第4話:私のお兄様2

 私が6歳になった頃、滅多に顔を見ないお母様が部屋にやってきて小さな悲鳴をあげた。


「この山猿はどこの子!?」


 私は、エヴァンと同じような格好、つまりシンプルなシャツにニッカボッカ、肩に届く髪は雑に後ろでまとめただけの出立ちだった。馬に乗るし、木にも登るからスカートでは動きにくいからだ。


 侍女はずいぶん前から私の部屋には来てないし、身の回りのことは自分でなんとかするか、エヴァンが助けてくれていた。


「これからエヴァンと一緒に森に行くんだよ」


 私がそういうと、お母様は悲鳴をあげて侍女を呼び出し、私は拉致されてお風呂に投げ込まれた。

 ちゃんと毎日乾布摩擦をして肌は綺麗にしているのに!


 私は暴れて侍女たちもずぶ濡れにしてやった。


 その後、家族会議なるものが開かれて、お父様もお母様も私がエヴァンから教育を受けていたこと、乳母も侍女もこの1年間、私のことはほったらかしだったことを聞いて、青ざめた。


「いったい誰がこの子を放置しろと言ったの!?」


 お母様は侍女たちを叱りつけ、意地悪な乳母と侍女の何人かは即座にクビになった。


 侍女はどうでも良かったけれど、乳母は嫌いだったからザマアミロと思った。乳母とは名ばかりで、全部エヴァンに丸投げしていたのだから当たり前だ。けれどそもそも侍女や乳母に全てを任せて、全然私を顧みなかったのは両親だ。


 カッコウという鳥が、卵を他の鳥の巣に生みつけて育てさせる、というのをエヴァンから聞いた時、まるで親父様と奥様と同じだねと言って笑ったことがある。


 私は鼻を啜って、ふんとふんぞりかえり、「放置してたのはお前たちじゃないか!全部お前たちが悪いんだ」とお母様を指を刺すと、パチンと叩かれた。たいして痛くはなかったけど、びっくりして目を瞬いた。叩かれたのは初めてだった。


「エヴァン!エヴァンはどこ!?」


 執事がエヴァンを連れてくると、お母様はエヴァンを鞭で打って、私が山猿のような子供になったことを責め立てた。鞭打ちは罪人が受ける罰だと教わったばかりだ。エヴァンは罪人じゃない!


「エヴァンに何するんだ!やめろ!」


 エヴァンを鞭で叩いたことに怒り、初めて私の魔力が暴走した。黒く炎のように熱い魔力が迸り、お母様はひいひい嘆いて逃げ出したけど、エヴァンは私を柔らかく抱きしめて私の暴走を抑えてくれた。鞭打ちにあった時、エヴァンは魔法で痛覚遮断をしているから、痛くないのだとこっそり教えてくれて、おまけに「今度内緒でこの魔法を教えるよ」と言われて、私の怒りもおさまった。


 時々、人は八つ当たりをするのだということを覚えた。思い通りにいかないことを人のせいにするのだと。乳母が私を蔑ろにしたのも、何かしらの八つ当たりだったのだろうか。誰かが乳母をいじめたから、その腹いせに私に八つ当たりをしたのだろうか。


