幕間( 1 ) 赤と白

 草むらの中を進んでいる間は、結局二人に追いつかなかった。幸い置いていかれなかったのは、草がガサガサと動いてくれたからだ。

 手や顔を切らないように細心の注意をしながら、何とか草むらを出る。と、二人が待っていてくれた。今まで真っ赤な風景にいたからまだ良かったが、白と青の落ち着いた雰囲気の中に出ると、服部はっとりのカラーの異質さが浮き出している。やっぱ無いな、あの色合わせは。

「あ・・・悪いな」

 ありがとうって言うのは、少し照れくさい。二人の優しさに感謝したつもりなのだが、当人たちは訝しげな顔をした。

「君を置いて行ったら、僕らが契約違反になるじゃないか」

「案内するって約束だもんねっ!」

 ・・・優しさだと思った俺がバカだった。所詮はそこだ。この世界に善意って本当にないのかな?それはなんだかとても寂しい気もするんだけど。

 ステッキをくるりと回転させてから、服部が歩き出す。歩くのが速く、歩き慣れたばかりの俺には正直キツい。白い木の根っこに何度も躓き、五回目くらいのところで思いっきり転んだ。

「痛い」

 とっさに出た言葉じゃない。なんかこう、たぶん疲れたんだと思う。その痛みによって、今さら夢じゃないことに気付かされたみたいな感覚だった。

 とはいえ置いていかれては困るので、立ち上がろうと地面に手をつく。上体を起こしたところで、目の前に細い手が伸ばされた。

「何してんの?」

 愛川あいかわだ。服部も奥で止まってくれている。空はもう深緑になっていて、夜になったのかと気付いた。

「や、眠くなってきた」

 眠くなって躓いた、ということにしたかったのだが、実に言葉足らずだと自分でも思う。これじゃまるで、唐突に寝たみたいじゃないか!

「じゃな」くて躓いたんだ、と言い直そうとしたら、すこし先にいた服部が戻って来るのが見えた。また笑われるのか?それともバカにされるのか?

「もう夜だしな。眠くなるのも当然かもしれない。聞いたら僕も眠くなった」

 そう言って近くの木の根元に座り、帽子を目深にかぶり直した。腕を組んだまま動かなくなる。

「・・・怒ってんのか?」

「ううん。寝ただけだよ」

「・・・寝ただけ?」

「うん。夢野ゆめのもそうだけど、服部も眠くなると寝ちゃうんだよね」

 自由気ままな性格のようで。

 すぐに立ち上がらなかったので、愛川も手を引っ込めて地面に真横に寝転がった。何か敷いたりしないんだろうか?ま、赤色の草も黒色の土も、香りは変わらないのでほっとするのは確かだ。

 ふと契約の事を思い出した。

「愛川」

 服部や夢野と一緒にいるのだから、愛川が起きている保証はない。反応がないならいいやという程度だったが、きちんと返事がきた。起きていてくれたらしい。寝られたら困るので、すぐに続ける。

「なんで俺、契約達成できたの?」

 当然の質問だと思ったんだけど、彼女にとっては不思議な話だったらしい。上半身を持ち上げた、その大きな眼に捕まる。

「なんでそれが不思議なの?」

 逆に聞かれた。いや、だって不思議だろ。俺何もしてないんだよ?

 それをそのまま伝えると、愛川は静かに笑った。こんな笑い方もできるんだ、こいつ。

「だって、あたしたちと契約する人なんて、会ったことないんだもん」

「え?従属・・・だっけ?してるんじゃないの?」

「従属と契約は違うよ。対等に何か持ちかけようっていう人がいなかったってこと」

 ん?

「だから契約しないかって持ちかけてきた時点で、もう非能力者だからとかっていうレベルの話じゃないんだよね」

 それは物珍しさのレベルなんだろうけど・・・、じゃなくてっ!

「契約を持ちかけられないで、どうやってあんたらはこの世界で生きてるんだ?」

 今まで俺がこの世界で学んだことはこうだ。

 契約無しでは何もできない。

 それこそ誰かを祝うことも、誰かを助けることも出来ないのだ。正直、服部、愛川、夢野の三人が互いに契約していると考えていたわけだけど、今の感じから違うようだ。

 俺の事をじっと見ていた愛川が、眠っている服部の事も気にせずひゃははと下品に笑い出した。本当にいつも急に笑うな、こいつは。アイドル系の可愛い顔が台無しだ。

「・・・なんか間違ったこと聞いた?」

「だって、契約しないと何もできないみたいな、その言い方・・・っ」

 ・・・え?

