3-4 ここに鬼はいない

『忌み話』を話したことによる祟りなんて、そんなものはどこにもなかった。


【Tちゃん死んじゃったよ。A子のせいで】


 あれこそが、成美の狂言だったのだ。


 正直、拍子抜けした。

 祟りとか呪いとか、そういう超常的な力によって、知景は死んだのだと思い込んでいた。

 なのにその真相は、友達が友達を殺したという、あっけないほどシンプルな出来事だった。でもだからこそ、ほかのどんな理由よりも残酷だった。


 だれもいない前野家の居間に戻ってから、亜瑚はそのあとの成美の行動を推測してみる。

 きっと彼女はひどくショックを受け、パニックに陥ったことだろう。

 それでも運動神経の良い成美のことだから、いそいで山を降りることができた。運良く……なのか運悪くなのか、いずれにせよだれにも見つからずにすんだ。

 そして亜瑚に罪をなすりつけることにした。

 あんなに必死で亜瑚のせいだと怒鳴り散らしたのは、周囲にも、自分自身にも、その歪んだ事実を刷り込ませようとしていた意図があったのかもしれない。

 だけど結局、成美は自分の犯した罪の重さに耐えきれず、すべてを書き遺したあとで、自ら命を絶った。

 ずっと憎んでいた亜瑚に、呪詛を残して。


 成美に対して怒りは湧かなかった。

 ただ、ひたすらに悲しいと思うだけだ。


 明るくて活発で、いつも私たちのことを引っ張ってくれていた成美。目立ちたがりで負けず嫌いだったけれど、彼女の強さにはたびたび助けられてきた。

 小学校の頃なんか特にそうだった。なにかにつけてとろい知景をからかってくる男どもを、年上だろうが複数人だろうが泣いて謝るまで言い負かしていたのは成美だった。そんな姿は毅然としていて、凛としていて、かっこよかった。

 亜瑚は成美のことだってちゃんと大切な友だちだと思っていた。

 その気持ちに嘘はない。

 でも心のどこかで、優先順位をつけていたかもしれない。

 自分にとっての一番は知景で、成美は二番目。無意識にそう思ってしまっていた節が、ないとは言い切れない。

 成美のほうはその格付けがもっと顕著だ。

 遺書には、成美がどれほど知景に心酔し、知景を敬愛していたかということがつづられていた。それは亜瑚の知景に対する気持ちとは、比べものにならないほど大きなものだった。いつからかわからないけれど、きっとずいぶんむかしから、友人以上の想いを秘めていたのだ。ずっといっしょだったのに、そんなこと全然知らなかった。

 だからこそ成美は知景に愛情を傾ける一方、影で亜瑚のことを邪魔者と呼び、排除したいほど憎んでいたのだ。

 そんなふうに思われていたことにすら、気づけなかった。

 成美の気持ちに向き合えなかった自分が、どうしようもなく悲しかったし、悔しかった。

 もしも三人が、お互いの本音を知ったうえで、理解しようともうすこし早く歩み寄っていたら……悲劇は回避できただろうか。

 知ったところで、成美の亜瑚に向ける憎悪がやわらいだかどうかもわからないし、成美の知景に向ける想いを受け止められたかどうかもわからない。

 それに今回、成美が激昂するきっかけとなった直接の原因は、別のところにある。

 それでも成美の愛情がこんなに歪んでしまうまえに、彼女の心を救い出す方法があったのではないだろうか。

 もっと三人で会っていれば。

 私がもっと、成美の本音に関心を持っていれば。

 こうしてふたりがいなくなったあとに、虚ろな悲しみだけが残るのとは、ちがう未来もあったんじゃないだろうか。

 自分があまりにも無干渉で、無関係だったことを、亜瑚は嘆かずにいられなかった。


 実家のどこかにアルバムがあったはずだ。

 亜瑚は食卓椅子から重い腰を上げると、探りはじめた。

 どこにあるかは思い出せないので、空き巣のように家中の引き出しを開けてまわるしかなかった。だいぶ散らかしたあとようやく、和室の戸棚の奥にしまわれた、分厚い布張りの表紙が目に留まった。

 中学を卒業するまでの一春と亜瑚の成長の記録が、それぞれ数冊のアルバムにまとめられていた。


 お花見の写真。これを撮った直後、知景は桜の木から盛大に落ちて怪我をした。知景はやけに恐れ知らずで、成美と同じようにがんがん木に登っていくから、見ているこっちが震えたものだ。

