第8話:乗馬の前に

「本日は俺の仕事に付き合っていただきます。宰相には了解を取ってありますが、まあ、視察程度に考えておいてください」


 あれから一ヶ月。ボンクラ王子はせっせと己の体磨きに精を出し、ようやく元の皮膚の色が見えてきた。どんだけ垢溜めてんだよ、とげんなりしてしまった。その間に使い潰したヘチマ5本。週に一回の割で新しいものに交換した。


 ま、少なくともドアを開けただけで吐く騎士もいなくなって、侍女長からは涙を流して喜ばれた。あれは公害だったもんな。


 サラサラになった金髪を眺めてはほう、とため息を吐いて鏡を見る王子を見て、やっぱりナルシストのドアを開けてしまったかと頭を振った。元々そのはあったんだろうが。


 今日からちょっくら腹と腕のぜい肉を引き締めることにする。


「どこに行くんだ?」

「ハイベック領ですよ。なあに、馬でほんの3時間くらいですから、日帰りで行きますからね。夕飯までには帰って来れるはずです」

「馬…?馬車か」

「いやいや、馬車じゃ半日かかっちゃうんで、馬です。うま」

「わ、私一人で乗るのか?」

「……え、まさか乗馬も無理ですか」

「馬が可哀想じゃないか」

「馬車には乗る人が何言ってるんです?さ、行きますよ。なんとかなります」


 イヤイヤをする王子の首根っこを掴んで、笑顔で王城を抜け、厩舎間でやってきた。


「お、大きいな…」


 俺の乗る馬は、軍馬である。何せ領地の隅から隅まで走り回らなければいけないし、たまに王城に来て、また領地に戻ってと一日36時間あっても足りないくらいなのだ。人が見ていない所なら転移魔法でことは足りるのだが、街中でそれは流石に無理。ということで、親父様に頼んで手に入れたおいぼれた軍馬アキレス。


 昔は空を飛んだ、とうまやの爺さんが言っていたがもちろん嘘だろう。

 普通の馬だもんね。とはいえ、アキレスは軍馬としても大きいと思う。いつの戦争に使われたのかわからないが、なかなか度胸が座っていて、サラマンダーを見ても動じなかった。火を吹いてきた流れのサラマンダーを、蹄でにじり潰した曰く付きの馬でもある。俺が手に入れた時は、ひどく荒んでいて目が据わっていたから、余程な環境で生きてきたのに違いない。なので、薬草と森の芝を餌に、たまにリンゴや柘榴ざくろを食べて立派に回復した。ひょっとすると魔力がついちゃったかなと心配もしたが、馬らしいこと以外の事をしないので、まあよしとしている。


「アキレスは俺の馬なんで、殿下はご自身の馬を」

「いや、だから、私は乗れないから自分の馬は持っていないんだが」

「…王子のくせに愛馬もないのですか」

「私のようなものは裸馬に乗ることはしないのだ」

「いや、ちゃんと鞍は付けますよ。裸馬じゃないです」

「馬車以外は受け付けないということだ、馬鹿者」

「……なるほど。じゃ、しょうがないですね、外出の前に乗馬も覚えないと」

「馬は股間が痒くなるから嫌だ」

「馬のせいにしないでくださいよ。股間に病気を持った人を乗せる馬の身にもなってください」


 ブヒヒンその通りだ、とアキレスが嘶く。


「病気など、持っておらんわ!私のは乾布摩擦で綺麗に磨いて準備万端だ!」

「それで週一でヘチマ、ダメにしてたんですね!?」


 へちまでを磨くとは、触覚どうかしてるんじゃないのか。


「……わかりました。まずは体を慣らすことから始めましょうか」

「…うむ」


 王子の口角がキュッと上がるのを見た。これは、外出が面倒で言い訳をしたんだなと気がつく。そっちがその気なら、やっぱり馬に乗りたいですと言わせて見せようか。


 俺はまたしても王子の首根っこを捕まえて、今度は修練場に向かった。騎士団が訓練をしているだろうが、剣を握ることはしないからすみっこを使わせてもらおう。



 案の定、騎士団が修練場は使っていた。半分は走り込み、半分は剣の手合わせをしている。筋肉が走り込んでいる姿はなかなか精悍だが、暑苦しい。王子もあそこに混じってもらおうかな。