「ま、待てよ!契約しないと何もできないんだろ?」

「ひゃははっ!本気?それ本気なの?」

 違う?だって鷲尾も宝亀も、そんなようなことを・・・

「あー・・・笑った!」

「『笑った』じゃなくて!どういうことだよ?」

 どこで間違えた?何が違った?

 思っていたよりおろおろしていたらしい。本当に解らないと思われていなかったようで、愛川はただでさえ大きな目をさらに見開いた。

「嫌だなぁ、常識じゃない?同じ人に仕えていれば、対象が必要としない場合、何の契約もいらないでしょ」


 ・・・え?


 言われてみればそうだ。

 俺のために、と言うときは契約に則ってたけど、鷲尾わしお宝亀ほうきもいちいちそんな固っ苦しいことはしていなかった。雉野きじの柳崎りゅうざきもそうだ。柳崎に従っている兵士たちもそうだった。こいつらが俺のことを非能力者だと思っていたのに契約を持ちかけてきたんだから、柳崎と兵士の間にも契約があっていいはずだったんだ。命令に従うという契約をしていたとしても、彼女から兵士たちに何かを与えた様子はなかった。従属の形はよく分からないけど、少なくとも柳崎と雉野の間は平等なように見えたし。きっと羊元ようもとの店だって、思い付かないけど、物々交換だけでは厳しいだろう。詳しいことは分からないが、少なくとも仕入先はあるはずだし。

 つまり、従属は上下関係を生むだけでなく、従属し合うもの同士にも利益があるってことだ。

 確認しようと愛川の方を見ると、ばたりと横になって寝息を立てていた。電池切れのロボットみたいだ。人形のほうがまだ可愛さがあるかな。夢野や服部と同じく、彼女もまた「バッテリー切れ」が起こるようだ。

 空はまだ深緑で、月は不気味なほどに赤い。寝転がって香る土のにおい以外は、慣れたとはいえやっぱり異世界だ。枕にしている通学カバンの臭さが、なんだか懐かしくて安心する。

「・・・俺、帰れんのかなぁ」

「何処にだ?」

 低い声にびっくりした。見ると、垂れていた服部の頭が持ち上がっている。ホント、こいつも女子にキャーキャー言われそうな顔だよな。能力者ってみんな美形なの?俺だけアウェイなんですが。

 しかしまずいことを聞かれてしまった。気が緩んだんだろう。なんとかして誤魔化さなければ。

「あ、城にだよ」

 どう繋がるんだよ、これ!もっと機転の利く人になりたいと、今以上本気で思ったことはない。

 が、相手が勝手に方向修正をしてくれた。

「ああ、『帰る』じゃなくて、『入る』って言ったのか」

 一般兵志願程度が城に入れるか解らないけど、助かった。

「安心していい。僕らが連れて行って、城に入れないことはないから」

「は、入れるのか?」

 一般兵志願者ってことは、まだ一般人だぞ?

「王族が城から出ることはないからな」

返事がなんか違うな。全く頭の中で繋がらない。そしてこれ以上は墓穴を掘りそうで、聞くに聞けない。

いやしかし、まさかの王族との面接があるのか。王様に会えるかどうかが要だから、そう考えるととっさとはいえ、いい嘘をつけたものだ。これなら確実に王族とやらに会える。

「ああ、そういえば」というと、彼は被っている帽子を脱いだ。何をするのかと思っていると、そこから小瓶を取り出す。何か入っている。

「一つ、情報提供を願いたい。答えてくれれば、こいつをやろう」

「・・・こいつって、何?」

 眼鏡越しでも見えない。あんま度数がきちっと合ってないのかな?さいきん眼鏡屋も眼科も行ってないもんな。帰れたら調整しないと。

「ああ、羊元の所でも珍しいものだからな」

 そう言って、ぽいっとそれを投げた。

 中身をみると、小さな生き物が入っている。獣っぽいけど・・・

「何?」

 残念ながら、俺は動物に強くない。犬だって猫だって、ほとんど同じに見えるもんなぁ。服部は少し勝ち誇ったような、嫌味な顔で答えた。


「トーヴだ」


 知らなかった。どっちにしろ知らなかった。犬、猫、ネズミ程度の認識しかないから、確かにこれが「カピバラ」ですとか言われても解らないけどさ。

「で、このトーヴってのは、何なんだ?」

「忠誠心の高い生き物だよ。きっと君が瓶から出せば、刷り込みのように君に仕えてくれるだろう」

 ・・・こんな小さい生物が?

