第3話「捜索! 友情のクリスタル!」Bパート

『こちらピンク! 配置につきました!』


『ブルーも到着しました』


 一斉送信メールが立て続けに届く。僕もわたわたと送信先を確認し、紙飛行機のマークを押し込んだ。


『レッド、イエローも準備完了しています』


 今日の天気は曇りのち晴れ。薄曇りの空の下、僕とイエローはまたしても、この間の路地に身を隠していた。受信トレイには、『こちら総司令! 準備は完璧だ!』というメールも確認できる。「てぶくろモード」をオンにしていても、タッチパネルの反応は微妙だ。


 あの日曜日、僕は総司令に連絡をとり、ユウタくんがひとりぼっちでいたことを伝えた。その翌日すぐに作戦会議が開かれ、そこからさらに二日経った今日、僕らは再び少年たちとのコンタクトをはかっていた。作戦その二、というわけだ。


 緊張が収まらず、僕は歩道の様子を窺う。午後三時半の住宅街は暖かくも閑散としていて、人の気配はない。僕の背後にはイエローが控えているが、到着してからいっさいの会話がないことにも、また違う緊張感があった。作戦への参加はまだ二回目にもかかわらず、イエローは僕よりもはるかにどっしり構えている。


 ヘルメットの顔を出しているのも怖くなり、また路地に引っ込む僕。するとそこへ、「じゃあなー!」「またな!」「ぎゃはははは」といういくつかの声が聞こえてきた。


「来ましたね」


 イエローの声は落ち着いていた。僕は「そうだね」と答え、硬くなった上半身から慌てて力を抜く。路地から一瞬覗き込むと、接近するユウタくんと田場くんの姿を確認できた。並んだ二人の間の距離は、前回と変わっていないように見える。


 この前と同じようになってはいけない。今日はもっと自然に、できるだけ上手に「ヒーロー」をこなさなければ。勇敢で、爽やかで、夢のある「ヒーロー」を、演じてみせなければ。


 溜まってもいない唾液を飲み込む。路地の壁に背中をつけると、まるで心音に合わせてコンクリートが震えているようだった。足音が近づいてくる。スマートフォンをスカーフの中に収納して、歩道を覗く。


 あと十五メートル、十二メートル、十メートル、九、八、七、六…………。


「やッ、やあッ!!」


 堪えられなくなって、僕はフライング気味に飛び出した。「えっ」とイエローの声がするが、もう引き返せない。五メートルほど先の少年たちは、呆気にとられた顔で僕を見ている。軋む手首を動かして手招きすると、彼らは躊躇いがちな足取りで歩いてきた。イエローも路地から出て、僕の隣に並ぶ。


「きッ君たち、その、おれたちのことは、約束通り秘密にしてくれていたかな!?」


 田場くんの鋭い眼光に耐えながら、極力ハキハキと声を張り上げる。ユウタくんは怯えたように足元を見つめていた。しまった、はりきり過ぎても怖がらせてしまうか? 喉の奥が震える。


「してたけど、今日は何? なんで二人しかいないんだよ」


 荒っぽく路地を覗きこみながら、田場くんが言う。僕は遅れて彼に向き、今度はテンションを抑えて答えた。


「あ、あぁ、そう、ピンクとブルーは今、ちょっとあれだ、探し物をしていてね」


「探し物?」


 田場くんが振り返る。そうだ、と応じつつ、僕はちらりとユウタくんを見た。まだ怯えてはいるものの、興味を示してくれてはいそうだ。さきほどとは違って、ユウタくんの目は僕のヘルメットを捉えていた。


 ここからは、会議で話し合った通りに説明すればいい。大丈夫。……たぶん、大丈夫。前回よりも練習の回数を増やして、会社のトイレでもブツブツ言っていたくらいだし。大丈夫だ、堂々とすれば、どうにか……。


 暴れる胸を右手で押さえ、口を開く。自分が息を吸う音が、耳が痛むほどヘルメットに響いた。少年二人とイエローの、六つの目玉が僕を見ている。


「この町を」はじめに出した声は、上擦って掠れた。小さく咳をしてから、仕切り直す。


「この町を守るために、おれたちには、あるアイテムが必要なんだ」


「アイテム?」


「そ、そう、アイテム。それはええと、ちょうどこのくらいの……こう、手のひらにのるくらいの、まるいクリスタルなんだ。あ、まるいと言っても、底は平らになっているから転がらない、んだが」


「それを探してんの?」


「はい、じゃない、そ、その通り! そのクリスタルがどうしても必要なんだが、敵の襲撃に遭ってしまって……えぇと、この町のどこかに、隠されてしまったんだッ!」


 言い切った!


 挟まれる質問には動揺してしまったが、練習の成果は出ていたはずだ。無意識に背筋が伸び、口角が上がる。シールド越しに田場くんを見下ろすと、少年は冷めきった表情で唇を開いた。


「ふぅん。バカじゃん」


「なッ!」


 生意気な! いや、この設定がちょっと間抜けなのは確かだけれど、だからってそんなにはっきり言うことはないだろう!


 達成感の直後の罵倒に、僕はつい固まってしまう。と、イエローが一歩前に出て、少年たちを順に見た。


「とにかく、あたしたちはそれを見つけなきゃなんないの。けど、四人だけじゃ人手が足りなくて困ってるんだよね。だからあんたたちにも手伝ってほしいんだけど、どう?」


「オレはいいよ。探してやっても」


 田場くんが即答する。意外だ。冷たい態度ではあるが、暇つぶしになると思ってくれたのか? あんたは、とイエローが顎をしゃくると、ユウタくんも控えめに頷いた。それを確認したイエローに視線を向けられ、僕はハッとする。


「あっ、ありがとう! えー……あ、そのクリスタルは、きっとこの近くにあるはずだ。だから、二人で協力して、見つけてくれ」


 協力して、の部分を強調した。それがどれだけ伝わっているかは分からないが、ユウタくんと田場くんはそれぞれのタイミングで頷く。田場くんはさっそく歩き出すと、すれ違いざまにユウタくんの肩を叩いた。


「じゃ、行こう」


 声をかけられた瞬間、ユウタくんの目がパッと丸くなった。坊っちゃん刈りの頭が持ち上がり、ほんのりと赤くなった頬が見える。ユウタくんは踊るように一度跳ね、田場くんの後ろ姿に答えた。