「それじゃあ、王子。基礎体力をつけながら、柔軟も心がけていきましょうか」

「うむ。庭を散歩するのは私も好きだぞ。今の季節、カメリアが綺麗だな。湖の周りならカラーリリーが満開だと聞いた」


 誰が散歩を楽しむといった?それは御令嬢に任せておこうや、ボンクラ王子。


「ではウォーミングアップから軽くジャンプしてみましょう」


 縄跳びをする様にぴょんぴょんとその場で飛ぶ。


「そんなことか」

「じゃ、ひとまず100回続けてください」

「100回?!」

「できますよね?そのくらい」

「む…」


 意外と負けず嫌いなのか、眉を顰めたものの、ボヨン、ボヨンと飛び上がる。


「はい、地面に足がつくときに膝が伸びたままだと、関節を痛めますから。重心に力を入れて膝曲げる」

「ふっ、はっ、な、何?」


 俺は槍を借りて、地面スレスレの所を王子がジャンプするときにすり抜けさせる。つまり王子は槍より上を飛ばなくては引っかかって転倒する。脛に当たると地味に痛いため、ジャンプをする時も脚を持ち上げなければならず、結構な運動量なる。


「はい、アップ、アップ」


 規則正しく槍を振り、王子がひいひい言いながら跳ね上がる。8回で息が切れた王子は地面に転がった。


「こっ、こんな、もの、だれが、やるかっ!」

「おや、転がるのが好きですか。では今度は転がってみましょう。俺は王子に向かって槍を振り上げた。


「おわぁっ!?」


 王子は右方向にゴロゴロと転がった。俺はすかさず右に槍を突きつけると、今度は左にゴロゴロと転がる。右へ左へと数回転がる内に、王子は素早く立ち上がって後ずさった。


 なんだ、素早く動けるんじゃないか。


「誰か!王子を、ふっ、はぁっ、殺そうと、する、奴がっ!ゼェ、ここに!衛兵!捕らえよ!衛兵っ!」

「人聞きが悪いなあ。柔軟運動の最中ですよ」

「これのどこが柔軟ダァッ!」


 王子が逃げ出す様に走り出した。騎士団員たちが面白そうにこちらを見ている。


「飽き症ですねえ。今度はランニングですね?いいでしょう。付き合いますよ」


 俺は王子を追いかけ、追い越し軌道修正しながら修練場の周りをぐるぐると走った。追いかけるな!休ませろ!と叫びながら走るから息も絶え絶えだ。ブヒブヒ言いながら、ヘロヘロになった。

 これは走り方から教授すべきか。


 これも3周くらいで王子はへばり、座り込んだのを見て、すかさず太腿を叩いて足を伸ばさせ、後ろに回って背を押した。

 前屈運動である。


「にぎゃあぁっ?」

「はいはい、これは前屈運動で、腿の裏の筋を伸ばしますよ。両手で足の先を触れる様頑張ってくださいね」

「おっ、おれる、折れる、折れるぅぅぅ!?」


 10回ほど押したり押し返されたりしながら前屈を済ませると、王子が立ち上がり、ゼエゼエと息を吐きながら前屈の格好で膝に手を置いたので、俺は王子に背を合わせその手を腕組みし、俺の背の上に乗せる形でかがみ込んだ。コココココッと骨がなり、どうやら背筋が伸びたようだ。


「ふぎゃっ!?」

「ほらスッキリしたでしょう?」

「ほ、骨が折れたかと思ったぞ!」


 キャンキャン叫ぶ王子だったが、そう叫んだ後でおや、と大きなハテナが頭の上に浮かんだ様子だった。


「体が軽い……?」

「ささ、もう一回。今度はダラーンとリラックスしてください。俺の背にのしかかる感じで」

「む?」


 ゆっくりストレッチをすると、のびーっと背がしなり、コキンとまた骨がなった。


「おっ!?」

「大丈夫ですよ、骨があるべき場所に戻るだけです」


 ふうん、と唸る様に鼻を鳴らし王子は素直にストレッチを受け入れた。


 その後、体をほぐす様に修練場を10周歩き、ジャンプは30回、腹筋は5回、地面ゴロゴロは左右10回を2セットをしただけで汗だくになってしまったため、朝の訓練はそれで終了となった。


