6弾目 加齢臭

新田原真之介はチャイムを鳴らした。返答は無い。

彼はわずかな期待を込めて、再びチャイムボタンを押した。

すると、玄関内に微かな人の気配を感じた。


「僕だ。真之介だ。誰かいるのか?」


彼は押し殺したような声で言った。

間もなくしてドアのロックとチェーンが

はずされる音がすると、扉は数センチ開いた。


「真之介か・無事だったんだな」

隙間から覗くのは、父親の顔だった。


「親父、みんなは無事なのか?

  何度も電話したのに繋がらなかった」


「ああ、母さんも美里も無事だ。

  携帯電話が不通になってる。

  たぶん回線がパンクしてるんだろう」


真之介の父親の声は、かすれていた。

彼の返事を聞いて、納得したように新田原真之介はうなづいた。


「すぐに避難した方がいい。

  ここもいずれゾンビに囲まれる」

真之介の声音には、説得しているような色が含まれていた。

戸惑っている父親に、彼はさらに言葉を続けた。


「下の駐車場に、仲間と車が待っている。

  みんなを自衛隊の駐屯地に連れていくよ」

真之介は安心させるように、穏やかな声を出すよう努めていた。


「仲間?」


「ああ、サバイバルゲームの仲間さ。頼りになる」

父親は彼の横にいる城野蒼太とジェイソン下曽根の姿を認めた。

彼らを見てホッとしたのか、父親の顔に笑みが浮かんだが、

すぐに険しい顔つきになった。


「しかし、非常階段にもゾンビがいるんじゃないのか?」


「大丈夫だ。ここから直接、下に降ろすよ」

真之介の言葉に、父親は驚いた顔を見せた。


「ここからって、8階だぞ。どうやって・・・」


「これで降りる」

新田原真之介は、肩に掛けていた

3本のハーネスを見せた。


「ただロープが150キロまでしか耐えられないから、

  僕とここにいる仲間に、親父と母さんと妹の美里を

  一人ずつ背負って降りることになる。

  ゾンビに遭遇せずに安全に降りるにはこれしかない」

息子の真之介の真剣な眼差しに、彼の父親は渋々うなづいた。

玄関を大きく開けると、奥から母親と妹の美里が現れた。


「真之介、無事だったのね!」

母親の顔は強張りながらも、相好を崩した。


「真兄ちゃん」

弱弱しい声をかけてきたのは、妹の美里だ。

彼女は現在高校2年生、今年で3年生になる。

小波瀬鈴とは1学年下だ。


新田原真之介は、父親に言ったことをもう一度を、

その二人にもう一度説明した。

泣きそうな顔をしながら、母親と妹はうなづいた。


「何も怖いことは無いから、僕たちを信用してくれ」


「レンジャー、時間が無い。急ごう」

新田原真之介の背後に、そう呼びかけたのは城野蒼太だった。

新田原真之介は肩越しに頭を縦に振った。

父親と母親、それに妹はそれぞれにリュックを背負っていた。

ロープの強度と、それを計算に入れると、

一度に降りれるのは二人が限界だろう。


新田原真之介は出てきた3人に素早くハーネスを付けた。

城野蒼太とジェイソン下曽根は、

一番近くにあるマンションの支柱にロープをくくりつけて、

しっかりと固定した。残りを階下へと放り投げる。

まるでそれを合図にしたかのように、

階下の駐車場で待機している、安部山朋和から無線が入った。


『こちら課長。まずいことになった』

安部山朋和の声音には、緊張している色が滲んでいた。

城野蒼太は、すぐに応答した。


「こちらイケメン。どうしました?」


『理由はわからんが、

  ゾンビの群れがこの駐車場に集まってきている。

  急いでくれ』


新田原真之介と城野蒼太、それにジェイソン下曽根は瞬間、

互いに顔を見合わせ階下で起こっている事態を

すぐさま察して、作業の手を早めた。

妹の美里は新田原真之介が背負った。

父親をジェイソン下曽根が、母親を城野蒼太が背負う。

それぞれのハーネスは、背負った者のハーネスに

太くて頑丈なカラビナで連結されている。

万が一にでも落下を防ぐためだ。


最初にジェイソン下曽根がロープを

自分のカラビナに通した。

マンションの共用通路の手すりに足をかけると、

彼と父親の合わせて140キロ近い体重をものともせず、

壁面を蹴った。その様子を見て、この緊迫した状況にも関わらず、

新田原真之介は口元が緩んだ。


さすがはアメリカ人だ。

ジェイソン下曽根の身長は190センチを越え、

肩幅は広く、贅肉の無いがっちりした体格だ。