「う、うん!」


 駆け出したユウタくんが、田場くんの深緑のランドセルに追いつく。並んで歩く二人の距離は、少しだけ近づいている気がした。ということは、ここまでは上手くいっている……のか? あまり自信はない。けれど、とりあえず安心できてはいた。


「行ってくれましたね」


 二人を見送りつつ、イエローが言った。話しかけられたことに驚いてから、僕は恐る恐る詫びる。


「ごめん、フォローしてもらっちゃって」


「いえ。あたしこそ任せっぱなしだったんで。それより、早いとこ追いましょ」


 僕の謝罪にさらりと答えて、イエローは歩き出した。僕も遅れて動き出す。やっぱり、僕よりも彼女のほうがずっとしっかりしている。気を張らず、普段通りの自分を保っている感じだ。


 僕らは少年たちが消えていった角を曲がり、電柱の陰に隠れた。前方に目を向けると、少し先に二つのランドセルを認めることができた。


「で、公園はあっちのほうでしたっけ」


 イエローが、左斜め前方を指差す。僕は公園までの地図を頭に思い浮かべながら、「うん、そうだったはず」と頷いた。


 少年たちに話した「まるいクリスタル」は、ここから二十分ほど歩いたところの児童公園に隠してある。近すぎず遠すぎず、どのくらいの距離が適切かを会議で話し合った結果だ。


 ユウタくんたちがその公園に辿りつくまで、僕とイエローは彼らを尾行することになっている。二人の動向を見守り、公園から大きく遠ざかってしまいそうなときには、ピンクとブルーのどちらかに連絡する手はずだ。

 連絡を受けたピンクかブルーはユウタくんたちの行く手に先回りし、「ここはもう探したから」などと理由をつけて正規のルートに誘導する。公園までの中間地点には総司令が車を停めており、先回りが間に合いそうにない場合には、車を出して「どうにかする」。


 今回の作戦会議は比較的綿密に話し合われたが、最終的にはアバウトに締めくくられた。ちなみに、クリスタルの正体は鷹宮家のペーパーウエイトである。


「あたし、その公園行ったことないんですよね。会議で場所教えてもらった感じだと、結構近いみたいですけど」


 話しつつイエローは、政治家の立て看板の陰に移動する。僕もやや遅れて、彼女についていく。


「そうだね。小学生の足でどのくらいかかるかってなると、ちょっと、分からないけど」


「そのくらいの距離と時間で、友達になれるもんなんですかね」


 イエローは首を傾げる。それは僕にも疑問だった。


 ユウタくんが田場くんに憧れていても、田場くんはユウタくんには興味がなさそうに見える。だが、それは当たり前のことだ。おそらくユウタくんは「隅っこ」の住民で、田場くんは「中央」の住民だろう。「隅っこ」が「中央」に近づきたがることはあっても、その逆はない。「中央」が「隅っこ」に寄ったところで、何のメリットもないからだ。


 言い方は悪いが、田場くんが「骨折り損」を厭わずに歩み寄ってくれないことには、この作戦は成功しない。


 少年たちは歩き続けている。田場くんもユウタくんもキョロキョロと頭を動かしているが、二人の視線はまるでぶつかりそうにない。この調子で進むようなら不安だな、と思っていると、


「これ、どこ探したらいいと思う?」


 田場くんが突然ユウタくんに訊いた。ユウタくんはビクリと背筋を硬くして、「へ? えっ、う」と短く声を発する。緊張が目に見えて分かり、その感覚までもが僕の身体に直接伝わってくる。額の筋肉が縮み、腋に汗が滲む。


「うぅん……わっ分からない、けど」


「だよな」


「うん」


 田場くんの淡白な同意を受けて、ユウタくんはまた黙ってしまう。しかし、僕が拳を握った数秒後、息苦しそうな声が続いた。


「で、でも、多分このあたりなら、隠せる場所はそんなにない、と、思うから……ものの下とか、探していけば……」


 語尾が消えていく。田場くんはユウタくんの横顔をちらりと見て、「そうな」とだけ返した。ユウタくんの勇気に対してあまりにもアッサリとした反応に、僕の喉元が苦しくなる。


 おそらく、田場くんは怒っていない。ユウタくんの言葉に、単に同調しただけだ。けれど今、ユウタくんはきっと不安になっている。自分がグズグズしていたから、自分が大した案を出せなかったから、田場くんの機嫌を損ねてしまったのではないか――。


「ねぇ、大丈夫ですか?」


 イエローに顔を覗き込まれ、我に返る。距離の近さに驚いて一歩下がると、彼女は溜め息をついて顔を引っ込めた。


「なんか、微動だにしなくなったから。何かあったんですか?」


「い、いや。ごめん」


 謝ると、呆れたように首を横に振られた。いけない、つい真剣にユウタくんの心情を想像してしまった。


 少年二人はまた進み、僕らも次の物陰に隠れる。ユウタくんたちは植え込みや看板の裏を次々と覗き込み……「あ」


 イエローが小さく声を発した。二人は、公園とは逆方向の角を曲がろうとしている。イエローと顔を見合わせ、僕は大急ぎでピンクにメールを入れた。二人が曲がった先は、ちょうどピンクが控えている区域だ。


 作戦会議でハルカさんの連絡先を手に入れ、その日の僕はひとしきり喜びを噛みしめた。そして今日、初めて一対一でやり取りをする。ドキドキの内容は以下の通りである。


『ユウタくんたち、「楽楽」というラーメン屋の角を曲がりました! お願いします』


『了解です!』


 ……あまりにも事務連絡だ。いやしかし、彼女と連絡をとれたという事実に変わりはない。喜んでおくか……。


 ラーメン屋の角から顔を出し、様子を窺う。ユウタくんたちは、曲がった先の細い道を真っ直ぐに進んでいた。と、脇道からいきなりピンクが飛び出してくる。


「おわッ!?」


「えっ!?」


 ほぼ同時に声をあげ、飛びのく少年たち。サプライズ登場を果たしたピンクは若干息を切らしながら、少年たちの前に立ちはだかった。


「レッドから聞きましたよ! 二人でクリスタルを探してくれているんですよね!」


「ま、まぁ」


 勢い込むピンクに圧倒されながら、田場くんが頷く。ピンクは軽く跳ねつつ、二人の手を順に握った。


「ありがとうございますー! でも、この先は私が探しておくので、あなたたちはあちらのほうをお願いしますね!」


 公園のほうをキビキビと指差すピンク。はりきり過ぎている節はあるが、萎縮しない振る舞いはさすがだ。はりきっているのも可愛いし。


 田場くんとユウタくんは顔を見合わせる。それから、「じゃあ、あっちに」「う、うん」とこちらにUターンしてきた。成功だ! 手を振るピンクと一瞬アイコンタクトをとってから、僕らもすぐに隠れなおす。