 王子宮に帰るところで、騎士団長が走り寄ってきて今の特訓を騎士団でも取り入れてもいいかと聞いてきたので了承した。それによって王子と共に、新人騎士たちも教育をつける事になってしまったが、仲間意識が芽生えるとやる気も増すのでまあ、よしとしよう。




 午後は座学だったため、特別にチョコレートを一欠片と炭酸水にレモンを入れた物を出し、スライムの酢漬けサラダと胡桃入りのパンを昼食に、内緒で疲労回復魔法をかけておいた。スライムの酢漬けはゼリーだと思って美味しそうに食べていたが、サラダは鼻をつまんで食べさせた。野菜嫌いとか、子供か。



 次の日になって王子の体がギチギチと動かず、悲鳴をあげたのは言うまでもなかった。筋肉痛は避けては通れない。こればかりは魔法で治すわけにもいかないので、自己マッサージの方法を教え、風呂に入ることを勧めた。男の体なんか揉んでも楽しくないからね。自分でやってくれ。



「体は痛めて覚えさせると言いますが、当然筋肉疲労の回復時間は必要ですからね。最初のうちは1日おきにしましょう。今日は散歩にします」


 ぱあぁっと顔色をよくした王子がロボットの様に歩きながら庭に出ると、魔導士団長が俺に向かって歩いてきた。


「エヴァン!久しいな」

「これは魔術師団長。ご無沙汰しています」


 王子はキョトンとした顔で俺と魔術師団長を見比べていた。


「お前が王宮に来ているとアルヴィーナ様から聞いてな。ちょっとテイマーの訓練をしてもらいたいんだが、時間はあるか?」

「調教ですか。何か問題が?」

「ああ、ワイバーンが繁殖期に入ってオスがすぐに喧嘩を始めるんだ。なんとか引き離そうとしているんだがうまくいかなくてな」

「ああ、なるほど。俺今、殿下の調教ーーいや、訓練中なんですが…そういえば殿下の魔力は、しょぼかったんでしたっけ?」

「しょぼくない!」

「失礼しました。ちょっと少な目でしたよね?魔法の訓練も取り入れましょうか」

「魔法なんか使えなくてもいい!」

「おや、でも風魔法が得意と聞きましたよ?」

「……風だけだ」

「ワイバーンは風属性ですからちょっと見に行きませんか?もしかしたら馬よりワイバーンの方が合うかもしれない」

「…ワイバーンに乗れるのか?」

「訓練次第ですが。乗ってみたいんですか?」

「…ま、まあ、な。ワイバーンに乗りたくない奴なんかいないだろう」

「じゃあ、ちょっと行きましょう」

「お、おい。エヴァン、いいのか?」

「殿下の調きょ…いえ、教育全般を任されていますから俺と一緒なら大丈夫です」


 庭の散歩よりよっぽど面白そうだ。ボンクラ王子も心なしかワクワクした顔で、目がキラキラしている。やっぱりこうやってみると子供だよなあ。アルヴィーナと一緒だ。



 早速魔導士の魔獣厩舎まで行くと、二匹のワイバーンが羽を広げてお互いを牽制し合っていた。赤井のにはテイマーが乗ってなんとかコントロールをしようとしているが、すっかり頭に血が上っているようだ。


「メスは?」

「あそこにいる青いのがメスだ。赤いのがいつもは優勢なんだが、今日はブチのやつも負けてないな」


 メスを見ると、素知らぬ顔で餌を食べている。メスを引き離そうとすれば、二匹のワイバーンが取られてなるものかと襲いかかってくる為、メスには近寄れない。


 そこで俺は考えた。


「殿下。ワイバーンに乗りたいですか?」

「え、ああ。だが」

「あそこに青いメスのワイバーンがいますよね。彼女をどう思います?」

「はぁ?どれがメスかなんてわからんが……。いいんじゃないか?」

「では彼女に近づいてみましょうか。彼女が殿下を受け入れてくれれば、全てが丸く収まります」

「そ、そうなのか?」

「ええ。彼女に乗りたいでしょう?」

「ま、まあ…」


 何せ、このボンクラは純粋に女好き。人間の鼻には臭いとしかいえなかったあの体臭、実はフェロモンだと先日の検査で分かった。フェロモンはいつでも垂れ流しのこの男なら、メスのワイバーンが靡くかも知れない。


