ビッグバンの森

柴田 恭太朗

第1話 ハーミット研究所

 すっかり秋めいた十月の昼下がり。

 レンガ色の巨大な出版社ビルから、足早に飛び出した者たちがいる。スクープで名の知られた週刊誌のベテラン記者、大東だいとうと、今年配属された新人、鳴子なるこである。彼らの目的は、ネットに飛び交う不穏な『噂』の真偽を確かめることにあった。なにやら、近頃頻発するメガバンクのシステム障害は、とあるレトロゲームに原因があるというのだ。


 彼らが向かった先は民間のソフトウェア企業、株式会社ハーミット研究所。今年で創業四十年、IT企業としては古参の部類だ。だが歴史が長い一方で、その実態は謎の多い会社だった。


 ハーミットの名を知らなくとも、かつて大ヒットしたアーケードゲーム『ビッグバン』の名ならば首肯しゅこうする者も多いはず。

 それまで流行っていた『スーパーイントルーダー』の市場をかっさらい、ビッグバンは瞬く間に日本を超えて世界中を熱狂させた。文字通りビッグバン的な大ヒットであった。

 ビッグバンの発売当時、八城兄弟はいずれもまだ中学生。マスコミに早熟な天才兄弟として、もてはやされた。

 彼らはゲームから得た巨額の報酬で郊外に森を買い、森の中央にソフトウェア開発拠点を建設した。それがハーミット研究所である。


 『ビッグバンの森』。

 いつしか人々は研究所が鎮座する森をレトロゲームの名を冠し、そう呼ぶようになっていた。


 ビッグバンの森を遠目に眺めれば、その形状はドーム球場そっくりである。鬱蒼と繁る樹木でできたドームの横腹には、軽車両一台がようやく通れるほどの小径があった。小径は申し訳程度に造成され、緩くカーブし、外からは内が、内からは外が見えないように設計されている。


「こっから先は歩いて行ってくんな」

 タクシーの運転手は、森に隣接して走る国道で大東たち二人を下ろした。

 ここから先は徒歩で行くしかないそうだ。彼らが小径を歩み始めて二、三分も経った頃だろうか。ようやくハーミットの社屋が見えてきた。研究所の建物は、真っ黒い積み木を気の向くまま積み上げ、また突き崩したような奇妙な外観をしている。

 名は体を表す。隠者ハーミットとはよくぞ言ったものだ。


 黒い積み木の正面には車寄せもない。建物の中央に設けられた暗色に輝くガラスドア。それが建物のうちそととを結ぶ唯一のエントランスだ。


 エントランスで大東たちを出迎えたのは女性秘書。息をのむほどの美人であった。人間としては完璧すぎる。アンドロイドかも知れない。人造物アーティファクトが『不気味の谷』を渡り越えて以来、洗練されたアンドロイドと人間との外見的差異は、まったくと言っていいほどなくなった。


 彼らが八城兄弟とのアポイントがあることを伝えると、秘書は右手を挙げ、指先をピッと揃えた手のひらで建物の奥を示す。一分の隙もない動作が、ひどく機械めいて見える。


「どうぞこちらへ」


 秘書がクルリと身を翻し、先に立って歩を進めた。ハイヒールがコツコツと硬質な音を立て、吹き抜けのエントランスロビーに残響の尾を引く。彼女は紺のタイトスカートからスラリと延びた脚に、シーム入りのストッキングを履いていた。シーム入りを履く女性は自分の脚線美に誇りを持っていると聞く。誇りとは、あまりに人間じみた感性ではないか。やはり秘書はアンドロイドではなく、実在する女性にんげんだろうか。


「先輩、秘書さんスタイルいいっすね」

 鳴子が声を潜めて耳打ちしてきた。チャラい男だ。横目で、前を行く秘書の後ろ姿を追っている。

「アホ。仕事のことだけ考えろ」


 そのやり取りが聞こえたのか、ふいに秘書が歩みを止めた。衣ずれの音がするほどの勢いで、こちらを振り返る。彼女は白い顔をこわばらせ、美しい瞳を見開き、大東たちを凝視した。

 いや、正確には彼らの背後をだ。


 秘書の視線を追って、思わず大東も振り返る。そこにあるのは今通ってきたばかりのガラスドア。それに乾ききった静寂。他には何もない。


 一、二瞬ののち、秘書が口を開いた。一時停止していたムービーが、唐突に再生を開始した様子に似ている。


「申し訳ございません。本日は八城たち両名がそろってお相手することはできかねます。いずれか一名のみが応対させていただきます」

 彼女は事務的に伝えると返答も待たず、ふたたび大東らを先導して歩き出した。


「オレ怒られるのかと。今の微妙な、何だったんすかね」

「知るか。俺が訊きたいよ」


 ◇


 大東と鳴子が通された応接室は、白い光が充満していた。天井の全面が発光し、それを受けた四方の白壁が柔らかく反射して、くまなく室内を照らす。


 革張りのソファへ腰を下ろした二人に、秘書は自らを『穂波ほなみ』と名乗った。明るい光に照らされ、穂波の完璧な美しさがより際立つ。だが明るい照明は、メリットばかりではない。彼女の口もとにある、小さく紅いニキビをも映し出していた。


――これで決まりだな。

 大東は、秘書・穂波が人間であることを確信した。


 八城兄弟のうち、弟の孝二が応接の扉を開けて姿を現したのは、それからほどなくであった。小太りした短躯たんくにギョロリとした目。それが満面に笑みをたたえながら握手を求めてくる。一言で例えるなら『微笑みダルマ』。それが大東の第一印象だ。レトロゲーム界のレジェンドは、思いのほか親しみやすいダルマであった。


「紘一さんはご不在ですか?」

 八城兄弟の兄、紘一の所在が気になった。

「すみません。いま兄は手が離せない状況でして。連日徹夜しています」

「連日の作業とは。体に応えそうですね」

「問題ありません。なんと申しますか、兄はたいへん頑丈ですから。森の中にいれば安全です」

 孝二は不可解なことを言う。

 ともあれ今回、大東らが訪問した表向きの理由は八城兄弟へのインタビュー。真の目的は、ネットに流布される噂の真相を確かめることだ。兄弟のうち、いずれか一人が取材に応じてくれれば事足りる。


「八城さん、単刀直入にお聞きします。ここ数年、相次いで発生しているメガバンクのシステム障害。あの原因が御社にあるという噂をお聞き及びでしょうか」

「存じています」

「状況から判断して障害の原因は御社にありますが、どうなさるおつもりで?」

 大東の不遜な物言いは相手を煽るため。人は興奮すれば本音が漏れる。記者なら誰もが使うテクニックである。

「答えなければいけませんか」

「疑念を向けられている以上、御社には説明責任があります」

――責任など微塵もないがな。

 大東は心の中で舌を出す。


「いいでしょう。お話します。しかし記事にすれば、あなたも責任の一端を負うことになりますよ」

 八城孝二は大東の眼をまっすぐ見据えた。強い。ダルマの眼力だ。

「責任?」

「その通り。社会を背負う責任です。あなた方にその覚悟はありますか? 自信がないなら、この場でお帰りください」

 孝二は応接の扉を指し示した。


 大東は八城孝二が言う『責任』とやらの意味をつかみかねた。だが、ハーミット研究所が、いやむしろ八城兄弟がシステム障害とどう関わっているのか。それを暴くことが所期の目的である。ここで立ち去るという選択はあり得なかった。

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