(3)逸る胸に尋ねる言葉「こんな終わり方ないよね!?」

 馬術部があるのかどうかは知らないが、理天学院には馬やロバ、山羊なんかもいる。なぜか羊だけ放牧状態だ。なんでも、近所の人が急用で面倒を見きれないため「置いとくだけでいいから」と預けていったらしい。すごく田舎っぽい。


「トモユキ。ユノン先生からこれ、貰ってきた」


 エルメさんはそう言って、ビーズが付いた色とりどりの紐を俺に見せた。メルくんもエルメさんも長い髪をポニーテール風に結っているが、この紐に似た飾りを沢山付けている。そういえば小さい子どもは、みんな髪にこんな飾りを付けていたかもしれない。


「御守り。これは髪や耳に付けるって決まってるんだ。魂は顔の中にあるから、なるべく魂の近くに御守りを付ける……とかだったかな。まあいいや」


 エルメさんは有無を言わさず俺の頭に紐を巻き付けた。顔を近づけたせいで、エルメさんが思っていたよりも小柄で、もののふなんかではない普通の女の子であることに気づき、死ぬほどドキドキする。


「きついか? 痛かったら言えよ」

「うん、大丈夫……」


 こんなに可愛い声出せるんだ、俺……。

 物心ついてから一度でも、女子とこんなに接近したことなんてなかったから……いや、あったな。俺は初キスの相手である曾祖母さんの顔を思い浮かべることで、辛うじて平静を装った。


 俺は髪が短いので、エルメさんは少しばかり試行錯誤していたが、額、というか頭にぐるりと紐を巻きつけるスタイルに落ち着いた。自分では見えないが、前髪抑えてるアスリートみたいになっていると思う。


「よく聞け。おまえの家が仏教だかキリスト教だか知らないが、宗教的なことは何も考えなくていい。とにかく外すな」


 ついさっきまで世界一可愛かったのに、もうエルメさんの気迫が怖い。華奢な女の子でも案外ドスの効いた声が出せるんだね。ギャップで風邪引きそうです。

 しかし、この念の押しようは何だ? 外すと何か危ないのだろうか。俺にとっては得体の知れないこの紐自体がちょっと怖いのだが。待って待って、このビーズって実は人間の歯とかじゃないよね?


 それとなく、ご機嫌を損ねないように、なぜ付けるのか、これは何なのかを聞いてみようとしたら、俺が口を開くより先に、エルメさんのほうから説明をしてくれた。


「もとは何てことないただの紐なんだけどな。でも魔法をかけてもらったから、今のそれはトモユキ専用GPSだ。いや、TPSかな? Teacher's Positioning System」


「Teacher's Positioning System」


「この辺は山深いからな。霧が深いときや暗い時間は、地元の人間でも遭難する。どこかに落っこちて動けなくなっても、それを付けていればユノン先生が見つけてくれるから安心しろ。万が一外れても、ジュニアスマホだと思って大切に持ち歩け」


 そうだね、ジュニアスマホ失くしたら母ちゃんに死ぬほど怒られるもんね。

 全部が全部GPS機能付きではないらしいが、小さい子が重たそうなほど髪に紐や飾りを付けているのは、それだけ色々な人から安全祈願の御守りを貰うからだそうだ。大抵はどれが誰から貰ったものかを把握していて、エルメさんが付けている御守りの中には、他の先生たちや藤京のフィオロンさんから貰ったものもあるらしい。


「だけどまあ、入っちゃいけないって言われてるとこに行けばすぐバレて先生がすっ飛んでくるし、やっぱり神がかり的なありがたい御守りではないんだよな……」


 思ったより測定の精度高いな。TPSがどういうシステムなのかちょっと気になったが、非魔法使いの俺が魔法のことを尋ねても仕方ない。

 代わりにエルメさんが異世界へ来た時のことを聞こうとしたが、何か話したくないことがあるのか、適当にあしらわれて逃げられてしまった。


 エルメさん、やっぱり日本に良い思い出がないのかな。先ほどの会話から考えればわかることだったのに、無神経だったかも。


 エルメさんに逃げられてしまったので、仕方なく周囲を歩いていると、メルくんが小さな子としゃがんで遊んでいるのを見つけた。柔らかそうな土の地面に何か書いてるようだ。敷地内には野草の芝生エリアと土のエリアどちらもあるが、ここの地面は広いなあ。これ全部キャンバスか。えーなんか楽しそう。