 作戦の段取りは上手くいっている。とにかく問題は、少年たちが仲良くなってくれるか否かだ。僕は祈るような思いで尾行を続ける。


「あの人たちさぁ」


 すると、横断歩道で信号を待ちながら、田場くんが間延びした声を出した。ピンクの登場が会話のきっかけになったか? 頼む、と心の中で唱え、僕は指を組む。田場くんの声が続く。


「ヒーローっていう割に、なんかバカだしヘンだよな。あんまりカッコよくもないし」


 続いた内容は、単純に悪口だった。そこまで言われるとさすがにショックだ。頑張って練習までしたのに。


 ユウタくんは苦笑いして、「そ、そうだね。ぼうもそう思う」と返す。ユウタくんまで……。いや、悪口で盛り上がるのだってひとつのコミュニケーションだ。これを機に二人の距離が縮まるなら、何ら問題はないだろう。ヒーローになりきれていないのは自覚しているし。


 どうにか自分を慰めていると、ユウタくんがおずおずと言葉を繋げた。小さく控えめな声量に、僕は耳を澄ます。


「でも……びっくりした。近くにヒーローがいるなんて思わなかったから、ヘンだけど、楽しい、っていうか」


 もじもじと足を動かすユウタくん。揺れる坊っちゃん刈りを眺めながら、僕は胸中に靄のようなむずがゆさが広がるのを感じた。組んでいた指を緩め、指の腹と腹を合わせる。


 ――ヒーローがいたら楽しい、か。


 田場くんは横断歩道の先を見つめながら、ユウタくんに賛同した。


「ま、たしかに。けど、大人になってもヒーローごっこやりたがる奴がいるんだなぁ」


「あ、あはは。なんか、不思議だね」


 そしてまた、会話が途切れる。けれども今の沈黙は、前よりも少し軽く感じられた。信号が青になり、二人はバラバラの足取りで歩き出す。「ヒーローごっこ」だと、分かった上で付き合ってくれているのか。赤いヘルメットの下で、自分の頬まで赤くなる。


「行きますよ」


 イエローに肩を叩かれ、僕らも横断歩道を渡る。信号を待つトラックの運転席で、屈強そうな中年男がぎょっとした顔を僕らに向けた。頬の赤みが額にも広がるのを感じつつ、横断歩道の先の街路樹に身を隠す。


「なんか、すごい感情移入してましたね」


「えっ?」


 呆れたように指摘され、僕はイエローを見る。返された視線に恥ずかしさが増幅して、僕は首をすくめた。


「い、いや、なんか、つい。応援したくなっちゃって」


「ふぅん」


 冷めた反応をして、イエローは少年たちに目を戻した。僕もそれに倣う。あちこち探しながら進む二人を黙って眺めてから、イエローは困ったような声を出した。


「あたし、友達がいなくて困ったことってないんですよね。だから分かんなくて」


「分かんない?」繰り返すと、イエローは静かに答える。


「そう。友達が欲しいって気持ちも分かんないし……」


 横目で見ると、彼女は少年たちを真っ直ぐに見据えている。表情を隠すシールドの向こうから、不思議そうに言う。


「どうして友達が必要なのかも、分かんない」


 僕は何も返せず、またユウタくんたちを見つめた。友達がいないと、友達が欲しくなる。それはいったい、どうしてなのだろう。


 友達がいないと寂しいから? 確かにそれはそうだろう。僕も友達がいなかったときは、家族や親戚に「寂しいでしょう」と何度も言われた。だけど、そう言われると少し腹が立った。寂しいと思うのは個人の自由だけれど、友達というのは、「寂しいから作らなきゃ」なんて消極的な気持ちで作るものではない気がする。じゃあ、どうして?


 僕はさっき、「メリットがないから」田場くんはユウタくんに興味を示さない、と考えた。友達は、損得勘定でできるものなのだろうか? それも間違ってはいないかもしれない。実際、友達が多ければ多いほど人は「中央」に近くなる。それを求めて交友関係を広げる人もいるだろう。


 じゃあ、ユウタくんもそのメリットを狙って、田場くんという「中央」の友達を作ろうとしているのか? 「隅っこ」を脱して、華やかな「中央」に立つために。


 決してそうではなさそうだ、と思ってしまうのは、僕の願望からだろうか。


 そうこうしているうちに、ユウタくんたちがまた道を逸れてしまう。慌ててメールを入れると、ブルーはすぐに駆けつけた。ピンクと同じように、脇道から出て二人の前に立ちはだかる。


「ここは、もう俺が探したから」


「えぇ、またぁ?」


 田場くんが不満げに語尾を上げる。ブルーは猫背をさらに丸めて、ばつが悪そうに顎を掻いた。その弱々しさにつけ込むように、田場くんは語気を強める。


「なんか心当たりとかねぇの? どこにありそうとか」


「え、うーん……」


 ブルーは言葉に詰まる。僕とイエローにちらりと視線を送るので、僕は首を横に振った。ブルーは腰に手を当ててしばらく悩んでから、


「まぁ……あっちのほう、とか」


 と公園の方向を指差した。示された方向に首を回す田場くん。ブルーと田場くんの間でキョロキョロしていたユウタくんも、同じように目を移した。


「分かったよ。あっちだな」


 そう吐き捨てて、田場くんが歩き出す。ユウタくんは慌ててブルーに会釈して、田場くんのあとをついて行った。そのユウタくんのあとを、僕らもついて行かねばならない。


「あの」


 移動しようと足を踏み出したところで、ブルーに声をかけられた。スタスタ歩いていくイエローにひとまず尾行を任せ、僕はブルーに駆け寄る。


 彼に話しかけられるのは、最初の任務のトイレ以来だ。あそこで弱みを見せているぶん、これ以上舐められるわけにはいかない。僕は対抗心を燃やしつつ、わざと大股で近づいた。