 夏休みに前野家で花火をしたときの一枚には、当時中学生の一春も写っていた。花火を持ってはしゃぐ亜瑚と知景を、優しい眼差しで見守っているように見える。

 小学校の運動会、プール、芋掘り。田舎なので、全校生徒がそろった集合写真でも十人ちょっとだ。なかでも同じ学年の三人は、いつもいっしょに笑顔でポーズをとっている。

 初詣の写真を見つけた。ピンクの振り袖の知景と、水色の振り袖の亜瑚が、前野家の前で手をつないでピースをしている。たしかこのとき、市内の神社まで父の車に乗せてもらって、家族で来ていた成美とは現地で合流したのだ。


 顔が歪むのを感じた。同時に雫が数滴零れ落ちて、写真を濡らした。


「鬼なんていない……いないんだよ……」


 涙を落としながら、亜瑚はひとりつぶやいた。

 フィルムの上から写真を指でなぞる。思い出の数は数え切れない。夢のように、ひだまりのように、すべてが優しくて懐かしい。

 口を押さえて鼻をすすりながら、この頃に戻れたならと何度も思う。

 だれもこんな悲劇を生むつもりじゃなかったはずだ。なのにどこで間違えたのか、運命が狂ってしまった。

 みんな知景のことが、大好きだった。それだけだったはずなのに。


 だけど悲劇は、起きてしまった。

 知景がいなくなってしまったいま、舘座鬼家は鬼妃の呪いに怯えることとなり、さらに知景自身も怨霊となってしまった。

 この連鎖を止めるためには、やはり自分が星麗南の身代わりとして、鬼妃の役目を継ぐしかないのだろうか。


 玄関の戸が開くからからという音に、亜瑚はうっすら目を開けた。外はもう明るくなりはじめている。

 いつのまにか泣き疲れて和室で眠っていたようだ。


 星麗南が帰って来たりしないだろうか、と一瞬期待したが、


「亜瑚ちゃん、大丈夫?」


 という声は高西のものだった。

 余計に失望させられながら、亜瑚は起き上がる。背中が痛い。頭も痛い。

「あー……はい」

 背骨を押さえながら息を吐くと、予想の五オクターブ低い声が出た。

「どこか行ってたんですか?」

「遺書で書いてた場所。舘座鬼家の裏にあるっていうその崖にな。夜中のほうが、ひとおらんし」

「砂本さんは?」

「さあ、外におるんとちがう?」

 亜瑚は立ち上がると、伸びをした。身体の関節が悲鳴をあげるが、すこし頭がすっきりする。

 嫌で嫌で仕方がないが、砂本と話をしなければいけないこともわかっていた。


 *


「どうして否定してくれなかったんですか」

 背後で亜瑚の声がした。相変わらず尖った口調だが、疲れが滲み出ている。いずくは振り返らずに、朝日に照らされる青々とした田んぼが、波のように風で揺らめくのを眺めていた。

 ためらうように、亜瑚はため息をつく。それから、

「私、ずっと勘違いしてました。あなたがちぃちゃんを、無理矢理……」

「否定したところで、アンタが俺の話を信じるとも思わなかった。それに結局、同意のもとかそうでないかのちがいだけで、同じようなことをしたのは事実だ」

「でもちぃちゃんは、あなたのことを愛してた」

 どうして、と亜瑚がつぶやくのが聞こえた。

 その疑問はもっともだった。

 こっちだって知りたい。

 たった三日の、それもあのわずかな時間で、知景がなぜ自分に愛情を抱いたのか。いまでもわからない。

 あの部屋に立ち入った人間が過去にもいて、その都度知景が訪問者を誘惑していて、常習的に同衾がおこなわれていたのだとしたら、そのほうがまだ納得がいく。だが知景は経験のない生娘だったし、これは主観でしかないが、あのときの言葉は彼女の本心から紡ぎ出されたものだったと感じた。


 亜瑚は安のとなりに並び立つと、前野家の田んぼに目を向けた。風になびく髪を耳にかけながら、彼女は言う。

「私やっぱりあなたのこと好きになれない。でも、ちぃちゃんの気持ちは尊重したいんです。四年前に会ったとき、ちぃちゃんは気になるひとがいるって言ってました。それはあなたのことだったんだと思います」

