激変する時

第5話 異変

 弦義と那由他の出逢いから五日が過ぎた。

 その日も早朝から、剣が風を斬る音が響いた。しかし、今朝は演習場ではない。

「っはぁ、くっ」

 弦義が一人鍛錬に励んでいたのは、王城の裏庭とも呼ぶべき小さな場所だった。普段野棘と共に戦闘訓練をする時は広い場所で伸び伸びとやるわけだが、戦場は時に狭い場所もなり得る。だからこそ、自主練の際はこの場所を使うことも多い。

 弟妹も、両親ですら弦義がここで自主練習をしているとは知らない。弦義だけの秘密の空間だ。木立に囲まれ、王城からは見えない秘密基地である。

 剣を持つ手を捻り、また戻して横薙ぎに一閃。更に後ろの敵に襲われたと仮定して、体の向きを変えて剣を突き出した後に蹴りを入れる。そして仕上げに、軸足を回して剣を振り回して鞘に収めた。

「はっ、はっ……」

 肩で息をしながら少しずつ呼吸を整えていた時、弦義の耳に轟音が聞こえて来た。次いで、地面がぐらりと揺れる。

 バランスを崩しながらも耐えた弦義は、音のした方向を探した。そしてそれがわかると同時に、全力で走り出す。

「何で、王城から」

 再び轟音が響き、今度は火の手が上がった。更に人の叫び声も聞こえてくる。王城に近付く毎に、人の声も武器がぶつかり合う音も大きくなっていく。

 弦義は王城への秘密の道を辿りながら、敷地内の状況を窺う。すると、不審な点に気が付いた。戦闘が行われている様子がない。そして、叫び声も決して悲鳴ではなく、鼓舞するような叫びなのだ。

「―――ッ。羽澄はすみ出海いずみ鈴音すずね。父上、母上」

 羽澄と出海は弦義の異母弟であり、鈴音は同母妹だ。彼らと両親の無事が心配され、弦義の足は自然と速くなる。

 裏口から入り、王の部屋を目指す。そして、王城内が不気味なほど静かなことを知った。

「何故、誰もいない。いつもならば、見張りや見回りをする兵の一人や二人とはすれ違うのに」

 言い知れない不安に駆られ、弦義は駆け出した。廊下には同じ形をした照明が据え付けられ、鎧や絵画が色を添える。普段ならばそれぞれを鑑賞するのも楽しいが、弦義はそれら全てを無視してただひた走った。

 段々と王の私室へと近付くにつれ、弦義の背を嫌な汗が伝う。かすかに鼻腔を刺激するにおいが、最悪の結末を想起させた。

「これは……」

 あと一歩で目的の部屋の前に立つという時、弦義は思わず立ち止まった。廊下に壁だったはずの破片が散らばり、その中に赤い液体が散っていたのだ。更に床から顔を上げれば、何かが爆発して吹き飛ばされたような惨状が広がっている。破片の他、家具の一部も半壊して転がっていたのだ。

 この先を見たくないという正直な気持ちを押し殺し、弦義は破壊された壁面から部屋の中に足を踏み入れた。見慣れた人影を見て取り、声をかけようとする。

「父う、え……?」

「おや。お部屋に居られませんでしたから、何処に行かれたのかと探していたのですよ」

「―――何故だ、野棘のいばら

 国王と向かい合う男は、いつものように微笑みを浮かべる。しかし野棘の頬から胸にかけては赤く染まり、右手に掴む剣の先は、国王に繋がっていた。

 弦義は二人が向かい合う意味を悟り、腰の剣に手をかける。しかし、手が震えてうまく掴むことが出来ない。カタカタと震える手を叱咤し、弦義はうわずりそうな声を必死に抑えた。

「何故でしょうね。少なくとも今わかることは、あなたは遅過ぎたということです」

 ずるり、と国王の胸から剣の刃が抜かれた。血濡れた剣はゆっくりと野棘の元へと戻り、国王はその場に静かに倒れ込んだ。

 徐々に、国王を中心とした赤い水たまりが広がっていく。その様子を呆然と見詰めていた弦義は、不意に自分に向けられた殺気に気付き刃を躱した。

「野棘」

「残念です、王子。あなたも目覚める前に死んでいれば、こんな状況を見ることもなかったでしょうに」

「……今、あなたもと言ったか」

 弦義の言葉遣いに、最早野棘に対する尊敬の念はない。あるのはただ、疑問と困惑だ。

 信じられない思いを受け止め切れないまま、弦義は問い返す。すると野棘は、口端の片方を歪めて嗤った。

「ええ。正妃、第二妃、そしてあなたの弟妹、彼らにかかわる女官たちを含め、あなたに繋がる全ての命は、我が手に堕ちました。私に付き従うと誓った兵たちが、血の海の中に沈めてくれましたよ」