「あの、どうですか、様子は。仲良くなれそうですかね?」


 僕が到着すると、ブルーは申し訳なさそうに声を潜めた。「あ、ああ」と応じ、僕は首を伸ばしてユウタくんたちを見る。道にしゃがんだり、フェンスを覗きこんだりしながら、二人は探し物を続けていた。首を戻して答える。できるだけ堂々と。


「ま、まぁ、少しですけど会話もあったので。最悪でも前回よりは、仲良くなれるんじゃないかと。おそらくは」


「そうですか……」


 ふんわりとした僕の返答に、ブルーは肩を落とした。ここまで来れば、クリスタルの隠された公園はもう目前なのだ。つまり、時間の猶予がない。ブルーは俯いた頭を少し持ち上げ、真剣な口調で言った。


「もし必要なら、俺たちで背中を押してあげるようなことも、するべきかもしれませんね」


「え……背中を、ですか」


 思わず弱々しい声が出る。それを敏感に聞き分けたのか、ブルーは躊躇いがちに訊いてきた。


「何か、不安が?」


「あ、いえ。ただその、あー」


 不安があるのは確かだが、その内容を打ち明けることにはやや抵抗があった。これはあまりにもはっきりと僕の弱みだ。もしかすると恋敵かもしれない相手に、こんなことを話していいものなのだろうか。僕の貧弱なプライドは許すのか。


 けれどこれは、『フツージン』に参加してからずっと抱えていた不安でもある。それを打ち明けるチャンスを逃すのは、とても苦しいことに思えた。それにブルーはあのトイレで、僕の弱気な独り言を受け止めてくれた。認めがたいが、彼はきっと優しい男なのだ。そんなブルー相手になら、不安くらい吐き出してみても……。


 イケメンの優しさに期待と悔しさを抱きながら、僕は乾いた喉を動かした。


「その、背中を押すことになったら、あの子たちの前に出ることになるのかなって、思って。でもそうすると、なんていうか、ヒーローらしく振舞わなきゃいけない、じゃないですか。そうするとこう、ちょっと大変だなっていうか……はは」


 今さら恥ずかしくなってきて、僕は慌てて笑顔を作る。が、ヘルメットの下では誤魔化すことなどできなかった。挙動不審になる僕の目の前で、「ああ」とブルーは首を傾げる。


「でも、ヒーローらしくって言っても……もう、俺たちがヒーローそのものになっちゃってますからね」


 不自然にニヤけていた唇を、僕はゆっくりと結んだ。


 ヒーローらしくも何も、僕らはもうヒーローそのもの。ブルーの言葉は確かに一理あったが、いまひとつ実感は伴わなかった。原色のコスチュームを着て、『戦隊』と名乗って任務をこなした僕たちは、僕は、本当に「ヒーロー」になれているのか?


「すみません、引きとめちゃって。ありがとうございました」


 ブルーは頭を下げる。「あ、いえ。頑張りましょう」僕もつい丁寧なお辞儀を返して、ブルーの元を去った。イエローの背中を目がけて進むと、黄色いヘルメットが振り返る。


「かなり近づいてますよ」


 隣に並ぶと、イエローは前方の二人を指差した。自販機の下と裏を分担して覗きこむ少年たちの奥には、公園のジャングルジムが見え隠れしている。


 このままいけば、二人はおそらく公園に辿りつくだろう。もしスルーされるようなら、また誘導すればいい。そして、そのあとはもう時間の問題だ。大して広くもない児童公園。二人がかりで探せば、比較的すぐにクリスタルは発見されるだろう。が、


「二人に、会話は?」


「全然っすね」


 砕けた敬語で答えるイエロー。全然じゃ駄目だ! もし、このまま何も起きそうになかったら……。「背中を押してあげるようなことも」と、ブルーの声が蘇る。


 ユウタくんたちはゆっくりと、しかし着実に進んでいく。僕たちはそんな彼らに、黙ってついていくしかない。薄曇りの空は徐々に晴れ、シールド越しの町には濃い影が生まれ始めている。息の詰まるような数十メートルを過ごし、公園はついに少年たちの目前に迫った。


「ね、ねぇ、そこの公園」


「ん?」


 ユウタくんの呼びかけに、田場くんが振り向く。公園のすぐ手前で、二人は蓋のずれた側溝のそばにしゃがんでいた。ユウタくんが立ち上がり、公園を指差す。


 ――いよいよ、みたいだ。


「あそこ、探してみない? ほら、お店とかビルとかと違って、隠しやすそう……だし」


「あー」


 田場くんも立ち上がり、小走りに公園へ向かう。ユウタくんがそれを追いかけ、僕らも合わせて移動した。公園の目の前には一台のセダンが止められており、その陰に身を隠す。

すると、僕の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。


「でもここ、立ち入り禁止だけど」


 田場くんが顎で示す先には、確かに「立ち入り禁止」の赤い文字があった。公園の入り口にロープが張られ、そこに「立ち入り禁止」の紙が貼りつけられている。公園は植え込みに囲まれているため、障害を乗り越えず公園へ立ち入ることは物理的に不可能だ。


「え、そう、なの?」とユウタくんが言う。僕はとっさにイエローに尋ねた。


「あ、あんなロープ張る予定だったっけ!?」


「あたしは聞いてないですね」


 イエローの声も、いつもよりやや引き締まっている。思わぬトラブルに僕の脳みそは揺さぶられ、精査されないままの思考が口から流れ出した。


「まッ、まずいよ。だってあれじゃあ二人は公園に入らないかもしれないし、そうしたらクリスタルだって見つからなくて……あ、いや、見つからなくてもいいのかもしれないけど、でもあんまり長引くと逆に空気が悪くなったりするかもしれないし、そうなったら本当に」


「とにかく」


 イエローに腕を小突かれ、僕は口を噤んだ。イエローの険しい目が、シールドの向こうから一瞬透けて見えた気がする。


「総司令に聞いてみればいいんじゃないですか。クリスタル隠すのはあの人の役割だったし」


「そ、そうか。僕、電話してみる!」


 僕はスマートフォンを取り出し、覚束ない指で電話をかけた。じれったいコール音のあと、『おう! どうした?』と陽気な総司令が出る。僕は公園に背を向け、スマートフォンを両手で隠すように持った。総司令の大音声で尾行がバレては、トラブル以前に元も子もない。


