第10話 夜中の再会

「つ、疲れた……」

 律華のカットを担当して数日後のこと。

 客足の増加と乃々花の冷たい態度により、疲弊が続く修斗は険しい顔をしながら駐車場に向かっていた。


「律華さんの宣伝でお客さんが増えたのはいいけど、乃々花さんだよなぁ、やっぱり……」

 みんなには温厚で優しい。だが、自分に対してだけは人が変わったようになるのだ。

 二つ上の先輩でもあり、『自分にだけ態度が違いません?』なんて質問をすることもできない。

 嫌われている理由に心当たりもないため、日が経てば経つだけモヤモヤとした気持ちが大きくなっていた。


「はあ、とりあえず甘いものを買って帰ろう」

 車まではここからは歩いて5分ほど。

 歩きながら予定を決めれば信号に引っかかってしまう。


(うわ、ここの信号長いんだよな……)

 そんなことを思いながら夜空を見上げていた時だった。背後から聞こえてくる。

「あれ、そこにいるのお兄さんじゃん」

「……」

 曇りのない澄んだ声が。

 知り合いが知り合いに声をかけたのだろう。そう思って反応をしなかった修斗だが、その呼ばれた相手が自分だと知るのはすぐだった。


「おーい、無視はダメだって、ね?」

「っ!?」

 ツンツンと背中を突かれ、反射的に後ろを振り返る修斗。

「よーよー。凄い偶然じゃんね」

「り、律華さんじゃないですか」

「どもども」

 途端、目を大きくして息を呑む。

 深く被ったキャップのツバを上げ、ウインクをしながら挨拶してくる彼女がいたのだ。


「あ、この前はありがとね。ちゃんとメールくれて。ちょっぴり素っ気ない感じの内容だったのは気になったけど」

「す、すみません。自分は絵文字とか全然使わないので」

「まあシンプルな方が男らしいとは思うけどね」

 この時、信号が青になるが彼女は動かない。喋りに夢中だと言わんばかりに笑顔を浮かべてくる。


「と、律華さんはどうしてこちらに?」

「仕事帰りだよー。今日は夕方から仕事が入っててさ」

 今日もまたマスクをして顔を隠している彼女だが、インナーカラーのピンク色はかなり目立っている。


「お兄さんも仕事帰りだよね? この時間だと」

「そうですね。ちょっと残業も入ってまして」

「本当大変だね、美容師さんも。それくらい有名なところだから仕方がないかもだけど。それで朝も早いんだっけ?」

「残念ながら」

「とか言いつつ、顔は楽しそうだけど」

「あはは、大好きな仕事だからですかね」

 さすがのコミュニケーション能力である。

 彼女がリードしてくれるおかげで会話が途切れたりはしなかった。


「あ、もしあれだったら私みたいに口調崩していいよ? そのままだと仕事のスイッチ入ったままだろうし」

「と言うのは口実で、素の口調に戻してほしいだけじゃないですか? 律華さんは」

「あ、バレちた」

 なんて言う彼女だが、慌てる様子は一切ない。楽しそうに猫目を細めて、赤の瞳を輝かせる。


「正直、そっちの方が楽に話せるんだよね。お兄さんもそうじゃない? 同意してくれるなら……はいチェンジ」

「……」

「チェンジしよ?」

 グイグイと綺麗な顔を近づけてきながらの追及。これをされたらもうこちらの負けである。


「わかったよ、じゃあこんな感じで」

「おー!」

「まあ、少し喋りづらくはあるんだけどね」

 彼女と会ったのは今日が三回目なのだ。

 メールのやり取りはしているものの、やはりまだまだ親しいわけではない。


「すぐ慣れるから平気平気。私とお兄さんの相性もめっちゃいいし」

「誰彼構わずそんなこと言ってるでしょ? 言い慣れてる感があったよ、今」

「あは、確かに冗談で言うことはあるかな。でも、お兄さんの場合はかなり本気だよ? 話も続くし、気まずくないし。あ、靴紐解けちゃいそう」

