第伍拾弐話 あやめ祭り~時雨紫水の場合~

 時雨しぐれ紫水しすい


 カシャ。

 スマートフォンには捺希なつき先輩が鈴望れみ先輩に菖蒲の花を手渡している姿が映し出されている。


 僕は捺希先輩と鈴望先輩のやり取りの一部始終を50mほど離れた場所から見ていた。


 そして、捺希先輩が菖蒲の花を鈴望先輩へと渡した瞬間をこのスマートフォンに今収めたというわけだ。

 お二人に気付かれないうちに離れよう。


「うまく撮れた?」

 一緒にあやめ園を回って仕事をしているなぎさんがスマートフォンの画面を覗いてくる。


「撮れましたよ。ほら」

 ありがたいことに来場者がかなりいる。そのため歩いたままスマートフォンを見せるのは危険だと思い、近くのベンチに座り、凪さんにスマートフォンを見せる。

「えぇ!? めちゃくちゃ綺麗に撮れてる!?」

 凪さんは声を張り上げる。よっぽどビックリしたんだろう。

「そんなに驚かなくても……」

「あ、いやごめんね。紫水くんって写真撮るの好きなの?」

「人並みには好きですよ。父が写真撮るのが好きでよく付いていってたんですよ。そうしたらいつの間にかに基本的な撮影技術や知識が身に付いたってだけです」

「すごいね……」

 凪さんは隣で感嘆の声を漏らす。

 そして何かに気付いたかのようにあっと言いながら顔を上げる。


「紫水くんはどうして2人の写真撮ったの?」

 至極真っ当な質問だ。

 良い雰囲気のカップル(正式には違うが)を勝手に写真に収めるというのはなかなか気持ち悪いかもしれない。

「まさかこの写真をあとでナツさんと鈴望さんに見せていじるためとか?」

「いえ、断じてそれは違います」

 僕はすぐに否定する。

 変な誤解されては困るからね……。

「その写真をSNSに投稿しようと思ったんですよ」

「え!? この写真投稿するの!?」

 また凪さんは声を張り上げる。

 いつも落ち着いていて大人しいイメージだけど、リアクションが大きい人なんだ。

「もちろん捺希先輩と鈴望先輩に許可をもらえたらですけどね」

 凪さんは俺の注釈を聞いて「あぁ……そうだよね」と落ち着きを取り戻したみたいだ。


「でも、どうしてSNSに?」

 凪さんが首を傾げながら問う。

碧先輩会長が言ってたましたよね。『あやめ園を想いを伝え合う場所にしたい』と。だから現に今菖蒲の花を来場者の方々に渡しているわけです」

 凪さんが相槌を打ったことを確認して話を進める。


「でも、それだけじゃ会長の言ってたことを達成することは難しいと思うんですよ」

「そうなの?」

「凪さんは菖蒲の花を渡しただけで自分の想いを伝えようと思いますか? まぁついさっき僕たちは見たわけですけど」

「随分と直球な質問だね……。うーん、でもよく考えてみればしないかも」

「そうなんですよ。だから僕たちがしないといけないことがもう1つだけあります」


 僕は目の前に悠然と咲き誇っている菖蒲の花を見つめて答える。

「『実際に想いを伝えている場面を切り取ること』または、『ここで相手に想いを伝えたら恋が成就する』とそういった類いのいわゆる『都市伝説』めいたものを来場されている方やこれから来場しようと思っている人、そしてあやめ祭りを全く知らない人に知ってもらったり、広めてもらうことです」