「あッあの、総司令、クリスタルは公園に隠したんですよね!?」


『ん? そうだぞ。会議でもそう話したろう』


「その公園、立ち入り禁止になってるんですけど」


『何ィーッ!?』


 突然の大声に僕はスマートフォンを遠ざけ、電話の向こうに「シーッ!」と人差し指を立てた。総司令は即座に小声に切り替えて続ける。


『そりゃ本当か! おれが隠したときには何もなかったぞ!』


「ほ、本当なんです。ロープが張られてて、立ち入り禁止って」


『子どもたちはどうしてる! 通り過ぎようとしてないだろうな!?』


「えぇと……」


 公園に視線を振る。すると、ユウタくんと田場くんは公園の前で何やら揉みあっていた。ロープを跨ごうとする田場くんの服を引っ張って、ユウタくんが制止しているのだ。


「はっ、入っちゃダメだってばぁ!」


「うっせー! 引っ張んなよ!」


 言い合う声が聞こえてくる。イエローを見ると、困ったように顎を引かれた。僕は電話口に報告する。


「あの、揉めてます。田場くんは公園に入ろうとしてるんですけど、ユウタくんがそれを止めていて……ど、どうしましょう」


『ぐぬぬ』総司令は歯ぎしりするような呻き声のあと、『分かった。クリスタルはこっちでどうにかしておく。お前たちは二人のケンカをどうにかしてくれ!』と続けた。


「えぇ!? ど、どうにかって」


『頼んだぞ!』


 声を遮られ、一方的に電話が切られる。どうにかしろと言われたって、一体どうしたらいいんだ!

 混乱のまま画面と見つめ合っていると、「あ、やば」とイエローの呟きが聞こえた。身体ごと公園を振り返ると、田場くんがユウタくんに背を向けて歩きだしている。


「田場くん! どこ行くの!」


 公園の前で置いてけぼりになっているユウタくんが、田場くんを追いかけようと一歩前に出る。田場くんはキッとユウタくんを睨みつけると、前のめりになって怒鳴った。


「向こう! 向こう探すんだよ! もうぜってぇこの公園にあると思うけど、お前が止めるから!」


「じゃ、じゃあぼくも」


「来んなよ!!」


 今までよりも高く、攻撃的な声だった。ユウタくんの動きが止まり、その隙に田場くんは走り去ってしまう。僕の視界から深緑のランドセルが消えると、ユウタくんは崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんだ。


「あ……あたし、行ってきます」


 イエローが車の陰から飛び出した。いかにも走り慣れていないフォームで、彼女は田場くんを追いかける。僕も釣られて歩道に踏み出したが、これからどう動くべきなのかはまるで分からなかった。


 イエローの後ろ姿と、ユウタくんの丸まった背中を交互に見て、スマートフォンをスカーフに仕舞う。わけも分からないまま車道を渡り、小さくなった体のそばに立つと、ユウタくんはゆっくりと顔を上げた。


「あ……」


 僕を捉えた両目は、既に潤んでいる。自分の腕の筋肉が、縮むように硬くなるのを感じた。


「ど、どうしたんだい、こんなところで? あの、一緒にいた子は?」


「……行っちゃった」


 ユウタくんはぽつりと答えた。ちくりと痛んだ僕の胸を、泣きそうな声がまた刺す。


「ぼくが、ぼくが怒らせちゃったから……友達に、なりたかったのに」


 僕は、とっさに言葉を思いつくことができなかった。今にも泣き出しそうな少年の隣で、ただ立ち尽くしてしまう。駄目だ。悲しんでいる子どものそばで黙っているなんて、そんなのヒーローらしくない。黙っちゃ駄目だ。声をかけなきゃ。早く。


「君は」


 考えがまとまらないまま、滑るように舌が動き出す。


「どうして、あの子と友達になりたいの?」


「え?」


 赤くなった目を丸くして、ユウタくんが僕を見上げた。しまった。こんなこと、ここで訊くべきことじゃない。まずは慰めたり、勇気づけてあげるべきだったのに。質問なんかして、余計に追い込んでしまったらどうするんだ。


 波にも似た後悔が僕に押し寄せる。忘れてくれ、と取り消そうと思ったが、ユウタくんの目は僕を曇りなく見つめ続けていた。今さら撤回できそうにもない。それに撤回したからといって、そのあと何を話せばいいのかも分からなかった。僕は強く目を瞑り、ゆっくりと瞼を上げてから、震える唇を開く。



「君は、どうして友達がほしいの?」


「それは」眉を下げ、ユウタくんは目を逸らした。「ぼくは、ひとりぼっちだから」


「そうか」


 僕は応え、どうすればいいか分からないまま、ユウタくんの隣にしゃがんだ。重い沈黙が数秒過ぎ、僕はもう一度ユウタくんに訊く。ヒーローらしくハキハキと、けれど、これは純粋な、僕自身からの問いだった。


「それは、あの子じゃないと駄目、なのかい?」


 わずかに目を見開いてから、ユウタくんはじっと俯いて黙ってしまった。責めるつもりはなかったけれど、やはりきつく聞こえてしまっただろうか。


 どうすることもできなくなって、僕は空を見上げる。薄い雲はすっかり開けて、コスチュームの腕には暖かい風が触れている。通りすがりのサラリーマンが、僕らに注目するあまり電柱にぶつかっていた。


「……じゃ、ないけど」


 かすれた声で、ユウタくんが何か言った。僕が顔を向けると、ユウタくんはぎこちなく顔を背ける。ほのかに赤くなった耳の向こうから、足元にぽとんと落とすような、飾り気のない声がした。


「じゃなきゃダメ、ではないかもしれないけど、ぼくは、田場くんがいい。田場くんといたら……楽しそうだから」


 そう言って、ユウタくんは鼻をすすった。その音を聞きながら僕は、唇の震えがおさまるのをはっきりと感じた。


 ――楽しそうだから。


 そうか。友達になる理由なんて、それだけでいいんだ。


 ひとりでいるのが楽しかったら、友達は作らなくていい。友達といるほうが楽しそうだと思ったら、友達を作ればいい。寂しいとか寂しくないとか、メリットがあるとかないとか、そんなことは考えなくてもいいんだ。


 僕は、佐藤と飲むビールが一番おいしくて、楽しい。……あいつはどうだろう。


 そのとき、スカーフの中でスマートフォンが震えた。ごめん、と一言断ってユウタくんに背を向け、確認する。総司令からのメールだ。『クリスタル、移動完了! 総司令がじきじきに腕を伸ばして、植え込みの内側から外側に移動させたぞ』。