 この会話の中に靴紐を入れ込んでくるのは彼女だけだろう。

 律華は紐を結び直して立ち上がった。


「ねっ! それでちょっと話は変わるんだけど、お兄さんはこれから予定とか入ってたりするの?」

「いや、予定はないよ。これからご飯を買いにスーパーに寄るくらいだから」

「なるほどね。それはいいこと聞けた」

「え? いいこと?」

「ん、あのさっ」

 律華は前傾姿勢になって控えめに顔を覗き込んでくると、あざとい上目遣いを作って言葉を続けた。


「私もまだご飯食べてないから一緒にどう? ちなみに私の奢りだよ?」

「……」

「な、なにその疑ってる目」

「失礼なことを言うんだけど、変なこと考えたりしてない?」

「ぷっ、本当に失礼すぎ。大事なストラップ拾ってくれた人にそんなことしないよ。そもそもイメージ商売してるから品行方正がモットーだし」

「ま、まあ、確かに」

「じゃあご飯はOK? 私、焼肉の気分だったんだけど一人で入る勇気なくって! お兄さんも焼肉好きだよね?」

 相変わらずグイグイ誘ってくる律華だが、このように動いてくれると修斗も乗りやすいもの。


「もちろん大好きだよ」

「だよねっ。焼肉美味しいもんね!」

 えへへ。と、どこか恥ずかしそうに、逃がさないように裾を握ってくる。

 気分は本当に焼肉なのだろう。


「……あのさ、焼肉にいく前に一つ確認させてもらっていい?」

「なになに?」

「律華さんの年齢を教えてくれない? 見たところかなり若いし、18歳未満なら23時からは補導の対象だから」

 ポケットからスマホを取り出し、時間を確認すれば22時40分を過ぎていた。焼肉を食べ終わる頃には間違いなく補導時間を迎えることになるだろう。

 固いことを言っていることはわかっているものの、これはお互いのために必要なことで、大人としても守らなくてはいけないところ。


「さすがお兄さん。しっかりしてるね」

 なんて嬉しそうに言ってくる。


「そんな偉いお兄さんには私が焼き育てたお肉、一個だけあげちゃうね」

「ありがとう。で、肝心な方は?」

「今は18だから大丈夫だよ。一応学生証も見る? そっちの方が安心できるでしょ?」

「そこまでしなくていいよ。それじゃあ親御さんには連絡はするようにお願いね」

 自信ありげに『学生証も見る?』なんて言われたら疑う余地はない。

 人に迷惑のかかることをするような彼女でもないだろう。

 出会って間もないが、それくらいの人を見る目は持っている。


「言葉だけで信じてくれるんだ?」

「焼き育てたお肉をあげられる人に悪い人はいないよ」

「あはっ、さすがは美容師さん。口上手だね。んでんでお兄さんオススメの焼肉屋さんとかある?」

「近場にあるチェーン店でいいと思うけど、律華さんに任せるよ。俺より詳しそうだからね」

『ビクッ』

 こう口に出した瞬間、彼女は華奢な肩を上下に動かして視線を彷徨さまよわせた。図星なのだろう。


「えっと……今さらなんだけど、このことはあまり言いふらさないでね? なんか私と焼肉ってイメージと合わないみたいで」

「イメージかあ。モデルさんもいろいろ大変だね。じゃあ今日は俺に奢らせて。年上でもあるし」

「なら私がお兄さん焼肉奢るから、お兄さんは私の焼肉奢ってよ」

「それって意味あるかな……?」

 割り勘という言葉が一番しっくりくるだろう。


「意味あるって! こうすればもっと仲良くなれそうでしょ? それに同じ値段でもう一回、お兄さんと焼肉にいけるじゃん」

「あのさ、もしかして最初から狙ってたりしないよね? 二回焼肉にいくプランみたいなの」

「にひっ」

 疑問を投げた瞬間だった。目尻を下げてニンマリと微笑む律華だった。

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