第一章 ②

「じゃあ、また明日な」


 大きなあくびを漏らしながらカバンの中の整理をしていると、斜め上からさっきも聞いた妙にさわやかな声が聞こえきた。今度はゆっくりと、その声を方向を見る。

 そこには、やはり笑顔な篠原がいた。ここまでにこやかだと、胡散臭かったり、逆に怖くなってくるが、こいつはそれ以上のさわやかさを持ち合わせているのでその笑顔を不快に思うことはなかった。俺は、おうとだけ返すと、どこか満足気に篠原はそのままドアの方へと向かっていった。

 その後、篠原が教室から出ていくのを視線で見送ると、俺は、その後を追うように勢いよくカバンのファスナーを閉め、座ったまま椅子を引き、そのまま立ち上がった。

 ガラガラと音を立てながら、椅子を机の天板の下に収める。

 と、ここで周りの目を全く気にせず、大きく伸びをする。いろいろな個所がほぐれてとても気持ちがいい。......ちなみに言うが、いつどんなタイミングでも俺は周りの目など気にしたことはない。というか、する必要がないと言った方が正しいだろうか。

 その後、大きめに息を吐いてからカバンを右肩にかける。

 そして、少し気だるげな気分のまま、終礼から十分近く経ったにも関わらず未だにうるさい教室を後にした。



 俺は慣れた足取りで、トリカブト研の部室として使わせてもらっている情報処理室へと向かう。

 通常、この学校の部活動の部室は、校舎とは別に建てられている部室棟に固まっているのだが、俺が今から向かう我が部室である情報処理室は、情報の授業なんかで使うため、校舎内に存在している。そのおかげで、教室からの移動が楽でとてもいい。

 活動をほとんどしなくてもよく、それでいて部室が近く、さらに部長職までもらえる。ここまで恵まれている環境もそうそうないだろう。

 しかし、未だになぜ活動人数三人の部活に情報処理室という豪華な教室が用意されたのかは謎である。

 ......しかも、半年前からは二人だというのに。

 もともと、我らがトリカブト研究会は、俺と俺の幼馴染である金村悠姫の二人を部員として創設された部活である。決して他の誰も入ろうとしない、先ほども述べた通りこの学校では相当数蔓延っている仲間内の部活の一つだ。