「な、なぁ、少年」


 スマートフォンを仕舞いつつ、僕は振り返る。ユウタくんはキョトンとした顔で僕を見た。僕はなるべく「ヒーロー」らしく、彼を奮い立たせるように、なおかつ優しい話し方を心がけて声を張った。


「クリスタルを、探さないか! おれと、この公園で!」


 僕の誘いに、ユウタくんは一瞬目を輝かせた。けれど、すぐに困り顔になる。


「で、でも、立ち入り禁止だよ?」


「いや、それはそうだけど。ほら、中に入らなくても、探す方法はある、じゃないか!」


 僕が植え込みを指差すと、ユウタくんは腫れた目をわずかに見開いた。


「植え込みなら、いいのかな」


「まぁ、少し覗き込むくらいなら、許してもらえるんじゃないか?」


「……そっか」


 ユウタくんの表情が、ほんの少しだけ明るくなる。僕は立ち上がり、思い切って彼に手を差し伸べた。「立って」と言うと、ユウタくんは少し躊躇してから、細い手を伸ばしてくれる。


「ありがとう」


 かすかな声で言って、ユウタくんは僕の手を掴んだ。





 それから、僕とユウタくんは公園の植え込みを丁寧に捜索していった。葉の折り重なる低木を、ユウタくんは真剣に睨む。そんな彼を見守りつつ、僕も同じようにした。数歩ごとに立ち止まっては凝視することを繰り返し、二つ目の角に差し掛かったとき、ユウタくんが息混じりの声を漏らした。


「あった」


 低木の幹よりも歩道側の一点に、日光を反射する丸い物体が転がっていた。植え込みに吸い込まれるように手を差し込み、ユウタくんがクリスタルを掴まんとする。


 その隙にさっと周囲を見回すと、すぐそこの民家の角から、総司令が顔を覗かせていた。ニッと笑って親指を立てられたので、僕はぺこりと頭を下げる。


「ねぇ。あったよ。これ?」


 手のひらで土を払って、ユウタくんがクリスタルを差し出してくれる。手のひらに載るくらいの、丸くて透明な塊。底は平らになっている。僕が頷くと、ユウタくんは嬉しそうに口を開いた。


「やっ、やった。じゃあこれ、はい!」


 手をさらに突き出して、僕にクリスタルを渡そうとするユウタくん。けれど受け取るべきではない気がして、僕は思わず身を引いてしまった。ユウタくんに首を傾げられ、慌ててわけを話す。


「いっいや、すまない。その、これは、僕が受け取るのはまだ早いと、思ったんだ。これは……まず、あのもう一人の子に見せるべきなんじゃない、か? 君から」


 僕がそう言うと、ユウタくんはクリスタルを自分の胸に引き寄せ、口を真一文字に結んだ。


 彼の気持ちは分かる。けれど、ここで諦められるわけにはいかないのだ。この任務のゴールは、クリスタルの発見ではない。


「でも」ユウタくんが遠慮がちに口を開く。「田場くんはもう、戻ってこないかもしれないし」


「戻ってくるさ」


 たぶん、と心の中で付け加える。イエローは今どうしているだろう。上手く田場くんを宥めてくれているだろうか。


 ユウタくんは軽くジャンプしてランドセルを揺らし、「でも……」とクリスタルを撫でた。つい数秒前までの明るい表情は、すっかり息を潜めてしまっている。


「戻ってきてくれても、もうどうしようもないよ」


「どうしようもないって?」


「仲直りもできないし……もう絶対、友達にもなれない」


「そ、そんなことは」


「あるの!」


 想像もつかなかった大きな声に、僕は怯む。自分でも驚いたようで、ユウタくんもきまり悪そうにぐっと下を向いた。クリスタルを強く握りながら、絞り出すように言う。


「田場くんは……ぼくとは違って、目立つ子だから。明るくて、足も速くて、友達も多くて……だから、ぼくが友達になるなんて、もとから無理なんだよ。そのうえ、ぼくが怒らせちゃったから……なおさら、無理なんだ。友達になんかなれない」


「そ」そうかもしれない、と思った。


 「中央」と「隅っこ」の間には、深い深い溝がある。それを、僕は嫌というほど知っている。ユウタくんといることを田場くんが「楽しそう」だと感じる可能性は、とても低いように思えた。メリット云々を抜きにしても、彼はきっとユウタくんに興味がない。


 けれど、きっと「ヒーロー」はそんなことを考えない。いつだって平和と平等を信じているヒーローは、中央だとか隅っこだとか、そんな分類は愚かだと一蹴してしまうだろう。


 だからヒーローはきっと、今のユウタくんにこんな言葉をかける。


「そんなことはない! 活発だとか大人しいとか、そんなのちっぽけな問題だ! 人はそんなこと関係なく友達になれるんだ!」


「ヒーロー」らしくあろうとするなら、僕は今、そう言わなければならない。


 だけど、その言葉でユウタくんは前向きになれるだろうか?


 クラスでの立ち位置なんて些末な問題だ。そう言ってしまったら、ユウタくんは自分の置かれている現実を、ただ否定されるだけになってしまうのではないか。僕は、僕の見てきた現実を、自分で否定することになってしまうのではないか。それは本当に、正しいヒーローのあり方なのだろうか。


 ――もう、俺たちがヒーローそのものになっちゃってますからね。


 ブルーの言葉が、脳内に反響する。


 僕たちは、僕は、もう既にヒーローになってしまっている。


 ずっと演じようとしてきた「ヒーロー」は、今や頼ることができなくなった。


 そもそも僕は、どのヒーローをお手本にしていたんだっけ? 『コーセイジャー』のことだって、ほとんど覚えていないのに。


 僕の「ヒーロー」は、凝り固まった「イメージ」に過ぎなかったのかもしれない。


 その「イメージ」はきっと、ひとりの怪人も倒していない。


「それは」


 ヘルメットの中で、自分の口が開く。と、眼鏡がずれていることに気づいた。ユウタくんに背を向けてシールドを上げ、眼鏡の位置を整えてから、もう一度ユウタくんを見る。


「それは、そうかもしれない」


 そう言うと、ユウタくんはまた泣きそうな顔になった。心臓の鼓動が速くなって、指先が冷たくなる。本当に泣かれてしまうのが怖くて、僕は急いで言葉を繋げた。


「だけど、それは多分、最初だけだ」


「……最初だけ?」


 ユウタくんが眉をひそめる。僕は頷いた。


「田場くんみたいな子と君が友達になるのは、きっと難しい。僕だってそんなの見たことない。だけど、そこを乗り越えて友達にさえなっちゃえば、その先はたぶん、そこまで難しくないと思う」