「何て、ことを。野棘、それがどういうことかを知らないわけではないだろう」

 王妃と子どもたちを避暑地に送り出したのは、確か野棘ではなかったか。

「勿論。目的の為に、死んで頂きました。王にも」

 顔面蒼白の弦義を一瞥し、野棘は恍惚とした笑みを浮かべて血が滴る剣を天井に向かって掲げた。刃から滴った血の雫が一つ、野棘の肩に染み込んだ。

「あなたは知らないでしょうね、深窓の王子。この国の中枢が腐り、これ以上の成長を求められなくなっていたことを」

 野棘は言う。自分がこの国を立て直すのだ、と。その為に、国王とその一族をこの世から抹殺するのだと。

「私が、新たなこの国の王となります。全てを正し、理想郷として生まれ変わらせるのです。……本当の王家の血を引く、私が」

 その為に、と野棘は弦義に剣の切っ先を向けた。

「あなたにも、死んで頂きます。お覚悟を」

「!」

 正確に心臓を狙う一突きを紙一重で躱し、弦義は剣を抜き放った。そのまま第二閃を剣で受け止め、弾き返す。

 非常事態ではあるが、弦義は日頃の鍛錬の成果が出ている気がした。ただ、それを喜んでいる暇は与えられない。

 キンッ、キンッと幾度となく打ち合う剣の音が、赤に濡れた床にも振動として響く。弦義はどうにかして隙を見付けようと、様々な角度から剣を突き出す。しかしことごとく阻まれ、反対に押し込まれる始末だ。

「くっ」

「まだまだ、私には勝てませんよ」

 ゴンッという重い音を響かせ、野棘が剣を真っ直ぐ地面と垂直に振り下ろした。その打撃から自分を守ろうと剣を使い防御した弦義は、攻撃の重さに受け止めた指が震えるのを自覚する。

 それでも押し込まれれば、弦義自身の命がない。野棘が跳び退いたのを皮切りに、弦義は攻勢に入った。

「だあぁっ」

 力の入らない指に無理矢理力を入れ、弦義は剣を振るう。がむしゃらな太刀筋は、野棘を捉えることが出来ない。それでも諦めず、何度も弦義は野棘を狙う。

「ふんっ」

「ぐっ」

 しかし、簡単に躱された。挙句、野棘の剣の切っ先が弦義の腕を捉え、赤い切り傷が二の腕に描かれる。

 痛みに顔を歪めた弦義のスピードが緩む。その隙を突き、野棘が弦義の首を刎ねようと剣を振り下ろそうとした。万事休すか、弦義は一か八か剣で迎え撃とうとした。まさにその時。

「野棘様!」

「こっちだ。……くそ、邪魔が入ったか」

 舌打ちをする野棘が見詰める方向を振り返った弦義は、目を疑った。

 王城に仕えていたはずのたくさんの兵士が、廊下を塞ぐようにして集結していたのだ。驚き過ぎてすぐには動き出せない弦義の存在を無視し、兵士たちの中の一人が敬礼と共に野棘の前に出た。

「野棘様、王城は全て我々の手に堕ちました。まだ何かあればすぐに実行致しますよ」

「わかった。では王子を……逃げたか」

 野棘が配下との会話に夢中になっている隙を突き、弦義はその場を逃げ出していた。大きく舌打ちした野棘に、配下の兵士が怯えながら尋ねる。

「あの、追いますか?」

「勿論だ。廃したとはいえ、王子が生きていては枕を高くして寝られない。さっさと殺して来い!」

「はっ」

 威勢だけは良い返事をし、兵士たちの半数が部屋を出て行く。弦義が飛び出してからそれ程時間は経っていないはずだ、すぐ見つかるだろうと野棘は軽く考えていた。

「一先ずは、片付けか」

 弦義のことはとりあえず横に置き、野棘は待機している兵に部屋の片付けを命じた。これから新たな政権が始まるというのに、それが血みどろでは国民を不安にさせる。

「僕が国民への発表を行いましょう」

継道つぐみち、頼めるか」

「はい」

 野棘が振り返ると、そこには年下の男が頭を下げていた。眼光の鋭い彼は野棘政権を支える文官となる男であり、人々を巻き込む天才であった。事実、彼が動くことで国民は野棘が真の支配者であると認めていく。

「国民には、国王は病に伏せっていると発表しましょう。そして数か月後、亡くなったことを明かすのです。その上で、闘病時に野棘様に政権を譲渡された、と知らしめれば良いのです」

 病の国王を支えながら、国の統治をもこなす優しさと強さを兼ね備えた敏腕支配者。そういうイメージさえ出来てしまえば操るのは容易い、と継道は微笑んで見せる。

「そうだな。では、お前たちはここを片付けろ。夜までに丁寧に拭き清めておけ」

「―――はっ」

 継道以外の兵士たちが、それぞれに動き出す。国王の死体が運ばれていくのを横目に、野棘は継道と共に血塗られた部屋を出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る