 凪さんはうんうんと頷いて話を整理している。

「確かに人が集まる場所とかには『ここで○○したら~~にできる』みたいなキャッチフレーズがあるかも。だからそれをこのあやめ園でも付ける必要があるってことだよね?」

 僕は大きく頷く。

「流石凪さん。理解が早いですね」

「……すごい」

「え?」

「すごい! すごいよ紫水くん! 私全然気づかなかったよ」

 凪さんは僕の両手を握ってぶんぶんと上下に振る。

 凪さんの万葉衣装の袖がゆらゆらと綺麗になびく。


「凪さん、一度落ち着いてください」

「あ、ごめん。つい……」

 凪さんはバっと腕を離す。

 どうやら落ち着いてくれたようだ。


「僕は何もすごくないですよ。きっと会長は最初からこの事に気付いていたはずです。いや、必ず気付いています」

 会長はこの事に気付いたうえでこの事に対しては自分から積極的に行動をとらないという選択を取ったはず。

 ――僕みたいに誰かがやってくれると考えたから。


「紫水くんってアオ君のこととても尊敬しているよね」

 凪さんが急にそんなことを聞いてくる。

「それは凪さんもでは?」

 凪さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。

 そ、そりゃあ私もアオ君のことは心から尊敬しているよ~? で、でもそういうことじゃなくて……」

 ところどころしどろもどろになりながら凪さんは言葉を繋いでいく。

 本当に碧先輩のこと好きなんだな。


「別に碧先輩だけじゃないですよ。捺希先輩も鈴望先輩も汐璃先輩もそして、凪さんも尊敬しているし、信頼しています」

 1つ間を置く。


「それでも特に碧先輩は僕をこの生徒会に誘ってくれたことにはとても感謝しています」


 ――時雨くんみたいな人が生徒会にいてくれると助かるな。

 ――いつか一緒に時雨くんと活動してみたいな。


 あの日のことは今でも鮮明に思い出すことができる。

「僕は全く自分に自信がないんですよ」

「……そうなの?」

 凪さんは窺うよう尋ねる。

「そうですよ。自信も期待もないです。理想の自分なんてありません。とずっとそう思っていましたがそれは実は違ったんです」


 僕はよく『無機質』だと言われる。

 他人がそう僕にラベル付けするたびに僕にもいつの間にかそんな自己イメージができた。


 でも、碧先輩は違った。

 あの人はどうしてか僕に期待していてくれている。


「碧先輩はよく人を見てますよね。だから誰も気づかないようなことでもあの人は気づく。本人でさえも気づいていない自分に碧先輩は気づくことができるんです」


「碧先輩に初めて会ったときにあの人は僕に期待してくれた。僕はそれが嬉しかったんです。そして同時に驚きましたよ。自分に期待していない自分がそんなことに喜ぶなんて」

「紫水くんも自分に本当は期待していた、期待したかったってこと?」

 凪さんの言葉に頷く。


「碧先輩以外の執行部の皆さんも僕を信じてくれていることを感じますし、こんな僕を受け入れて居場所を作ってくれたことに本当に感謝しています」


「だから僕は皆さんに恩返しがしたいし、皆さんには幸せになってほしい」

 僕は顔を上げて、隣に座る凪さんと目を合わせる。

「凪さんにもです」

 凪さんは一瞬目を見開く。


「碧先輩のこと好き……なんですよね」

 凪さんは僕の問いに伏しがちに目を左右に何往復か動かす。


「……うん」

 顔を下げて、小さく声を漏らす。


「碧先輩なら凪さんのことを姉さんの妹ではなく水無月凪として見てくれます。そんなことは凪さんが僕なんかよりもわかっているはずです」


 凪さんは僕の言葉に反応を示すことなくただ下を見ている。

 その両手は固く結ばれて少しだけ震えている。


 当事者じゃない僕が何を言っても意味がないかもしれない。

 けれど言葉が持つ大きな力は知っている。


「前向きな想いは前向きな言葉で伝えるべきだと思います。それは碧先輩にとっても凪さんにとっても大切で忘れられない瞬間になります」


 ――時雨くんみたいな人が生徒会にいてくれると助かるな。

 ――いつか一緒に時雨くんと活動してみたいな。


 大げさかもしれない。


 けれど――あの言葉に僕は救われた。


「それに僕は凪さんが1番可愛いと思ってますし、大丈夫ですよ」

「ちょっっ!!?? ししし紫水くんっ!? かかか可愛いって……」

 凪さんはさっきまで俯いていたのが信じられないほど素早くベンチから立ち上がった。

「あはは。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。僕は凪さんが1番可愛し、瀬良い人だと思ってますよ」

「あーもういいから! 照れるからやめてーーー!!」

 あれほど固く結んでいた両手を解いて顔の前で小刻みに振っている。


「冗談ですよ、冗談」

「な、なんか……それはそれで嫌なんだけど……」

 凪さんが頬を膨らませる。

 それがなんだかおかしくて思わず笑ってしまう。


「なんか紫水くんともっと仲良くなれた気がする」

 凪さんは腰に手を当てはぁと息をつく。

「そうですか?」

「うん。同学年私と紫水くんだから嬉しい」

 凪さんは満面の笑みを浮かべる。喜びがこちらにひしひしと伝わるほどの。


「(やっぱり笑顔が似合いますよ)」

 誰にも聞こえないようにつぶやく。

 心のなかに抑えておくことができなくて思わず口にしてしまった。

「紫水くん? 何か言った?」

 凪さんが振り向き、首を傾げる。

「いえ、何も言ってないですよ。ほらそれより早く行ってください。仕事は僕がやっておきますから」

「あ、う、うん! ありがとう紫水くん!」

 そう言って凪さんは駆けだしていった。

 その後ろ姿を見送って、空を見上げる。


「雨、降りそうだな……」

 思わずそう呟いてしまうほど、青空は墨色の雲が覆っていた。

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