 僕はそこまで言って、乾いた喉を唾液で潤した。あの時のビールの味を思い出しながら、さらに続ける。


「だって、友達になってずっと一緒にいたら、友達でいるのが当たり前になるんだ。いつどうやって友達になったとか、友達になる前がどうだったとか、それはそんなに気にならない。だからとにかく友達になって、ある程度一緒に遊び続けたら、もう君の『逃げきり勝ち』なんだ」


「逃げきり勝ち」


 呆気にとられた顔になって、ユウタくんがオウム返しにする。確かに、今の言い回しは「ヒーロー」らしくなかったかもしれない。いやそれでいいんだ、と思いつつも恥ずかしくなって、僕は誤魔化すようにユウタくんの肩を掴んだ。眼鏡とシールド越しに、少年の目を見つめる。


「だから、諦めないでほしい。友達になりたいと思うなら、上手くいかないかもしれないけど、挑戦してみてほしいんだ」


 駄目、かな。自信がなくなって付け足すと、ユウタくんは困ったように視線を逃がした。それでも、僕はじっと彼を見つめ続ける。ユウタくんがちらりと僕を見る。僕は頷く。ユウタくんの目が泳ぐ。


「……分かった」


 目を泳がせながら、ユウタくんは小さく、しかしはっきりと言った。


 僕は思いっきり息を吸って、吐きながら彼の肩を離す。「ありがとう」感謝とともに頭を下げると、ユウタくんも不思議そうにお辞儀をした。


 そのとき、聞き覚えのある声が僕らの間に飛び込んでくる。


「おい、そんな強く掴むなよ! 痛ぇって!」


「だってあんた、弱くしてたら逃げたでしょ」


「はぁ~!? もう逃げねぇし! てかあのときも逃げようとしてたんじゃねぇし!」


 車道を挟んだ向かい側から、声は近づいてきていた。顔を向けると、歩道に伸びる脇道から、大小二つの影がこちらに向かってくる。小さいほうの影は大きいほうに腕を引かれ、ほとんど引きずられるようになっていた。その連れてきかたにはちょっと問題があるんじゃないのか? 僕は苦笑する。イエローと田場くんは、なんだか少し仲良くなって戻ってきた。


 二人は駆け足で車道を越え、公園側の歩道に足を踏み入れる。ずんずん、あるいはずるずると距離を縮めてくる彼女らを見て、ユウタくんの肩が上がる。僕は緊張しながら、少しお兄さんぶって「大丈夫」と声をかけた。ユウタくんは田場くんたちをじっと見つめたまま、大きく頷いてくれる。発見したクリスタルを、両手でぎゅっと包み込んでいた。


「ほら。早くすれば」


 僕らの目の前まで来ると、イエローは田場くんの腕を離し、ドンと背中を押した。つんのめるように前に出た田場くんは、忙しなく辺りを見回しながら首を掻く。右を向いたところで横目にユウタくんの顔を見、固まる。「やっぱ帰っていい?」「いいわけないでしょうが」イエローに窘められ、少年は口を尖らせる。


 そしてそれから数秒後、尖らせたままの口を、田場くんはモゴモゴと動かした。


「……ごめん。公園、入ろうとしたのが悪いのに、逆ギレして」


「う……ううん」


 どういう顔をしていいか分からない、という顔で、ユウタくんが首を横に振る。少年二人の間にはかなり微妙な空気が漂い、それを掻き消すように、ユウタくんは手を前に突き出した。


「あのっ、でも、これ、見つけたんだ。公園の、植え込みのところにあって、中には入ってないんだけど」


 両手を開き、田場くんにクリスタルを見せるユウタくん。田場くんはふっと力の抜けた表情になって、「あ、ああ」と頬を掻いた。


「良かったじゃん。返せば、それ」


「あ、うん」


 ユウタくんはまた指を閉じて、僕に振り向く。優しく手渡してくれたクリスタルを、僕は今度こそ受け取った。それを見届け、フン、と田場くんが鼻を鳴らす。


「じゃあ、もう解散でいいよな。オレ、帰るから」


 田場くんは突き放すように言い、ユウタくんに背を向けた。「あ、ちょっと」というイエローの声も無視して、彼はこの場を離れようとする。


 まずい。僕は焦り、声をかけるべくユウタくんを見る。と、スゥ、という音が、僕の鼓膜をわずかに震わせた。


 息を吸う音だ。


「たッ、田場くんッ!!」


 ユウタくんが、今日一番の大声で叫んだ。深緑のランドセルがビクンと揺れ、振り返る。僕はユウタくんの横顔を見た。坊っちゃん刈りをやや乱れさせ、膨らんだ頬を真っ赤に染めて、彼は田場くんを一心に見つめていた。田場くんも、混乱と驚愕がないまぜになったまんまるな両目でユウタくんを見つめ返している。


 スゥ、ともう一度音がする。雲の晴れた空の下、厳しい現実の隅っこから、少年は前のめりに叫んだ。



「ぼくと、友達になってくれませんか!!」


 田場くんの口が、え、と動く。声は聞こえなかった。ユウタくんはさらに叫ぶ。


「ぼッ、ぼくッ! ずっと田場くんと友達になりたくて! 田場くんは、田場くんはぼくとなんか、嫌かもしれないけどッ! でも、も、もし、田場くんと友達になれたら、あの、楽しいと、思うからッ!」


 ユウタくんは半泣きだった。ゼェゼェと息を荒くしながら、それでも田場くんから目を離さない。けれど、田場くんの反応はない。また泣き顔に近くなった口を、「だから、それで」と動かすが、言葉はもう出てこなさそうだった。僕は唇を噛む。


 ――やっぱり、こんなことは夢物語だったか……。


「いいよ」


 諦めかけた僕の目の先で、田場くんの唇が動いた。「へ?」と、弱々しい声がユウタくんから漏れる。田場くんはじれったそうに短い前髪を掻きあげると、もう一度繰り返して言った。


