第3話 第二将軍との鍛錬
見張りの目を掻い潜り、
「……では、おやすみなさいませ」
「ああ、ありがとう。おやすみ」
明日の予定を細かに教えてくれた執事に挨拶をし、再び一人になる。
窓の外では未だに大雨が降り続き、その音以外は聞こえない。この天候の中、彼は地下で眠っているのだろうか。
一通りの支度を済ませ、弦義は明日のためにベッドで目を閉じた。
「―――では、失礼致します」
翌朝。謁見の間にて父王との挨拶を終えた弦義は、そのまま演習場へと向かった。父の話はもっぱら休暇に出かけた妻子の話で、ある程度の肩の力を抜いて聞くことは出来た。
演習場とは、兵士の訓練施設の一つである。敵兵に見立てた人形や的が常備され、広い試合場も完備されている。弦義はここで、毎週剣の師と共に鍛錬に汗を流すのだ。
弦義が約束の時刻に演習場に行くと、既に師匠が剣を振って準備運動をしていた。
「師匠」
「師匠は止めて下さいと言いませんでしたか? 弦義王子」
「あなたも王子と呼ばないで下さいと何度言っても聞かないじゃないですか。
「流石に、立場が違い過ぎましょう」
そう言って苦く笑うのは、野棘。アデリシア王国の軍部を束ねる役職を負う一人、第二将軍を担う人だ。
彼が得意とする武器は、剣。その他弓矢も火器も何でも器用にこなすが、彼は「一番しっくりくるのですよ」と腰に剣を佩くことを止めない。今日も家宝だという美しい獅子の装飾の入った剣を携えている。
「では、始めましょうか」
「はい。宜しくお願い致します」
野棘が放った木刀を受け取り、弦義は正眼に構えた。目の前に立つ野棘には死角はなく、小細工は通用しない。
弦義はまだ、一度も師匠から勝ちを奪ったことがない。
(今日こそは)
決意を胸に、木刀を持つ手に力を入れる。
「始め!」
「おおおぉぉぉぉっ」
野棘の合図を受け、弦義は彼の真正面へと駆け出した。木刀を受ける構えを見せる野棘に弾かれる覚悟で、渾身の一打を撃つ。
「弱いっ」
予想通りに弾き飛ばされ、弦義はよろけて体のバランスを崩す。その隙を野棘に突かれるが、辛うじてその重い一撃を防いだ。じん、と刃の重さが手に伝わる。
「くそ」
痺れる指を握り締め、弦義は王子としてはあるまじき言葉を呟いた。
壁は高い。しかし高ければ高い程、乗り越えた時得られるものは大きい。そう教えてくれたのは、他でもない師匠だ。
「来い」
「はいっ」
興奮のためか、呼吸が乱れる。それでも弦義は木刀を握り締め、野棘へ真っ直ぐ振り上げるのだ。
「―――っはぁ」
「今日はここまでですね」
「あ、ありがとうございました……」
体を受け止めてくれる床が冷たく感じられる。弦義は大の字に寝転がり、激しい呼吸を整える。汗がこめかみを伝い、床に流れ落ちた。
野棘はと見れば、若干の汗が見えるものの疲労の色は薄い。今も、二人分の木刀を倉庫に仕舞いに行っている。その足取りは軽い。
弦義は師匠の背を見て、額に両手の甲を乗せて呟く。
「……くそっ。いつか、絶対に負かす」
「それは楽しみです」
「師匠」
いつの間にか舞い戻っていた野棘が、弦義の上に影を作る。彼の手にはコップに入った水が二人分あり、弦義は一つを受け取った。
上半身を起こし、水を飲み干す。そうすることで、ようやく普通に呼吸出来るようになった。
「大丈夫かな、王子」
「はい。……まだまだ、師匠には敵いませんね」
「そんなことはありません。筋は良いし、幼い頃からずっと成長を続けておられますよ」
野棘の励ましも、弦義は素直に受け取ることが出来ない。成長していると野棘は言うが、十五年は師事しているのに全く追い付けない自分が不甲斐なく思えるのだ。
そんな弦義の暗い思いを知ってか知らずか、弦義の隣に腰を下ろした野棘が口を開く。
「時に王子。王子は、アデリシア王国の現状をどう思われますか?」
「藪から棒ですね。……父の御世は安定し、大きな争いもなく良いことだと思います。ですが、悲しみを持つ人がいないというわけではありません。私も出来ることを増やさなければ、と思っています」
表面上、アデリシア王国は落ち着いている。隣国との関係は良好で、国際問題を抱えていない。しかしはっきりと見えないだけで、町の片隅では空腹を抱える子どもがいる。罪人を殺すための刑が催し物として喜ばれる。そんな国の何かを変えたい、弦義はそう願う。
弦義の答えに頷いて返し、野棘は「しかし」と渋面を作った。
「今すぐに動かなければ、手遅れになることもありましょう。私も努力を怠らず、動けるならばすぐに動きたいと存じます。より良い国を造るために」
「野棘第二将軍がいてくだされば、きっと王も安心です」
「……有難いお言葉です」
一呼吸分の間を置き、野棘は微笑んだ。彼の笑みに違和感を覚えた弦義だったが、その違和感はすぐに消えてしまった。
そろそろ、兵士たちの通常訓練が始まる。野棘は第一将軍と共にその指揮をしなければならないし、弦義も朝食を食べて政務の手伝いをしなければならない。いつもこの時間、二人はそれぞれの持ち場に戻る。
しかし今朝、そのワンパターンの一部が破られた。歩き出そうとした弦義を野棘が呼び止めたのだ。
「王子。もしも、古代王家の血を持つ者が残っているとしたら、どうされますか?」
「会ってみたい。会って、話がしたいと思います。そして願わくは、共にこの国の未来を創っていきたいですね」
「共に、ですか」
「野棘第二将軍?」
何かを言い淀む野棘の顔を覗き込んだ弦義だが、彼の表情から真意を窺い知ることは出来ない。ただ、少し寂しそうに見えた。
「そうなれば、良いですね」
しばらく後、思いも寄らないことが起こるとは、この時弦義は知らずにいた。
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