 私は八つ当たりをしない大人になろうと決めた。


 後で知ったことだけど、私が生まれた頃の伯爵家は振興事業で忙しくて、お母様もお父様も仕事仕事で手一杯だったらしい。


 とはいえ、全てをエヴァンに任せて娘を放置するのもどうかと思うけど。

 お母様は伯爵夫人だから茶会やら夜会やらで毎日毎晩のように出かけて、私がいることすら忘れているようだったし。


 少しは自分たちの責任も感じて欲しいものだと憤慨したけれど、元々私の両親は子育てに向いていなかったのだと思う。その後で両親が吐いた言葉は、今も記憶に残っている。


「エヴァン、を学園に入学するまでに貴族令嬢らしく仕上げろ」

「でなければ、お前はクビよ!すぐにでも出て行ってもらうわ!」


 お父様の言い分はまだしも、お母様の言い分に私は怒りをあらわにした。兄をクビにできるのか。


「エヴァンをクビってどういう事だよ!エヴァンは私の家族だ!お前こそ出ていけ!」

「アルヴィーナ!親に向かってなんてことを!」

「口の利き方がまるで平民の男の子じゃないの!エヴァン!いったいどういうことなの!」

「アル、今のは君が悪い。奥様に対してそんな口の利き方をしてはダメだ」

「だって……!」


 ほとんど発狂状態で吠えるお母様をお父様が宥め、エヴァンが頭を下げた。


「申し訳ございません。奥様、親父様。アルヴィーナの言動については私の落ち度です。アルヴィーナを10歳までに貴族令嬢らしく仕上げます。さあ、謝って、アル」


 本当はムカムカして納得いかなかったけど、私のために頭を下げたエヴァンを見て、私も渋々頷いた。


「……ごめんなさい…っ」


 お父様は大きくため息をついて、顔を真っ赤にして倒れてしまったお母様を抱え「二度はない」とエヴァンを睨み部屋から出て行った。私は悔しくてエヴァンに泣きついた。


「大丈夫だ。一緒に頑張ろうな、アル」

「うん……私エヴァンと離れたくない!だから頑張る」

「それでこそ俺のアルヴィーナだ」

「うん……っ」


 以来、ますます疎遠になった両親だったけれど、両親も今回ばかりはエヴァンだけでは心配だということで、新しく雇った3人の侍女もつけられた。



 行儀見習いで入って来たのは男爵家の次女と三女のサリーとメリー、それから子爵家の七女というローリィで、最初はエヴァンとの時間を割かれることに嫌悪したけど、サリーはエヴァンと同じ歳、メリーとローリィも近い年頃で、サリー以外は一日中私と時間を費やしてくれるというし、サリーは学園でのエヴァンの様子をこっそり教えてくれて、3人は侍女というよりは友達になった。


 それから毎朝の剣の特訓は、侍女たちも含めて体力作りと作法の特訓に変わった。


 エヴァンとカーテシーの練習をして、頭に本を乗せて、落とさないような歩き方も訓練した。平靴ではなく少しヒールの高い靴をはかされてスクワットをしたり、ダッシュをしたりもした。何度か足を捻り転んだけれど、エヴァンもハイヒールを履いて一緒にやってくれたので頑張れた。





「普通の伯爵家では、教育係に高位貴族の夫人を雇うと思っていたんですけど」


 エヴァンが学園に行くと、すかさずメリーとローリィが首を傾げた。だから御相伴を得ようと考えていたようだったが、当てが外れたらしい。


 エヴァンは、みんなで一緒にやれば自分が学園に行っている間にも復習ができるからと、メリーもローリィも一緒に『貴族令嬢のあり方』を勉強するようになったのだけど。


 どうやらそれに不満があるらしい。


「親父様は金の亡者だから、余計な出費はしないのよ」

「親父様ではなく、お父様ですよ。お嬢様」

「そうだった、わね。エヴァ…お兄様は何をさせても完璧だから、お兄様から学ぶのが一番いいのよ」

「有り得ないほどスパルタですよ。普通の貴族令嬢の枠を軽く超えてます」

「でも、私たちのためになるのだから頑張りましょ?」

「男であるエヴァン様にできて、私たちができないなんて悲しすぎるもの」

「そうね。じゃ、お兄様が帰ってくるまでにもう一度カーテシーの練習をしましょうか」

「ええっ!?まだやるんですか!?」

「弱音を吐いてはダメよ、ローリィ!なんなら素振りでもいいのよ?」

「お嬢様、本当に6歳ですかぁ!?」


 時折、侍女たち(のいたずら)によってドレスを着せられて、笑い転げながらも私よりも令嬢らしく立ち回るエヴァンを見て、負けるもんかとますます努力した。

 剣の代わりに小さな護身用のナイフを持たされ、いざという時には使えるよう訓練もしたし、上手に腰や太ももに暗器を隠すことも覚えた。


 毒耐性をつけるために森で様々なキノコを狩り、毒草の研究も進んで始めた。間違えて笑い茸や痺れ茸を食べて苦しんだことも一度や二度ではない。


 魔法で鑑定が使えるようになってからは、わざと違う効能のキノコや薬草も摂取して体に慣らした。高位の貴族令嬢は毒に体を慣らす必要があるのだとか。


 私が7歳になって、すでに学園を卒業して領地のために働き始めたエヴァンとワルツを一緒に踊るようになって、エヴァンが自分とは違う、大人の男性なのだと自覚したのもこの頃だった。