「だから、いいよ。友達になっても」


「…………ほんと?」


 ユウタくんが声を震わせた。「ほんと」と返す田場くんに、荒い息を詰まらせながら続ける。


「じゃっ、じゃあ、一緒に遊んでくれる? 休み時間にしゃべったり、あと、放課後にどこかに遊びに行ったり、してくれる?」


「そりゃするけど……。何なら、今からウチ来る? トモバタラキだから、仕事で親いないし」


 ユウタくんの勢いに戸惑いつつ、田場くんは頭を傾けた。ユウタくんの見開かれた両目から、涙が一筋流れ落ちる。自分の肩の力が抜けて、こんなに力を入れていたのか、と僕は気づいた。少し乱れた坊っちゃん刈りが、勢いよくお辞儀をする。



「お、お邪魔しますッ!! よろしくお願いします!!」


 甲高く裏返った声に、田場くんは一瞬たじろぐ。それから、毒気を抜かれたような顔でクスッと笑った。


「緊張しすぎだろ、友達なのに」





「いやぁ、実によくやってくれた!」


 角を曲がった瞬間、バシンと肩を叩かれた。


 少年たちに別れを告げた僕とイエローは、総司令が隠れていた民家の影に身を隠した。総司令は二つのヘルメットを両手で撫でながら、光り出さんばかりの笑顔で僕らを迎えた。


「素晴らしい! おれは本当に感動したぞ、お前たちこそが真のヒーローだ! ブラボー! アンビリーバボー!」


 総司令は小声だったが、褒め方が大袈裟なせいでいつも以上の大声に感じられた。反応に困って顔を背けるイエローの隣で、僕も俯く。と、撫でられていたヘルメットの頭頂部が突然ポコッと叩かれた。驚いて顔を上げると、総司令は感慨にふけるように両目を閉じている。


「特にレッド、お前の活躍には脱帽したぞ! ユウタくんの直面する現実を否定せず、そのうえで非現実を切り開いてやる姿勢……あれこそが我々『現実戦隊フツージン』のあるべき姿だ! 君をレッドに任命して本当に良かった!」


「あ、ありがとうございます」


 僕は叩かれた頭頂部に手を当てる。今までは息苦しかった総司令の褒め言葉が、今日はなんだか照れくさかった。胸の真ん中が暖かくなって、ふわりと浮くような感覚になる。「よし、じゃあとりあえず着替えて、ブルーとピンクにも連絡を……」総司令の弾んだ声を聞きながらも、ついうわの空になってしまう。


 ――「ヒーロー」にはなれないと、今までずっと思っていた。


 ――だけど、僕はもうとっくに、ヒーローになっていたのか。


「それにしても、なんで急に立ち入り禁止になってたんですかね」


 公園を覗きこみながら、イエローが言った。総司令は顎に手をやって唸る。


「うぅむ……分からんな。何か作業をしている気配はなかったが」


「事故でもあったとか?」


「それにしては、騒ぎが起っている様子も見られんかったな」


 答えは出ず、僕らは全員で黙ってしまう。静かな膠着状態を過ごしていると、


「おい」


 視界の外から、攻撃的な呼びかけが飛び込んできた。首を回すと、僕らの斜め右後ろに、怠そうに立つ田場くんの姿があった。


「げっ!」


 総司令が飛びのき、街路樹の裏に身を隠す。幹からはみ出した腹をちらりと見てから、田場くんは僕らに向き直った。イエローが彼に尋ねる。


「どうしたの? あたしたち、これから帰るとこなんだけど」


「お前らさぁ」首をのけ反らせる田場くん。「なんか、全然カッコよくなかったんだけど」


「なッ!」


 街路樹から声が漏れ、僕の表情筋も引きつった。が、イエローいたって冷静だ。


「何、文句言いに来たわけ? そういうのやめなよ。これからあの子と遊ぶんでしょ」


 イエローの投げやりな口調に、田場くんはムッとした顔で答える。


「文句じゃねぇし。あいつは親に連絡するっていうから、今オレがスマホ貸してんの」


「ふぅん。で? 文句じゃないなら要件は何さ」


 顎を上げて威圧するイエロー。それに対抗するように背伸びして、田場くんは得意げに言った。


「お前ら、四人しかいないんだろ? オレが五人目になってやるよ」


「はァ!?」


 街路樹から総司令が飛び出す。勢いのまま田場くんの前に歩み出ると、総司令は震える人差し指を田場くんの眉間に突きつけた。


「ききっきき君なぁ! 彼らのことをカッコ悪いとまで言っておいて、どういうつもりで仲間になろうとしとるんだ! えぇ!?」


「はい~? オレ、『カッコ悪い』とは言ってないんですけど? 『カッコよくなかった』って言っただけだし。つか誰だよオッサン」


「おれは彼らのボスだ! 『現実戦隊フツージン』の総司令! 何か文句があるか!」


「戦隊の名前ダサくね?」


「何ぃぃ!? ことごとく馬鹿にしおって! お前、本当におれたちの仲間になりたいのか!?」


「だからぁ、オレが仲間になってお前らをマシにしてやろうってことなんだけど。何にもしてないと塾に通わされそうだし……」


「お前それ、塾に行きたくないだけだろう! ヒーローのことは親御さんにも秘密なんだから言い訳にはできんぞ!」


「そんなの分かってっし。ボランティアとか言っとけば見逃してもらえるから」


「小賢しいーッ!」


 いまひとつ低レベルな言い争いが繰り広げられている。イエローは肩についたゴミをちまちまと取り除いていた。この状況でどう振舞うべきか悩んでいると、首元でスマートフォンが震えた。取り出す。佐藤からのメッセージだ。


『次の休み、また飲まね?』


 オッケー、と入力しかけて、僕は手を止めた。数秒のあいだ思案して、文字を打ち直す。総司令と田場くんの声を聞きながら、送信する。


『空いてるなら、佐藤んち行ってもいい? 久しぶりに』


 送信したメッセージが表示され、直後に「既読」の二文字が追いついてきた。佐藤相手なのに、なんだか妙に緊張する。そわそわして空を見上げた。


 曇りのち晴れ、の通りになった空には、すがすがしい青が広がっている。


 手元でスマートフォンが震えた。慌てて画面を見ると、メッセージの吹き出しを二つに分けて、佐藤からの返信が映しだされていた。


『おー! 来い来い』


『楽しみにしてる!』


 自分の目が、自然と細くなったのが分かる。もう一度空を見上げると、総司令の大音声が、一面の青に高く響いた。


「お前のことなんか、ぜーったい仲間に入れてやらんからなーッ!」

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