第3話 公爵夫人の家へ(1)

 人生でこんなに走り続けたことなんて、マラソン大会以外初めてだ。目の前にそびえ立つ建物は、いかにもお金持ちの家って感じである。一般貧乏さんな俺は憧れるよりも、すげぇとひいてしまった。住みたいとは死んでも思わない。

 森の中に潜んで、様子を窺う。


∴∵∴∵∴∵


 実は俺は走り始めた直後に、鷲尾わしおに呼び止められていた。

「なんだよ」

 不機嫌に振り返ると、鷲尾は座ったまま、また枝を折っているところだった。先ほどの枝の粉が彼の足元に広がっていて、本当にチョークみたいだ。彼の手も、心なしか白くなっているようにも見える。

 折ったばかりの木の枝で俺を差す。

「二人の従者に気を付けろよ」

「・・・二人の従者?」

 聞き返すと、鷲尾はにやりと笑う。二つに折った枝を、今度はジャグリングし始めた。二つだろうとそんなの俺には出来ないので、思わず「おぉ」と感心してしまう。

「公爵夫人には二人の従者が仕えてるんだ。あいつらの忠誠心は化け物級でな。脅すわけじゃないけど、見つかったら大変だからな」

 脅すわけじゃないとか言うけど、もうただの脅しだろう、それは。大変って何なんだ、大変って!すっげー気になるけど、気になるのに、聞いたら聞いたで怖くてもう行けなくなりそうな気がして、全然聞けないじゃんか!っていうか、そんな危険なところに初対面の人間行かせるか?むしろ初対面だからこそどうなってもいいってか?なんだよそれ、勝手だろそれ!しかももう断れないじゃないか!契約破棄は犯罪なんだろ?異世界だろうとなんだろうと、俺に犯罪をする間違った勇気なんて備わってねぇンだよ!


 俺は大きくうなだれた。背中に巨大な絶望がのしかかる。結局、日本で不法侵入するのと同じくらいの環境ってことだ。


∴∵∴∵∴∵∴


 そして今に至る。そう言えば従者の特徴も聞きそびれたな。結構痛い過失だと、自分で落ち込んだ。ここに来てから、なかなかハッピーな気分になれない。

 ふと気付くと、青色の低木の隙間から話し声が聞こえてきた。こっそりと覗くと、男女が話し合っている姿が見える。それを見て、俺は呆れ返った。あいつらが従者だと、あまりにも簡単に解ったからだ。燕尾服にメイド服、どっからどう見ても、絶対従者だ。あれが公爵と夫人だった場合、とんだコスプレ夫婦である。ま、この世界に来てから常識が常識じゃなくなってるけど。


 特に危険視する感じもないけど、RPGの中じゃ何でもありってのが定石だろうし。もうたぶん、あいつらが魔法を使い始めても、俺は驚かないと思う。だからこそ、油断はできない。

 音も立てずにこそこそと移動し、茂みの中に身を潜める。このまま二人の会話を盗み聞いてやる。鷲尾も鍵の在処は知らなかった。その点では、すぐに従者を見つけられた俺は運がいいかもしれない。なぜなら公爵夫人自身は滅多に来ず、従者が鷲尾の管理をしているらしいからだ。南京錠のカギは、鷲尾を管理するグッズのところに置いていあるはず。鷲尾の話題が出てくれれば、目処くらいつけられる。


 メイド服はなぜか巨大なスプーンを持っていて、それをずるずると引きずりながら燕尾服のもとに移動しているところだった。置物のように直立不動の燕尾服もまた、そろって巨大なフォークを持っている。彼の隣りに揃って立つと、同じように彼女も森側を向いて動きを止めた。しばらく沈黙した後、メイド服は息を吐きだす。

「・・・今日もダメでした」

「なかなか吐きませんね、グリフォンのやつ」

 微動だにしないまま、燕尾服が返した。その後の話を聞くに、俺が落ちる少し前に鷲尾のところに来ていたようだ。俺の方がメイド服より早く来れたのは、彼女が公爵夫人の元に結果報告に行っていたかららしい。メイド服はちらりと燕尾服を見て、それからまた森に視線を戻した。

「亀まがいは?」

「さあ?少なくとも、グリフォンの鍵を取り戻しには来ていませんね」

「うまくはいかないものです、やはり」

「従属しているわけでもないですし。交換条件しても、今のグリフォンには提供できるものもありませんし」

 亀まがい。どうやらそれが鷲尾の友達の名前らしい。まがいってのが気になるけど、きっとヒョウモントカゲモドキとかのモドキと同じようなもんだろう。っていうか、友達って亀?諸葛孔明じゃなくて、亀・・・。

