第8話 中庭の決闘

バルドの部屋から出て、そのままの姿でシンクレアの寝所を訪れるロザリタ。


「お嬢様、ただ今戻りました。」


「おやおや、すごい格好だ。だが、これならば文句なしの合格だな。」


「はい。私に指一本触れることなく、このように。」


「ふふ、これだけの量と匂い……妾も昂ってくるではないか。来い、ロザリタ。」


「あぁ……お嬢様……私もです……」


女同士の終わらない夜が始まった。





そして翌朝。

バルドは中庭で素振りをしていた。


「おはようございます。朝から精が出ますね。」


「……ああ……昨日は助かった……」


「それはよかったです。しかし、今後は禁止です。あれは本来ならば殿下に捧げるべきもの。昨夜は確認のため私がいただきましたが。」


「分かった……炎姫様のためなら……」


「そろそろ朝食です。こちらへ。」


「分かった……」


昨夜もそうだったが、バルドとシンクレアは同じ席で食事をとっている。バルドは気付いてないようだが、宿の従業員は大いに驚いていた。侯爵家であり、王女アイリーンの親友としても知られているシンクレアが剣奴上がりの一兵卒などと食事を共にする。下手をすると社交界のゴシップにもなりかねない光景である。


当然それに気付かぬシンクレアではない。彼女には彼女なりの目的があった。それは早速と……


「やや! これはシンクレア様! まさかこのような場所で貴女様にお会いできるとは。このランズベルト・マルキーノ、運命の神に感謝するのみでごさいます。」


「あらおはようございます。お久しぶりですわ。」


「ぜひとも食後のデザートをご一緒にいかがですかな? ややっ、こちらの殿方は? これはお邪魔でしたかな。」


「マルキーノ様もご存知ですわ。こやつの名はバルドロウ。アイリーン殿下の婿となる者ですわ。」


「なっ! こやつがあの! 何故ゆえにそのような身分卑しき者が貴女と同席など! きさま立て! そして出て行かぬか! このお方はきさまごときが視界に入れてよいお方ではないわ!」


もちろんバルドは無表情で紅茶を飲んでいる。かすかに感じる甘みが堪らなく彼を惹きつけていた。


「ご覧の通りの礼儀知らずなのです。よって身の程を教えるべく王都に連行しておりますの。地獄を見せる予定ですわ。」


「なるほど。ならば王都まで行く必要はありません。このランズベルト・マルキーノが叩きのめしてやりましょうぞ。おいきさま、中庭に来るがいい。所詮剣奴など本物の貴族の剣には敵わぬことを教えてやろう。」


そう言ってバルドの返事など待たず外に出るマルキーノ。無表情でシンクレアを見るバルド。


「体に傷を付けないように、なおかつ実力の差を分からせておやりなさい。」


「……分かりました……」


紅茶を飲み干し立ち上がるバルド。マルキーノに一分ほど遅れて中庭に到着した。




「この私を待たせおって! この身の程知らずの剣奴めが! さあ構えろ! 無限流断首剣の威力をとくと味わわせてくれるわっ!」


しかし構えるどころか剣も抜かないバルド。


「どうした? さては臆したか! このまま任地に帰るのであれば許してやるぞ! きさまには国境警備がお似合いだ!」


やはり動かないバルド。腕を組みマルキーノの方を見てもいない。


「そうか。そんなに私の剣が見たいのか。ならばくらえ!」


マルキーノは剣を引き抜き上段に構えて踏み込んできた。そのままバルドの首を狙い斜めに振り下ろす。右足を一歩後退させてスッと避けるバルド。


「今のは小手調べだ! 次は手加減せぬぞ!」




似たような攻防が続くこと八分余り。バルドの左足はその場から動いていない。右足だけが円を描くように動いていた。


「ぜぇ……はぁ……お、おのれ剣奴風情が……なめた真似をしよって……もはや勘弁ならん! 死ねぇえええーー!」


裂帛の気合いを込めたつもりなのだろうが、足元はふらふら、剣を握る力すらない。振り下ろした剣はすっぽ抜け、あらぬ方向へと飛んでしまった。


バルドはそこで剣を抜き振るった。しかし、血が飛ぶ様子はない。わずか十分にも満たない戦いとも呼べないお遊戯で体力を使い果たし、仰向けに横たわるマルキーノがいるのみだった。


そんなマルキーノには見向きもせず宿に戻るバルド。そろそろ出発する頃合いだろう。




「……終わりました……あいつは無傷です……」


「そう。ご苦労様。出発するわよ。昼過ぎには王都に着くわね。」





バルド達が宿を離れてから二十分後。ようやく起き上がったマルキーノだが、宿内を歩くとなぜかクスクスと笑われている。まさか自分のこととは思っておらず、不思議なこともあるものだと訝しがるのみだった。


当然彼の侍女や執事はその理由に気付いていた。しかし、到底伝えることのできない内容だったのだ。


服の背中が斬り刻まれて『DICK HEAD』と読めてしまうことなど、短慮でプライドだけは高い主人に言えるはずもなかった。身を呈して主人を諌める忠臣はいないようだ。


『DICK HEAD』とは古い言葉で『男性器頭』『能無し』『愚か者』を意味する言葉なのだから。


マルキーノの髪型がいわゆるマッシュルームカットと呼ばれるものだったことも他の客達の嘲笑をより一層顕著にしたのであった。


その後、執事の機転で服を着替えさせたため、ついぞマルキーノがそれに気付くことはなかった。


なお、無学なバルドが古い言葉を知っていた理由は元剣奴だからだ。人前で戦う剣奴は対戦中に汚い言葉を使うことがよくある。せめてもの対策に悪口だけは古語で教わっていたというわけだ。もちろん当人達はそれが古い言葉などとは知らない。

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