「俺がオスの気を引きつけますから、その間に彼女に近づいて『私を選んでくれないか』と優しく聞いてみてください。人間の女性に話しかける様にするんですよ?いいですね?」

「に、人間の?」

「ええ。例の侯爵令嬢を誘った時のように甘く優しくです。想像してみてください、彼女はとっても美人さんで、青いドレスを着た美しい女性なんです。麗しい金の瞳で殿下を見つめて、愛を説かれるのを待っているんです」

「愛…」


 団長は何か言いたげに眉を下げていたが、気にしない。もちろん、ワイバーンに言葉は必要ないのだがちょっとした余興だ。要はこのメスが他の誰かを選べば、オスは諦めて喧嘩もしなくなるということが今は大事なのだ。メスが王子を気に入れば、王子専用の騎獣にして仕舞えばいい。現状のままではどうせ誰も乗りこなせないのだから。


「さて」


 俺は二匹のワイバーンに向かって魔力を向けた。どちらのワイバーンよりも強いと見せかける『アルファ』の気を向けると二匹がぴたりと争うのをやめてこちらを見た。


 テイマーに必要なのは、こいつには逆らえないと思えるだけの魔力で引きつけられることと、懐柔するための魅了の魔力だ。幸い俺の魔力はドラゴンを手懐けられるだけの量があり、ワイバーン如きに負けることはない。テイムしてしまうと俺のワイバーンになってしまい、他のテイマーでは懐柔できなくなるので、ここは俺に興味を持たせるだけでいい。


 ワイバーンはあまり賢くないので、頻繁にわからせてやらないと忘れてしまうのがキズなのだ。つまり面倒くさいから、俺はワイバーンをテイムしていない。テイマーの中には契約まで持っていく奴もいるから、そういう奴らに任せておけばいい。


 ひとまず、俺の魔力で喧嘩を止めることはできた。訝しげに俺に意識を向けたワイバーンが威嚇しようと大きな口を開けたので、すかさず魔力を喰らわす。


 ブチの方は怖気付いて、頭を下げて低姿勢に擦り寄ってきたが、赤い方は興奮気味で頭を上下させている。これ、よくテイムしようと思ったな。気性がかなり荒い。まだ野生なんじゃないのか?俺は赤に向かって超音波を放った。これはワイバーンが聞こえる程度の音波で、「怒」と「不快」を表す。すると赤い方も渋々といった形で頭を下げ、服従の姿勢をとった。


「すげえ…さすがエヴァンだな」

「これが初代の力か……」


 魔導士たちがヒソヒソと話す。赤いワイバーンに乗っていたやつは俺の魔力をモロに食らって、気を失ってしまったらしい。慌てて他のテイマーがワイバーンからおろしていた。


 さて、王子はどうしたかな。


 ふと王子の方を見ると、頭から食われていた。


「!?」


 と思ったら、懐かれて思いっきり求愛行動を取られていた。


 王子はワイバーンに比べてかなり小さいので愛情表現のつもりでキスをしようとしたら、頭ごと口の中に入ってしまっただけのようで、デロリと口から出てきた。べっとり涎まみれになった王子は目を見開き言葉にもできない様だったが、今度は頭突きを受け張り飛ばされていた。


 さすが女たらしなだけはある。人間に限ったことではなかった。つまり王子に惹かれた例の侯爵令嬢は動物寄りの嗅覚を持っていたということだろうか。うん。高位貴族令嬢の野生的本能、相反するようでいて相乗するのね。


 張り飛ばされた王子の上に、青いワイバーンは求餌をし、先ほどまで食べていた餌を王子の上にどば、と吐き出した。


 ショッキングな行為に気を失った王子だったが、何はともあれ、青のワイバーンは晴れて王子専用の騎獣になった。

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