「トモユキも来なよー」


 メルくんが俺に気づいて手を振ると、周りの子たちも真似をして俺の名前を呼んだ。ものすごいノスタルジックなシチュエーションだ。俺がもっと年のいったおじさんだったら泣いちゃったかもしれない。


「ねえ、ぼくの名前書いてー。すごく大きく」

「ぼくのも書いて、ここに」

「おれのも書いて。漢字で」

「メルくんはさすがに自分で書けるでしょ?」

「外国人の名前を漢字で書くやつやって。難しい漢字で!」


 あれが嬉しいのか……。エルメさんは外国人扱いが地雷のようだが、メルくんは真逆をいってる気がする。また例の魔法の杖を手渡され、俺はガリガリと地面を削った。骨を握るのはちょっと気持ち悪いが、サイズ的には悪くない。


「どれがどれ?」


ハッ……うーん、ちょっとセンスなさすぎかな~」

「大丈夫! おれたちセンスとかわかんないから! ありがと!」


 メルくん、やはりものすごい陽キャ。お手本のような輝く笑顔、ありがとう。


「トモユキの名前も書いてよ」

「あ、はいはい」


 そういえばこの異世界には苗字がないのだろうか。少し迷ったが、一応姓名の順番で自分の名を書いた。


「あ、これならおれも全部わかる。『シカ』、『ノ』、『知コウ』だ。へえ、神様みたいな名前だなぁ」


 そう言いながら、メルくんは俺の名前の横に文字のようなものを書いた。「知」に少し似ているが、明らかに違うとわかる字。メルくんはその下にもサラサラと何文字か書いたが、どれも読めそうで読めない。漢字やカタカナに雰囲気は似ているが、日本語には絶対にない形を含んでいて、それが日本人の俺には気持ち悪く、妙に怖い感じがする。


「これは『知狎』って書いた。これは神様のこと。トモユキのトモの字とこの『知』の字は少し似てるでしょ。エルメが言うには意味も似てるんだって。滅多に書かないけど、下に書いたのはアルカディア語に変換したおれの名前。有・馬・メ・ル」


 メルくんが骨で指した字は、言われてみれば「有馬」と書かれているように見えなくもない。ただ「メル」のほうは俺にはよくわからなかった。


「ねえメル、これはノエの字と同じ?」

「そうだな。同じ『野』だ。ハック、よくわかったなぁ。その隣は鹿って意味の字。トモユキは名前に鹿と知狎が両方入ってる」


 メルくんに説明されると、子どもたちは色めき立ってバタバタし始めた。踊ってるようにも見えるけど、はちゃめちゃすぎてよくわからん。


「おれたち有馬と鹿野だから、馬と鹿だな!」


 メルくんが笑って肩を叩くので、とりあえず俺もにっこりしておこう。メルくん、どこまで意味わかって言ってるんだろうな……。



  * * *



 メルくんに時間を尋ねたとき初めて気づいたが、この異世界にはなんと太陽がない。

 空を明るくするのも暗くするのも神様次第なので、一日の長さは毎日ちょっと違う。だから時計っぽい物はあるが、持ってない人もいて、時間の伝え方は早朝、朝、昼前、昼などの表現がポピュラーらしい。いよいよ異世界感出てきたな。


 少し暗くなり始めたからか、メルくんたちは夕飯の準備をすると言って走っていってしまった。

 再び一人になり、町一つ分くらいでかい学院の敷地内をうろうろしていると、どこからか子どもたちのヒソヒソと話す声が聞こえてきた。


「神様は食べられるために現れるんでしょ」

「そうだよ。人間と鉢合わせた鹿は狩っていい決まりだもの。神様は優しいから、自分を食べなさいってお肉を差し出してくれるの」

「でもトモユキは鹿じゃないよね」

「でも知狎は人の姿になるじゃない」

「どっちでもいいんじゃない? 調理師は人を捌いてもいいって先生が言ってた」


 先ほどまであれほどよく響いていた羊たちの鳴き声が、今の俺にはまったく聞こえなくなっていた。


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