 俯いて、深いため息をつく。

「あのときもっと、ちゃんと話を聞いてあげていればよかった」

 おまえが話を聞いたところでなにが変わった。それにいまさらなにを後悔しようが遅すぎる。

 知景が、鬼妃も祟りも関係のないところで命を奪われたことも、そのきっかけとなった言い争いの原因が、自分にあったことも。

 あの遺書に書かれていた事実すべて、どうにもならないことだったのだ。


「わからないことがあるんです。ちぃちゃんの顔は、どうしてあんなふうに、潰れていたんでしょうか。あんなまるで、鬼の手が潰したみたいに……」

「自分でやったんだろう」

「え?」

「鬼のせいだと思ってもらいやすいように」

 それこそ推測でしかないが、恐怖感情の欠落した知景は、崖から落ちるときも怖さは感じなかったのではないか。それよりも、彼女は最後に友人を救いたいと思ったのではないかと思う。鬼のせいにしてしまえばいい。知景は自分の念力によって、自分の顔を潰した。それぐらいならやりかねない。

「そんな……」

 亜瑚はなにか言いたげにこちらを見た。安は前を向いたまま話題を変えてたずねた。

「そういえば鬼妃の身代わりになる覚悟はできたか」

「なりたくないですよ。でも私の目的は祟りを鎮めることです。それに星麗南を助けたい」

 亜瑚は暗く声を落とす。迷いがあるようだった。当然だ。むしろもっと嫌がるかと思ったのだが、わりに責任感が強いらしい。

「殊勝だな。どのみちいずれ、舘座鬼家は壊滅することになると思うが」

 フォローするわけではないが、亜瑚が鬼妃になったところで、あの家はそう長くは続かないだろう。知景にはひとより強い念の力があった。感情でものを動かすほどの、超常的な能力だ。だが見る限り、亜瑚はなにも持たざる人間だ。舘座鬼家に蔓延る怨念を鎮めるのは彼女の手に余る。亜瑚が土壇場でなにか秘めたる未知の絶大なパワーを発揮したりするなら別だが。

「時が経てば経つほど、鬼妃は増え、舘座鬼家に蔓延る呪いは膨れ上がっていく。いずれこちら側の供養ではおさえ切れなくなる。今回みたいなことがいずれまた起きる。そんな負の連鎖は、とっとと断ち切ってしまえばいい」

「どうやって?」

「役目から逃げ出せばいい。鬼妃なんざだれもやらなければな」

「でもそうしたら知景がいままでがんばってきたことが無駄になります」

 亜瑚が悲痛な面持ちでこちらを見上げてきた。彼女も彼女なりに真剣に知景のことを想っているのだろう。

 だが安とは意見がことごとく食い違う。

「あなたがこの村に来たほんとうの目的はなんですか。舘座鬼家を呪いで潰すことですか?」


 親指の曲がった自分の手を見て、安は自問する。

 自分の目的は、知景の死の真相を知ることだったはずだ。虚しい真実に直面して終わったが、その目的は果たされた。

 だがなぜそれを知ろうとした?

 知景が死んだと聞かされた瞬間から、ずっと別のなにかが頭の隅に引っかかっていた気がする。

 いままでその答えを探し続けていたように思う。


 やっとはっきりした。


 俺は知景を連れ出したい。

 四年前にしようとして、できなかったことを果たしたい。

 救済だとか成仏だとか、そんな美しいものではない。

 ただ壁の向こう側へは行かせたくないというだけのことだ。


 もしもそれで鬼妃が解放されたとしても、舘座鬼家の人間が呪いで何人死んだとしても、自分には関係ないこと。


 心を鬼にしてでも、彼女の魂をあの場所から奪い去る。


 ――肉体が滅び、魂だけの存在になったとき、私も『鬼妃』になる。


 と知景は言っていたが、そんなことはさせない。


 安はなにか決意を固めたように、拳を握る。

「舘座鬼家へ行く」

「え?」

 亜瑚は問いかけへの返答がなくて不服そうな声を出したが、彼女の痛々しいほどの殺意は、いまはしまわれているように感じた。

「二階の部屋の、壁の向こう側の秘密を暴いてやる」

「でも入口は……」

「探す。ないなら壊す」

 ぞんざいに答えると、安は亜瑚を残して、高西を呼びに前野家の軒先へと戻っていった。

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