる。


 幽霊。あの世。死後の世界。


 私たちは、死んでもまだ生きていたころと同じように、人間関係や感情などに縛られ続けるのだろうか。

 この灰色の感情はどこかに消えてくれるんだろうか。

 それとも、また形を変えて私の中に居座り続けるのだろうか。


 こんなこと、死んだことのない私にわかるはずがないのだけども。


「会ったことないから、どうかな。なんとも言えないかも。サラは?」

「サラはねー、いたら面白いなって思うよ。だって、死んでも未結とアリサと一緒にいられるってことでしょ?」

「そういうの、不謹慎だからやめようね、サラ」

「えー、アリサ真面目だなー」

「真面目じゃないから」


 メロンパンにかじりつくサラ。

 頬をいっぱいに膨らませて食べる姿は、お行儀は悪いけれどリスのようで可愛らしい。


「サラ、ほっぺたにカスがついてる」

「えー嘘、未結取ってー」

「手、届かないって」

「ほら、取ってあげるからこっち向きな」

「アリサありがとー」


 いつも通りのやり取りに、思わずクスリと笑ってしまう。

 灰色の感情は、その間もずっと絶えることなく、乾ききったささやきを繰り返していた。


 ただただ、死にたい、と。

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