 ともかく、お友達同士の手助けですら、契約なしでは行われないらしい。道徳観が浸透してんのかと一度は思ったものの、むしろ非常に打算的な世界のようだ。友情とか愛情とか、そう言うのってないんだろうなぁ。

「ふん。いくら亀まがいと言えど、やはり緑の間への侵入は難しいでしょう」

 緑の間って部屋なのか。俺はすっと建物に視線を移した。いくつか並んでいる窓から部屋の中を見ることができ、その中は赤だの青だのとずいぶんとカラフルだ。少し離れて三階建ての建物の窓を右から左までぐるりと見る。黄緑色の部屋もあったが、緑色の部屋は一階にしかなかった。ここまで色分けされていているのだから、緑の間と言ったら緑色なんだろう。もしここで色の観念が違ったらアウトだな。


 失敗は許されない。とはいえ、窓をぶち壊せばバレんだろうし、鍵を解錠する能力なんてない。元より窓の鍵がピッキングだのなんだので開くようなものじゃないだろうけど。こういうとき超能力があればいいのに。

 そこでふと思い出す。そういや鷲尾が俺も能力者みたいなことを言ってたよな?ってことは、もしかして俺もそういうの出来ちゃうのか?超能力って言ったらやっぱそういうのができる感じだよな?

 希望を持って、緑色の部屋の前に移動する。窓の鍵はやっぱり回転式で、だからこそ念動力に望みが高まった。俺はじっと鍵を見つめる。それから「動け」と頭の中で

強く念じてみた。


 鍵はびくともしない。


 もしかして、なんか発しなきゃいけないのか?しゃがみこんだ体制で、手を前に突き出す。手から何かが出るイメージをして、なんかそれっぽくやってみた。


 鍵は、やっぱりびくともしなかった。


 何の成果も得られないと解った途端に、ものすごく恥ずかしくなる。バッとあたりを見回して、誰もいないことをよく確認した。それから激しい動きをしてしまったことに気付いて、心臓に負荷がかかる。

 幸い誰にも見られていなかったし、気付かれてもいなかったものの、万策尽きた。近くに小石なんかも落ちてないから、運が相当良くないとバレる「窓を割る」という策も使えないし。

 ここで俺は、自分の運が相当どころかかなり良くないとダメという、億に一つの確率に賭けることにした。


 それは「鍵がかかっていない」という確率だ。この世界は異世界だし、鍵をかけるという習慣自体がないかもしれない。鍵が付いているのは何らかの名残で、用途の意味はないとか。そう、ここは異世界だ。俺たちの常識が通じるとは限らない。

 従者二人は置物のようにずっと一方向ばかりを監視しているので、移動するなら今だ。きっと、公爵夫人の迎えを待っているとか、そういうところだろう。窓の下にもサツキかなんかの低木が植わっていて、その奥に入ればまた身を潜められる。

 間違って従者の視界に入ってしまわないように、慣れない歩伏前進でずるずると目的地点へ移動する。その間、ずっと窓を見ていたのだが。


 ・・・?


 なんだろう。なんか違和感がある。何が違うってことはないんだけど、なんかこう足りない気がする。

 その違和感の原因がなんだかわからないまま、窓の下に着いた。無駄なスペースを最小限に減らすために、壁に背を付けて、首だけグイと上に向ける。真下から鍵を見ても、残念なことにやっぱり鍵はきちんとかかっていた。

 やっぱダメか。さて、どう侵入するべきか。就職試験の際に、自分が泥棒なら何処から侵入しますか、とかいう質問が出される会社があるとかテレビで聞いたことあるけど、それが実体験になるなんて、普通のやつは思わないよなぁ。

 ブーンと、何かの音がした。俺がサツキかもと思った低木林にまだ花はなく、蜂ではなさそうだけど。もしや、防犯システムが作動しちまったのか?

 不安にきょろきょろしていると、視界にふと何かが映った。

 ・・・木馬?