 そして、私にはエヴァンではない、ずいぶん歳の離れた実の兄がいたが、おいたをして家を追い出されたらしいとサリーがこっそり教えてくれた。


 その元兄は今は伯爵領の下水管理の仕事を下請けしているらしく、裕福ではないが結婚をして、なんとか生きていると聞いた。


 なんでも当時、侯爵家の令嬢と家同士の契約婚約をしていたにも関わらず浮気をし、侯爵家の資産を騙し取ったとして廃嫡されたらしい。


 人のものを盗んで罰を受けたのだ。


 鞭打ちの刑に遭ったのかどうかはわからないが、縁を切られ家を追い出された。

 貧民街で路上生活をしているところをなんとエヴァンに救われたらしい。ただ、その事は誰にも知られてはならないのだとか。元兄は国外追放を受けたのにも関わらず、伯爵領に留まっているからだ。お父様はどうやら知らないらしいから、エヴァンが匿っているのかも知れない。


 そして、そんな元兄を教育した伯爵家も罰を受けた。

 侯爵家の資産は国の資産で有り、元兄の横領で隣国との貿易に支障があったらしく、損害賠償を国へ、慰謝料を侯爵家へと払い、あっと言う間に財政難に陥った。


 爵位返上かと皆が思っていたところへ現れたのが、エヴァンだった。

 元鍛冶屋の息子。伯爵が見つけ出してきた平民の子供。貧乏だった伯爵領の貧乏な鍛冶屋の息子はお金で伯爵家に売られた。


 だけど、伯爵家は5年も経たないうちに持ち直し、私が生まれた頃には王都と並ぶほど繁栄していた。それがエヴァンの力量だった。


『バカには仕事がない。仕事がないと金もない。金がないと、遊ぶ暇も美味しい食べ物も無くなるんだ』と言ったエヴァンの言葉が思い出されて、納得した。


 私もあの親に捨て置かれ、元兄のようにバカであり続ければ、金食い虫だと罵られこの家を追い出されて平民としてどこかで仕事を見つけなければならない。


 その時に、私は生きていく術があるのだろうか。

 エヴァンはそれでも私と一緒にいてくれるのだろうか。



「エヴァン様は、追い出された嫡男おにい様の代わりに養子になったそうですから、大きな失敗さえ起こさなければ、このまま伯爵家をお継ぎになるのではないでしょうか」


 この話からエヴァンが実の兄ではないということを知り、お母様がエヴァンに言った「お前はクビよ!」の意味を初めて理解した。


 私が完璧な令嬢であれば、エヴァンは私の兄であり続ける。

 私とずっと一緒にいられるのだ。

 私は完璧な令嬢になることを決心した。


 エヴァンのくすんだ金髪は、大人になるにつれ濃いキャラメルブロンドになり、後ろで緩く束ね、はっと目の覚めるような海の青色の瞳もしっかりと見えるようになった。


 背も随分高くなり、しなやかで筋肉質な体つきだと気がついて、ドキマギした。

 後ろ姿のエヴァンも凛々しくて立ち姿が美しい。

 誰かを美しいと思ったのはこれが初めてだった。


 サリーがボソリと「エヴァン様は年齢を問わず人気があるんですよ」と私の心を逆撫でし、「エヴァン様の好みの女性になれば振り向いてくださるかもしれませんね」とも言った。


 エヴァンの好みの女性は完璧な貴族令嬢だ。


 言葉遣いを直され、私の使っていた言葉がエヴァンのような男の子のものだと気づき、侍女から「エヴァン様に美しいと言われるようになりましょうね」と唆されて、見栄えにも気を使うようになった。


 その頃には私自身も気づいていた。私はエヴァンに恋をしている。エヴァンがいれば、どんな自分にでもなる。綺麗と言われたい。賢いと言われたい。ずっと隣を歩いて行きたい。この場所は誰にも譲らない。