 服部は歌うように説明を続ける。

「穴を掘らせりゃ世界一、忠誠心は天下一、攻撃力は劣るけど、素早さならば敵はない」

 小さいのに、ずいぶんと高い評価がされているようだ。

 感心して眺めていると、服部が帽子を被り直した。それからせっかく普通に戻っていた襟を、また立て直す。だからそれは絶対立て襟のシャツじゃないって!

「さあ、情報提供に応じてくれるなら、そいつをやるよ」

 上手い話には裏がある。イッパシの高校生の俺だってそのくらい知ってる。そんなに希少かつ役に立つ生物を簡単にもらえるわけがない。

けど。

「俺がその情報を持っているとは言えないんじゃないのか?」

「ああ、知らないなら知らないでいい。ただ、君は知っている気がしてね。僕の勘だ」

 何がどうなってそんな評価をもらえたのか解らない。けど、俺がこの世界において知っていることは少ない。知らないことなら知らないでいい訳だし、条件はいいかもしれない。

「わかった」

「この僕と二回も契約するなんて、君も大概気狂きちがいだね」

 失礼な。あんたらの方が、ずっと気狂いじゃないか。でもこいつの失礼さは、今に始まったことじゃないな。といっても…

「俺なんかが持ってる情報なんて、高が知れてんじゃないの?」

 この世界では能力者と非能力者の差は激しい。こいつらだって、兵に志願するまで酷い扱いをしてきた。そんな相手に情報提供を求めなければならないようなことは何だ?

 警戒しているのが伝わったみたいだ。愛川に気を遣ったように控えめに笑った。

「案ずることはない。非能に情報提供を求めたヤツは他にいないから、気になっただけさ」

 なんだかんだ言って、非能力者への関心が高いよな、こいつって。

 気になっただけという言葉で、少し安心した。変な情報じゃなさそうだ。

「で?なんの情報がほしいんだ?」

「驚かないでくれよ?」と念押しをしてから、服部が立てていた右足を、左足と同じように伸ばした。

「アリスが来てるらしいのだよ」


 え?


 思わず上体を起こしてしまった。

「あ、驚いたね?まぁ、無理もない。何十年、何百年振りだってレベルだし」

 けらけらと笑っているけど、俺はそれどころじゃない。だってやばいだろ!こいつらの言う「アリス」は俺で、俺以外にアリスがいるとは思えない。冷や汗がとめどなく出てきて、体の芯が冷えてくるのを感じた。

「な、んで、アリスの情報なんかを?また、あんたの、きょ、興味、とか?」

 寝転がっている余裕がなくて、胡坐をかくように座り直す。だけなのだが、どうにもうまく座れなくて、無駄に時間がかかった。明らかに挙動不審だし、言葉もボロボロだ。もうダメな気もしてきた。

 あんなに酷かったにも関わらず、それも驚いたせいだと思ったようだ。本当に、こいつの修正能力には助けられる。

「命令だよ。赤も白も、王族がアリスの獲得に当たっているからね」

 ね、狙われてる!宝亀が気にしていたのはこのことだったのか!

 ・・・待てよ?それならさっさと言って、城に連れて行ってもらったほうがまどろっこしくなかったのか?

「アリスを捕まえたら、何をするつもりなんだ?」

 一応の確認で聞いておく。たぶんそんなにひどい扱いはないかと思うんだけど・・・

 幸いこの質問は、非能力者であれば変ではなかったらしい。ひょいと立ちあがって、遠くから見下ろしてきた。

「無効化の力を使わせるのさ、王族のためにね」

「なんで無効化が・・・」

「王族の能力は知ってるだろう?」

 知るか。

「相手の王族の能力を無効化して、レイゾクさせようとそろって考えているわけさ」

 レイゾクって・・・、あ、隷属か。非日常言語すぎて、一発変換できなかった。でも、能力さえ封じれば、簡単に相手に隷属なんてするのか?

 その質問を待たずに、服部は話を続ける。

「でも白に勝ち目はないだろうな」

「え、なんで?」

「なんでって・・・羊元がいないだろう?」

 なんでそこで羊元が出てくるんだ?

「羊元がいないと武器が作れない。武器無しでは能力も使えない」

 この世界にあるあらゆる武器は、全て羊元が作っていたのか。


あんな中学生みたいな子が凄いなぁ。

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