 小さな木馬に葉っぱが付いたような何かが、ブーンと音を立てて飛んでいた。こいつが有害なのか無害なのか解らないが、噛みついてくることも刺してくることもなさそうだ。茫然と木馬バエを見ていると、すっと部屋の中に入って行った。


 あ、そうか。


 いまさらになって、先ほどの違和感の正体に気付いた。


 この窓、硝子が嵌まっていないんだ。


 黄色の空も、水色の葉も、白い樹も、何にも窓に映っていない。どころか、光の筋すら見受けられない。束ねられているレースのカーテンも、風を受けてわずかに裾を揺らしていた。どれも、硝子が嵌まっていては起きない現象だ。

 自分の不注意さにあきれたけれど、とにかくこの状況では助かるばかりだ。ひょいと乗り越えようと、俺は窓枠に内側から手をかける。

 触れてみると窓枠は石製だった。日本でよく見かける黒いアレかと思ったけど、どうやらただの黒い石を削った物らしい。鍵の部分だけあとから取り付けたようになっていた。

 鉄もそうだが、石ともなると、体重をかけたら痛い気がする。俺も一般に漏れず、痛いのは苦手だし。少年漫画とか、痛いのがダメで戦闘物が読めないくらいだ。だって血が出てるのを見ているだけで、同じところが痛くなる気がするし。

 ふと思い出して、俺はベストを脱いだ。それを窓枠に乗せて、緩衝材にする。春先の癖に今年は寒いと、朝ぶぅたれたことを神様に謝ろう。あと校長にも。校則に文句言って悪かったな。

 二つに畳んだベストに手を置いて、少し体重を乗せてみる。まあ痛くないと言ったらウソになるが、思ったよりは痛くない。薄地とはいえ、なかなかの柔らかさだ。結構いいものだったんだなと初めて実感する。学校の制服って、無駄に高いと思っていた。


 だめだ。なんか焦る気持ちが空振りして、変なことばかり考えてしまう。横道にそれず、目的だけを見て行動しないと。

 窓枠に乗せた手をある程度に開いて、懸垂の要領で乗り越える。はずだった。

 自慢じゃないけど、俺は脚力が平均以上というだけで、それ以外の運動神経は中の中の更にど真ん中くらいだ。つまりごくごく一般的。ひいては鉄棒は大の苦手だった。

 まとめよう。結局俺は上れなかったのだ。

 間違っていた。これは運がいいというんじゃない。俺にとっては最悪の状況だ。だって出来るやつは入れるのに、俺だから出来ないって言うんだ。こんなにみじめな思いになることはない。

 でも俺だって男だ。負けるのも嫌だし、ここで諦めるのも情けない。いや、本音を言えば「犯罪をした」というレッテルを自身に貼りたくないんだ。日本じゃ犯罪にもなんないけど、やっぱりこの世界でも犯罪はしたくない。

 頭の弱い人間なりに、必死に考えた。ちらりと従者の二人を見ると、やはり微動だにせず黙々と一定空間を凝視している。

 もしかして、あいつらこっちを見る気ないんじゃないのか?敵は真正面からやってくるとでも思っているのだろうか?いや、公爵夫人と言う女性があまりにも傍若無人ってか、自分勝手な人なのかもしれない。わがままって言った方がいいのかな?迎えが遅ければ解雇だとか、そういう性格なのかもしれない。

 この考えが合っているなら、きっと従者はちらりともこちらを見ないはずだ。

 いざとなったら走って逃げよう。少なくとも通りすがりだと言い張れば、邸内に入ったわけでもない俺は許されるはずだ。いや、ここがもし庭とかで屋敷内だったとしても、垣根がないのが悪い。迷い込んでくる奴もいるだろう。


 覚悟をした俺は、低木から飛び出してその場に立ってみた。手をぶんぶんと動かしてみて、ぴょんぴょんと跳ねてみて、確認を取る。

 結果、どんなに動いても、従者たちがこちらを見ることはなかった。

 懸垂は苦手だけど、走り高跳び・・・だっけ?あれなら出来る。いや、むしろ得意な方だ。120センチ位は飛べた記憶がある。地味だけど、珍しく活躍できて、注目が歯痒かったんだ。半年近く前の話だけど、衰えてないことを信じる!

 音を立てるのは少し怖かったので、初めに潜んでいた低木のぎりぎり手前くらいまで離れた。そこから走り出し、さっきまでいた低木を大股で飛び越えてから、窓枠に手をついてひょいと通過する。

 ここまでは大成功だった。ただ、いつも着地点にはクッションがあった。でも今回は室内への侵入、そんな丁寧なモノがあるわけがない。それを全く考えていなかった。

 俺は思いっきり床に体を打ちつけた。フローリングじゃなかったのが不幸中の幸いだ。どっちにしろ、悪いことをすると痛い目を見るってことなんだろうな。

 しかも今考えてみれば、窓ガラスがない分防犯システムがあったのかもしれない。今作動していないということはきっとなかったってことなんだろうけど、それでもひやりとする。それこそ言い逃れ出来ない。

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