第6話 夜の闇

「何が起きたか知ってる?」

「よくわからないです……学校にいたら今日は帰れって急に言われて、家に帰ったら誰もいなくて……」

「俺も、朝起きたら誰もいなくて……」


ひろしは言った後でしまった、と思った。齢三十を過ぎた男が実家で両親がいないとうろたえていたエピソードなど、気味が悪いだけである。


「奥さん、早く見つかるといいですね」

「あ、あぁ……」


命拾いをした。否、今訂正しなければとてつもない嘘になるとひろしはさらにうろたえることになった。


「お子さんはいらっしゃらないんですか?」

「うん……まぁね」


ひろしは半年前に仕事を辞め実家に戻り引きこもりに近い生活をしていた。子供はおろか、最後に女性と交際したのは10年も前のことである。


「ご両親はどこにお勤めなの?」

「南の工業団地です、二人とも」

「様子は見に行った?」

美希は首を振った。ひろしと同じように、両親の帰りを待ち続け、救助を待ち続けていたのだ。


「生きてるかもしれないよ?」

「……私だってわかってます、一人娘に会いに来ないことの意味ぐらい」


励ますはずが、まさか自分自身に跳ね返るような銃弾を撃つとは思いもよらなかった。三十過ぎの無職を助けに行こうと思うかどうかはわからないが、未だに何の音沙汰もない両親はすでに人間ではないのだろう。ひろしは考えまいとしていた最悪の結果を自らの言葉で想起してしまった。


「生きよう……何があっても」

「生きてていいことありますかね?」

「あるよ、絶対世の中は元に戻る、多くの人が死んでも、必ず復興する」


既に日は落ちてきている。あと30分ほどで日没である。ちょうど目指していた商業施設に着くのと同じぐらいのタイミングである。食糧はなくとも、そこで一泊しようとひろしは考えていた。


500台の駐車スペースに靴屋、服屋、ドラッグストア、スポーツジム、美容院、ゲーム屋そして大型スーパーが軒を連ねるこの複合施設は、地域の商店街を虫の息にした。


「なんだこれ……」

ひろしと美希は駐車場へのスロープを上がると、その光景に唖然とした。

車が何十台か停められており、一見すると営業中のような姿である。しかし、その車両の合間にところどころゾンビの姿がある。その数は数十。車両に行く手を遮られてうまく抜け出せなくなっているのだ。


「ここはダメだ、引き返そう」

「でもお店沿いに歩けば……ほら、私たちには気づいてないみたいだし」


確かにゾンビたちはひろしたちに気づいていないようだった。彼らは嗅覚や視覚が衰えているのだろうか。


「……よ、よし、ゆっくりいこう」

スポーツジムや靴屋の建物を背にし、駐車場のゾンビ群を監視しながらスーパーへと進んでいく。


難なくスーパーの前にたどり着き、ひろしは安堵と同時に少しゾンビを見下した。こいつらに殺されることなどあるのだろうか、両親には悪いがこいつらに殺されることは相当にどんくさいことである。いや、もしかしたら両親はまだ生きているのかもしれない。そんな希望さえ生まれるほどに、ゾンビはノロマであった。


スーパーの自動ドアにはコンビニと同じように椅子やらカートやらのバリケードが作られていた。ひろしはどこかに入れる場所がないか探す。


窓ガラスが割れている一角から中の様子を伺ってみる。既に日は落ちている。西の空がかすかに橙色に見えるだけだ。暗くて中が見えないと窓ガラスから顔を入れるとナイフが目の前に飛んできた。


「誰だ」

先端に包丁をつけたモップを突き出し、ひろしに敵意を向ける男がいた。


「あ、あの……怪しい者じゃないです」

「人間か?」

「はい……」

「ここで何をしている」

「あの、食糧を……探して……」

いつの間にかかたわらに美希が来ていた。しかし目の前の光景に緊張し、立ちすくんでいる。


「ここには何も無い、出ていけ」

「あの……もう日が暮れてきたので、1泊だけできませんか?」

「ダメだ、もう時間がない」

「時間……?」


「日没になるとやつらは暴走する」

「やつらって……?」


「ひろしさん!!」

美希が叫んだ。


窓ガラスから顔を抜き出し、振り向くと、駐車場のゾンビたちの眼光が赤く光り、彼らの体が細かく痙攣しているのが見えた。


ゆっくりとゾンビたちがひろしたちの方を向いて歩き始めた。心なしか足の回転が速くなり始めている。まるで走り幅跳びをする時のようにゆったりとした助走から徐々にペースが上がっている。


「お願いです!開けてください!」

ひろしは叫んだ。


「お願いします!お願いします!」

ひろしと美希の懇願は夜空に響いていった。

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