龍の棲む劇場(ハコ)

バイカルマン

第1話

 龍族は人族の人口が増えるに反比例してその数を大きく減らしており、人々からの畏怖の念も絶え、神代の空を支配していた龍はいつの間にか空想上の生物へと成り下がってしまった。


 彼らは正体を隠し人族に紛れての生活を余儀なくされたものの、龍種を跨ぐ強固な互助組織を形成することで、なんとか種の存続を維持してきたのだが、ここにきて幸いなことに、近代以降の社会は彼ら龍族にとっては相性が良かった。財宝に鼻の利く龍族は、今まで溜め込んできた貴金属を換金して運用、莫大な資本を得た。資本主義社会に深く食い込む一族が多く生まれたことで、龍族には神代以来の平穏な時代が訪れていたのだった。



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かつて、ニューヨークを訪れたことがある。


 ニューヨークの不動産王として名高い石龍ロック一族の代替りのパーティが行われ、諏訪大社系水龍の一族水谷家の名代として母は、まだ幼い私を連れて出席しなければならなかった。あちらにも私と同い年位の社交デビューを果たす子供達がいるらしい。次々世代の顔見せも兼ねようというのだった。


 パーティーで知らない大人たちに囲まれたことですっかり借りてきた猫状態、何を聞いてもうんともすんとも言わず、散々な社交デビューを果たした私に、ロック家の新当主マシュー・ロックは翌日、ブロードウェイのミュージカルでも観てくると良いと言って席を用意してくれた。


「わたしは詳しくないんだが、秘書が話していた。なんでも観ていると元気の湧いてくる素晴らしいミュージカルらしい」



 用意してくれたのは、意外にもオフ・ブロードウェイの小さな劇場だった。ロック一族はニューヨークのショウビジネスにも手を広げており、その中でも比較的最近買い上げた劇場らしい。前に立ち、上を見上げると、異様な看板が目に入った。真っ赤で官能的なフォントが使われたタイトル、看板の隅にはこれまた真っ赤なスティレット・ブーツの意匠が使われていた。母の顔を見てみると、なんとも言えない表情をしている。改めて周りを見渡してみると、この小さな、なんならうちの神楽殿の方が大きいのではないか、という劇場に多くの正装をした大人たちが、皆揃って静かな興奮を湛えた表情を浮かべながら入っていく。私はなんだか、不安と恥ずかしさと申し訳なさの入り混じったような……とにかくネガティブな気分になった。これは本当に私が見て良いものなのだろうか。エントランスの奥から、渦巻いている何かが感じられる。この奥では邪教の信徒が悪魔召喚の儀式でも行っているのではないか……。



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 そこで見たものを、私は忘れられない。



 真っ赤で煌びやかな衣装に身を包んだドラァグクィーン姿の役者達がその鍛え上げられた体をしなやかに躍動させていた。そして音楽はキャッチーな旋律で、私たちをエンターテインメントの渦へと引きずり込む。台詞は全て英語で聞き取れはしないものの、言語を超えたエネルギーの奔流に私はまる飲みにされてしまった。舞台上の役者が喜べば私も同じく嬉しくなり、役者が辛い現実に涙を流せば、それを愛おしく抱きしめた。何もかもが初めての体験だった。自分の知らないものが沢山ある!この世の中に、そして自分の中に!!


 終演後、熱量にあてられて、ボーッとしていた私に母は耳打ちをした。


「自分らしく生きることの大切さを歌っていたのよ。」「……自分らしく生きるって、どういうこと?」


 母はハッと何かに気づいて、どこか申し訳なさそうに言った。


「人の道理よ。」



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「これが私が役者を目指すきっかけです!」

「へぇ、そうかい。そりゃあ素敵だねぇ。」

「その後に主役の人の楽屋にお邪魔させてもらえることになって、写真も撮ってもらったんですよ!素敵だったなぁ。」


 鼻息荒く常連さんに役者志望のきっかけを話す。私が龍であることは勿論秘密だ。大事なところはオブラートに包んでいる。なんでも女には秘密が多いに越したことはないらしい。


「三八ちゃん、お客さん増えてきたから、さっさと賄い食べちゃって!」

「はぁい」


 残りのチャーハンを一瞬でかき込んで、エプロンを締め直す。


「いらっしゃいませー!」


 水谷三八子みずたにみやこ、一八歳、中華料理屋「美亭めいてい」アルバイト。


 私は、まだ何者でもない。

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