第七章 ⑥
「ねぇ、詩遠。今起こっていることの全部、全部を教えて」
開口一番、悠姫はそんなことを俺に言った。その顔は、何処か決意に満ちた顔をしていて、それはもう、先ほど洗面所で見せた顔とは似て非なる、もはや別人とも思えるほどのものであった。
何が悠姫をここまで奮起させたのかとても気になったが、それといい、環姓の言い伝えといい、こんな玄関先で軽く話せる内容ではないだろう。
「......上がってくれ」
だから俺は、玄関のドアを可動域ぎりぎりまで開けて、悠姫を家の中へと招いた。
悠姫は軽く頷くとドアをくぐり、ゆっくりと靴を脱ぎ始めた。俺はそんな悠姫に対して、茶でも淹れるから先に自室に行っていてもらうように言った。すると悠姫は、これまた静かに頷くと、俺の部屋へと続く廊下を何も言わずに歩き出した。
俺は玄関ドアの鍵を閉めると、あまり悠姫を待たせないようにと早足でキッチンへと向かう。そして、キッチンにて俺は、朝と同じようにインスタントコーヒーを淹れる。その際、朝のことを思い出し、その二の舞にはならないよう粉の量には気を付けて淹れた。
俺は出来上がったコーヒーを盆にも乗せず、両手にマグカップを持ってキッチンを後にし、忙しく廊下を歩いた。そして、親の顔と同じくらい見た自室の扉を、コーヒーが零れないように腕と体(主に背中)を使って開ける。
「すまん、待たせたな」
「んーん、大丈夫だよ」
「.........それで、『全部を教えて』って言ってたが」
俺は、そんなやり取りをしながらコーヒーを卓上に置き、朝と同じような配置で悠姫と向き合う。すると、悠姫は早速マグカップに手をかけながら、こう答える。
「うん、言葉通り。今起こってることの全てを私に聞かせてほしいの」
「......まあ、それは俺のしなければならない義務だし、何ら問題ないんだけどさ、お前、この数時間で何があったんだ?」
「へっ?」
俺の言葉に、自らの口にマグカップを運んでいた悠姫の手は止まる。
そしてその表情は、明らかに動揺しているようだった。そこまで俺にこの質問をされることが意外だっただろうか。どちらにせよ、言いたくない類のことがあったのは分かったから、必要以上は詮索しないほうがいいだろうと、適当に言葉を濁す。
「何かはあったんだな」
「.........ごめん」
「別に怒ってるわけじゃねえよ。ていうか、頭の整理は早ければ早いほどいいんだからむしろ有難いくらいで。......じゃあ今から、俺の知ってるすべてを話す」
俺はそうとだけ言うと、今悠姫や紫水の身体に起こっていること、つまり環姓の言い伝えのことをすべて話した。説明の間、悠姫はまともな口は挟まず、ただただ相槌を打って聞いていた。そして、小一時間が経過し、説明も終盤といったところで、話題はついに『悠姫と紫水、どちらを選ぶのか』というところに到着した。
「.........それで、どちらの魂を定着させるか、という話になるんだけど.........」
さすがに口ごもってしまった。もちろん、昨日から俺の答えは変わっていない。変わってはいないのだが、どうしても本人の目の前だと言い出しづらい。
「......ねえ」
と、どう切り出そうかと頭を悩ませていた俺に対して、悠姫は約一時間ぶりに口を開いた。
「それについて、私からちょっとしたお願いがあるんだけど」
「お願い?」
「うん。.........私の口からこう言うのも変な話だとは思うんだけどさ、私からの最期のお願い。......聞いてくれない?」
「悠姫、お前............いや、いい。言ってみろ」
悠姫が今言ったその言葉たちで、何を聞いてほしいのかはすべて分かった。それは悠姫もわかっているだろう。だが、敢えて俺は悠姫の口から言わせるように促す。すると、俺の返事を受け取った悠姫は、どこか儚げに笑いながら、こう言った。
「どうか、蘭ちゃんを生かしてあげて?」
いつもの悠姫とは大違いで、今の悠姫が何を考えているのか、俺にはさっぱりわからなかった。分かるのは、悠姫の涙の跡と、今の表情。そして、この願いは決して適当に決めたわけではないということだけだ。
俺は、そんな悠姫を前にして気の利いた返しなど思いつくはずもなく、中途半端に自分の気持ちも混ぜた軽口で対応してしまう。
「...............そのつもりだったと言ったら、どうする?」
「思いっきりはたく」
「り、理不尽だ......」
「けど、是非そうして欲しい。きっと、私はもうこの世界にいてはいけないんだよ」
「.........そんな、悲しいこと言うなよ」