 しかし、今年度の四月。そんな認識は改められることになる、

 なんと、驚くべきことに、新入生の一人がこの部活に入部してきたのだ。

 それも、俺も悠姫も面識のない人。

 何故うちに入ってくれたのか、それとなく聞いてみたことがあるが、のらりくらりとかわされ、未だに理由は知らない。

 まあ、結果論ではあるが、別に変な奴でもなければ悪い奴でもない。むしろそれらの反対の位置に存在するような人間だったから良かったといえばよかったのだけれど。

 それに、悠姫もそいつをなかなかに気に入っていたしな。

 そして、とある事情により今は悠姫が幽霊部員となり、今の部員は俺と件の後輩の二人だけとなっている。

 正直、机と椅子が三つずつあったら十分だったんだが......。まあ、広すぎて困ることは決してないから文句も沸いてこないんだけど。

 そんなこんな考えているうちに、俺はいつの間にか情報処理室へと到着していた。

 位置的には校舎四階の端に位置するため間違えようがないのだが、一応、ドアの上に引っ付いている白バックに黒文字のプレートを確認する。

 そこには、少し黄ばんだ白い紙の上に、でかでかとゴシック体で『情報処理室』と書かれていた。

 俺はそれを確認するとほぼ同時に、ドアの引手に手をかけ、左に動かす。

 すると、軽い力でドアが開いた。どうやら件の後輩はもうすでに来ているようだ。

 そう確信すると、カラカラと軽い音を立てながらドアをすべて開けきる。

 それと同時に、情報処理室の真ん中の席を陣取って静かに読書をしていた後輩である紫水蘭が、ちらりと俺を一瞥した。

 そして、彼女は来たのが俺だということが分かったのだろう。紫水は丁寧に、本に淡い桃色のしおりを挟んで、から再び俺の方を見た。

 そして、柔らかく自然な笑みを浮かべて、一言。


「こんにちは、先輩」

「おう。.........紫水、最近調子はどうだ?」


 俺は、いつもしているような軽い返しのあとに、らしくもない質問を加えて言った。それがなぜなのかは、この世界で誰も知らない。

 すると紫水は、鳩が豆鉄砲を食ったように、口をぽかんと開けて、静止した。

 そこまで驚かれるような質問だっただろうかとこちらも少し困惑しながらも、紫水の時を進めようと顔の前で開けた手をぶんぶんと振る。


「おーい、紫水ー?」

「.........はっ。ごめんなさい先輩。先輩が話しかけてくることは珍しいもので、驚いてしまいました」


 はは、と笑い飛ばす紫水。

 俺は今この瞬間、普段から紫水との会話を増やそうと決意したのであった。......というか、そもそも俺はそこまで普段話さないか? そう思って小首をひねるも、まあ、思い当たる節がないわけでもないので、素直に反省することにした。

 俺は、ちらりと紫水を一瞥する。


「......? どうしましたか、先輩」

「いや。なんでもねえ」


しっかし、本当にこいつは何故この部活に入部してきたのだろうか。.........俺は、久しぶりになぜ紫水がこの部活に入ってくれたのかということを、遠回しに聞いてみることにした。今日の作戦は、『高校に入る前、どこかで会ったことがあったか?』で行こうと思う。......まあ、それでもし「はい」とでも言われたら俺はいろいろな面で肩を落とすが。

 そうと決まると、俺はさっそくその作戦を行動に移す。


「あの、先輩。本当に何か用でも?」


 ......前に、紫水の方からアクションを起こしてきた。確かに、いつもならそそくさと窓際の席に行くのに、今日に限ってはずっと教壇の前から動こうとしない。もしかしたら、紫水から見た俺は変に映っているのかもしれない。

 まあ、だがしかし。この紫水のフリはナイスだ。いきなり俺がさっきのセリフを言うよりも、不自然さが下がることは間違いがない。もしかしたら、件のことについてさらっと教えてくれるかもしれない。

 そう思って、咳ばらいを一つしてから、俺は言葉を紡ぐ。


「ああ、ちょっと気になっていることがあってな」

「はい、何でしょうか」

「いやさ、本当に今更なんだけど、俺たちって高校に入る前、どこかで会ったことがあったような気がするんだが......気のせいか?」

「.........っ!? ......え、えっと」


 紫水は、一度身体をピクリと震わせてから、口ごもってしまった。

 あれ、何だ? 俺が思っていた反応とは違うぞ? というか、その反応はどう考えても肯定の反応だと思うんだけど。


「......え? お前、マジなのか?」

「............。い、いやですね、先輩。そんなワケないじゃないですか」

「................そうか」

「はい。そうです」


 俺は話を終わらせるためにあえてそういう言葉を選んだ。

 紫水という人間は、静かで真面目だからガードが堅そうに見えるが意外とそうでもない。が、こと自分が触れられたくないことに関しては、その限りではない。適当にはぐらかしているように見えても、きっと心の中ではダイヤモンドのように固い盾を構えて防御しているのだろう。

 そして、紫水がなぜトリカブト研に入部してくれたのかということに関しても、そのようにガードを固めてしまっている。一年近く一緒に過ごしてきたわけだから、もう少しガードが柔らかくなってもいいのではないかと思うが、こいつはよく分からないところで線引きをしている節がある。まあ、無理に突っ込むのはよくないだろうと思うから俺はいつも適当なところで撤退しているが。

 俺は、最後に言葉を発して約十秒。そんなモノローグを流しながら、慣れた足取りで俺の指定席である一番前の一番窓側の席まで向かい、おもむろに腰を掛けた。

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