 エヴァンさえいれば。

 エヴァンが望むのなら。




「綺麗になったな、アルヴィーナ」


 ある日のダンスの練習で、エヴァンが愛おしそうに私を見つめてそう言った。

 天にも昇る心地でエヴァンを見上げる。


「本当?」

「ああ。今週末、王宮でお茶会に呼ばれているそうだ。そこでたくさんの貴族令嬢が集まる。最終審査というわけだな」

「最終審査」

「ああ、誰がこの国一番の令嬢か選ぶらしいぞ」

「それは…!なんとしても勝たなければね!」

「そうだな。アルは完璧な令嬢だから、お前以上にできる令嬢はいないと思うが、気を抜くなよ」

「エヴァンがそういうのなら、何としてでも勝ってみせるわ!」

「それでこそ、俺のアルヴィーナだ」


 俺のアルヴィーナ。

 私のエヴァン。


 なんて素敵な響き。未来への確固たる約束のように聞こえた。


 お茶会の日、両親は例の元兄の事件のせいで王宮に入ることを禁じられていたため、サリーとメリーがついてきてくれた。本当はエヴァンについてきてもらいたかったけれど、男性はお茶会に参加できないと言われ渋々了承した。サリーとメリーは王宮のお茶会なんて初めて、と浮かれていたから、行かないとも言えず当日になった。


 エヴァンがいる時はずっと我慢を強いられていた甘いお菓子が、テーブルの上にこれでもかと言うほど並べられていたのを見て、私の脳内血糖値が上がった。いそいそとテーブルに向かうところで、男の子に声をかけられた。


 男性はお茶会に参加できないのではなかったのか。


 よく見れば、その子はまだ子供で私よりも背が低く「ああ、子供だからいいのかな」と納得した。


 名を聞かれたけど、自分から名乗るのが先じゃないのか?と思わず眉を顰めると、その子の後ろにいたサリーが睨んでいたので、慌てて笑顔を振りまいた。すると調子に乗ったその子は、天使がどうたらと言い出したので、笑い飛ばしてやろうとしたら、エヴァンの魔力が飛んできた。


 はっとして辺りを見渡してみたけれど、姿はない。ドキドキしてその場を誤魔化し、慎重に辺りを伺った。貴族令嬢らしくしなければ。


 ここで負けたらエヴァンが罰を受け、下手したら伯爵家から追い出されてしまう。


 適当に話をして、ビュッフェテーブルへと向かう。ああ、宝石のようなケーキたち。我慢ならず手に皿を持ち、ケーキを乗せるとその瞬間皿からケーキが消えた。


「えっ?」


 もう一度お菓子に手を伸ばし、皿へ。それも同じように消えた。全く見えない誰かによって。


「誰…エヴァン?」


 絶対に食ってやる。


 闘争心に火がついた私は、見えない敵との攻防を繰り返した。憤怒の顔をして戦い、最後に一つだけケーキを口に含むことができた。やった!勝った!と思ったのも束の間、王妃様が私に声をかけ、連れて行かれてしまった。


 もっと、食べたかったのに……!!


「あなたはこの国で一番ラッキーな令嬢ね」

「一番優れた令嬢ということでしょうか」

「そうとも言えるわね。でもこれからもっと学んでもらわないと一番とは言えないわね」


 なんだと?


「でもね。これから王城に来てくれたら、お勉強の後にいつでもケーキが食べれるわよ?」

「よろしくお願いします」


 即答だった。だって、ケーキなんだもん。


 ちなみに私とテーブルで攻防を続けていたのはエヴァンではなく、サリーだった。きっちりエヴァンに頼まれていたサリーが、凄まじいスピードで私の皿から奪い取っていたのだった。それは全て収納され、サリーたちのおやつになった。最後の一つは、王妃が近づいてきたため諦めたのである。


 さすが私の侍女であり、エヴァンの弟子なだけはある。くう。負けた。



 そしてそれが、あのへっぽこ腐れ猿以下の下半身丸出し王子の婚約者に選ばれた瞬間だったなんて、当時10歳の私は知りもしなかった。




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