「ごめんね、私、詩遠が私のことを大切に思ってくれていることは知ってるの。けど、わたしはもう死んだ。もしここで私を生かしたら、今まではきっちりと動いていた歯車が、どこかのタイミングで狂いだすんじゃないかって思ってる。
悲しいことかもしれないけど、それが当たり前のことなんだよ」
「.........そんなこと言ったら、もう俺の歯車は狂ってるよ」
「それは、私が死んだから狂ったと言いたいの?」
「まあ、因果関係を考えればそうなるだろうな」
「はあ.........部長とあろう者がそんなんじゃ、頼りないよ?」
「なっ......」
「歯車って、狂ったら直さないといけないけど、それは自動的に直るものじゃない。そうでしょ? 自分で、上手くはまるように調節することをしなければならない」
「......ぐうの音も出ないな。............すまん、俺の不甲斐なさを悠姫のせいにして」
「まあ、私もここでやり残したことがあったから、少しは感謝してるけどね」
悠姫はそう言うと、仕切り直しと言わんばかりに、すっかりと冷めたコーヒーを一気に喉へと流し込んでから改めて口を開く。
「とにかく、二人の意見が同じなら問題はないよね?」
「......まあ、そうだな」
「........あ、あともう一つ気になったことがあったんだけど」
「どうした?」
「詩遠が私に抱いてる、未練って何なの?」
「............」
もうそろそろ話も終わりだと気を抜いていたら、急に鋭い質問が飛んでくる。悠姫にとっては軽い質問なのかもしれないが、俺にとっては、まるで寝首を掻かれた気分だった。
.........しかし、どう答えたら良いものなのだろうか。ぶっちゃけた話をすると、俺自身、悠姫に対して抱いている未練というものがどういうものなのかを、具体的には分かっていないのだ。逆に言うと、大きな範囲では分かっている部分もある。
謝罪や礼、悠姫に対しての恋情。このあたりについてのことなのだろうというのは、想像に難くない。だが、そんな大雑把なことが分かっただけでは何の意味もないのだ。
例えば、謝ると言っても、何を?
そりゃ、悠姫に対して謝らなければいけないことなんて数多くある。が、それを一つ一つ謝っていては日も暮れるし、そもそも、それらの謝らなければならないことの全部が全部に未練があるわけではない。
それ故、俺は特に謝罪できなかったことに強い後悔を覚えていることだけをピックアップする必要があるのだが、それがまだできていない。それは礼に関しても、恋情に関しても同じだ。
言い訳がましくなってしまうが、ここ最近は、この言い伝えのせいでドタバタしており、これらを考える時間を確保することが出来なかったのだ。
とりあえずそれはいいとして、どう答えようか。
.........まあ、別にここで嘘をつく必要性はどこにもないよな。
「実はさ、まだあんまり分かってないんだよ」
「分かってない?」
「ああ。より正確に言ったら、詳しいことは分からない、だけど」
「それって、まずいんじゃないの?」
「ああ、少しマズい。この言い伝えが収束するのは今から四日後だから、それまでに考えないといけないからな」
「うーん............。あ、じゃあさ、詩遠。明後日私とデートしようよ」
「デ、デート?」
「うん、私と一日中一緒に居よう。そして、いっぱい話そう。そうしたらきっと、詩遠が持ってる未練って見えてくると思うんだ」
「確かに、それは一理あるかもしれないけど、それをデートと呼称するのはどうなんだよ」
「単なるお出かけって言うより、デートって言う方がワクワクしない?」
「.........その感性は俺には分からないけど、まあ、悠姫がそう呼びたいなら好きにしてくれ」
「よし、じゃあ決定だね! 行先は明日にでも連絡するから、そういうことでよろしく」
「分かった。じゃあ俺も、悠姫との最初で最後のデート、楽しみにしておくよ」
なぜだか知らないが、明後日悠姫とデートすることになってしまった。......とすると、明日には俺の持つ未練を確認しておかないといけないな。
いや、別に俺は悠姫の意見を否定しているわけではない。けど、なんだ。せっかく悠姫と出かけられるのなら、あまりこの言い伝えのことは考えたくないというか、ただ純粋に楽しみたいというか。
そんなこんなで、俺の明日と明後日の予定は、例を見ないほどの過密スケジュールとなるのだった。
第七章 終
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