一見、とてもただの英会話教師には見えない。

だが、それが頼もしく思えてならなかった。

新田原真之介は刹那の間、ある想いが頭の中を駆け巡っていた。

もし、自分にジェイソン下曽根のような身体能力があれば、

自衛官を辞めなかったかもしれない。

彼は自衛隊の中でも体力の弱い方だった。

それ以上に、自衛官として一番大切な

強靭な精神を持ち合わせていなかった。

その結果、厳しい訓練に耐えかねて、退官することになった。

それがたった2年前のことだ。

もう遥か昔のことのように思える。


「レンジャー、先生が着地したようだ。

  さきにおふくろさんを降ろすぞ」

城野蒼太は母親を背負ったまま、

階下を覗き込んで確認するように言った。

彼の声に我に返った新田原真之介は、

真剣な眼差しでうなづいた―――。


「くそ、一体どれだけいるんだ!

  あ、くそなんて汚い言葉は言っちゃダメなんだよ、

  鈴ちゃん」

背後でM4 カービンを構えている鈴に向かって、

M3ショットガンをコッキングしながら安部山朋和は叫んだ。


「課長~、邪魔になって撃ちにくいよ~」

鈴が口を尖らす。


「鈴ちゃんにゾンビを近づかせるわけにはいかないんだ。

  さあ、私の背中から離れないでいてね」

彼はコッキングをしながら、

東京マルイ製M3ショットガンから3発同時にBB弾を発射させて、

一体、また一体と近づいてくるゾンビの頭部を粉砕していた。

小柄な鈴は、安部山朋和の広い背中が邪魔で、

M4カービンの照準を合わせられないでいた。

自然とムッとした不機嫌な表情になる。


「課長、臭い」


背後から聞こえた鈴の言葉に、

安部山朋和はショックを受けたようにゆっくりと振り返った。


「臭い?私が?」


「うん。マジゲロ加齢臭」


か、加齢臭?しかもマジゲロということは、

かなり臭いと言いたいのだろう。

確かに私はその年齢に達しているのは自覚している。

だが、そんなに不快な臭いなのか?

いつも清潔な服を着るように心がけているし、

わずかだがコロンも欠かしたことはない。

過去一度も「課長、加齢臭くさいですね」なんてこと

会社の女子社員にだって言われたことは無いのだ。

それなのに鈴ちゃんの嫌悪感と蔑みを滲ませた、

あの視線は何なのだ?


そこで安部山朋和は、忌まわしい記憶を思い出した。

あれは娘の朋絵が高校生になった頃だった。


ある日曜日の早朝だった。

私は接待ゴルフのために準備していた。

前日まで雨が降り続いていたせいで洗濯できず、

その日着ていく洗濯していたゴルフウエアを、

大急ぎで乾燥機で乾かしていた時のことだ。

私は朋絵に服をとってきてくれと頼んだ。

そして私は衝撃的な場面に出くわしたのだ。

朋絵が私のゴルフウエアを右手でつまみ、左手で鼻を押さえながら、

まるで汚物を扱うかのように

私のところへ持ってきたのだ。

私は愕然とした。

汚れた衣服ならともかく、洗濯したばかりのものなのだ。

私は朋絵に問いただした。震える声で。

すると朋絵はこう言ったのだ。

『パパの加齢臭、パない』

私の発する加齢臭いは、

洗濯したばかりの衣服からも臭うくらい

尋常なものではないということなのか?

その日は一日中そのことが頭から離れず、

ゴルフの結果は最低だった。

OBに空振り、池ポチャ・・・

そして今、

鈴ちゃんもあの時の朋絵と同じ目で私を見ている―――。


「とにかく、子供扱いしないで。

  あたしだってSOAのメンバーなんだから」

小波瀬鈴はそう言うが早いか、

呆然としている安部山朋和をよそに、

ジェイソン下曽根のピックアップトラックの荷台部分に飛び乗った。

M4カービンを構えると、群がるゾンビに向けて、

セミオートでトリガーを絞った。

瞬く間に十数体の頭部を粉砕する。


安部山朋和が呆気に捉われているうちに、

ジェイソン下曽根が、小波瀬鈴と安部山朋和のいる

駐車場に降りてきた。彼は背負った新田原真之介の父親を、

ハーネスから解放すると、

ジムニーシエラの後部席のドアを開けて車内に入れた。

ジェイソン下曽根はドアを閉じると、

G36Kカスタムを構えて戦線に加わった。

安部山朋和はそんな彼の肩を掴むと、

眉間に皺を寄せて訊いた。


「正直に言ってくれ。私はそんなに臭いか?」

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