第2話 ラド村

「んっ……」


 目蓋を開くと、そこには見慣れた天井が広がっていた。

 モゾモゾと寝床を抜け出し、跳ね上げの木戸を開ける。

 すると心地よい風がさっと頬を撫でた。


 柔らかな朝の日差しの中には、朝霧に包まれたのどかな耕作地が広がっている。


「やっぱりあれは夢だったか」


 俺はつい先程まで見ていた夢のことを思い出す。


 見知らぬ街。

 そこで俺は自由に動き回っていた。

 酒場では筋骨隆々の男と腕相撲をし、果実酒を奢って貰った。


 妙に生々しいその夢は、目が覚めた今でも鮮明に思い出すことができる。


 そして俺はあることを確信した。


「これが俺の天恵か」


 天恵。

 創造神であるルゴス神から授かる特異な力。

 人々は十五歳になると、教会で天恵拝受の儀を受ける。

 そこで一人につき一つずつ、ルゴス神から天恵を授かるのだ。


 数えで十五歳となった俺も、昨日村にある教会で天恵拝受の儀を受けた。

 仰々しい名前の儀式ではあるが、なんてことはない。

 教会に祭られているルゴス神の像の前で跪き、目を閉じて祈りを捧げるだけだ。


 俺も村の司祭様から教わった通りに、ルゴス神に祈りを捧げた。

 すると、頭の中に授かった天恵が思い浮かんだのだ。


 俺が授かった天恵。

 それは【夢双】というものだった。


 どうやら司祭様も聞いたことがない天恵らしく、どのような能力があるかはわからなかった。


 だが、あの夢を見て、俺は自身の天恵の能力を理解した。

【夢双】。

 現実と酷似した、並び立つ夢の世界。

 そこで比類なき力を手に入れ、無双することのできる力。

 それがこの天恵の力なのだろう。


 天恵を授かってから一夜明け、ようやく知った己の力の正体に、俺は少しがっかりした。

 両親からは、農業に役立つような天恵を期待されていた。

 しかし、俺としてはもっと格好いい、例えば【戦士】や【剣士】のような天恵が欲しかった。

 けれど実際に授かったのは【夢双】。

 確かに夢の中では強くなれるかもしれないが、それにいったいどれだけの価値があるのだろうか。

 それならば、両親の願い通り農業に役立つ天恵の方がまだマシだった。


「はあ……」


 まあ、せっかく授かったのだ。

 前向きに考えよう。

 人間、人生の三分の一は寝床の上で過ごす。

 つまり、俺の天恵が活きる時間もそれだけあるということだ。

 シビアな発動条件などが原因で、自身の天恵を一度も使うことなく生涯を終える人も珍しくはない。

 そう考えると、天恵を理解し、高頻度で使用できるだけ良かったと言えるだろう。


「ラザック、起きてる? 朝ごはん食べるわよ」


「はーい」


 母親――ライラの声に従い、俺はリビングへと向かう。


「おはよう」


「おはよう、ラザック」


「おはよう。パンは二つでいい?」


「うん」


 俺は欠伸を噛み殺しながら自分の席に着く。

 両親と俺。

 それがこの家の全住人だ。

 両親は二人ともラド村の出身であり、幼馴染みだったらしい。

 父親のアイザックは穏やかな男であり、いつも気の強いライラの尻に敷かれている。

 まあ、それが二人の適切な距離感なのだろう。

 多少の意見衝突くらいはあるが、基本的に仲は良好で、実子の俺から見ても睦まじい夫婦だと思う。


「そうだ、ラザック。

 今日はウチの仕事はいいから、ミーナちゃん家の手伝いに行ってきなさい」


「あー、おじさん腰を痛めたんだっけ」


「そんなに酷くはないらしいけど、男手がないのは大変だからね。

 そのうち家族になるんだし、ミーナちゃんには優しくするんだよ」


「むしろ俺の方が優しくして貰いたいよ」


 俺は千切ったパンをスープにつけながら答えた。


 ミーナは俺の幼馴染みだ。

 人口が少なく、他の村との交流もそれほど盛んではないラド村では、同年代の異性はほぼ結婚相手となる。

 アイザックとライラがそうであり、また俺とミーナもそうなのだろう。


 ミーナのことは嫌いではない。

 むしろ好意を持っているといっても過言ではない。

 お転婆で振り回されてばかりだが、明るい彼女にはいつも元気を貰っている。

 だが、物心ついた頃から一緒にいるので、結婚と言われてもピンとこないというのが正直な感想だ。

 まあ、ミーナ以外と結婚している自分というのも想像できないが。

 きっとウチの両親にも負けないくらい仲のいい家族になるのだろう。


 手早く朝食を終えた俺は、頭にタオルを巻き、そのままミーナの家へと向かった。

 と言っても狭い集落だ。

 目と鼻の先にあるミーナの家に行くのに時間はかからない。


「ミーナ、おはよう!」


 俺は家の前で声を上げる。

 すると中からパタパタと近付いてくる足音が聞こえた。

 音の主は扉を開けると、その隙間からひょっこりと顔を出した。


「おはようラザック」


 肩口まで伸ばした栗色の髪。

 健康的に焼けた小麦色の肌。

 気の強そうな吊目がちの瞳。

 ミーナは少し申し訳なさそうに口を開いた。


「朝早くから来て貰ったのにごめんね。

 まだ洗い物が終わってなくて。

 上がってちょっと待ってて貰ってもいい?」


「いや、先に畑に行ってるよ。

 暑くなる前に少しでも進めておきたいし」


「そう? ありがとね。私もすぐに行くから」


 俺はヒラヒラと手を振ると、ミーナの家の畑へと向かった。

 この辺りの気候は、一年を通して比較的温暖で過ごしやすい。

 だがそれでも、日中はそれなりに気温が上がる。

 日差しの降り注ぐ中での畑仕事というのはそれなりに辛いものだ。

 まだ涼しい内にできるだけのことはやっておきたい。


 畑の脇にある小屋から鍬を取り出し、畑に向かって振り下ろした。

 ミーナの家の手伝いをするのは、これが初めてというわけではない

 ウチの畑もすぐそこにあり、作業速度も変わらないと知っているので、その日にやるべきことは理解している。


 サクッ、サクッと土を耕す音だけが響く。

 耕すというのは単純作業だが、それなりに負担がかかる。

 いい加減に鍬を振り回そうものなら、すぐに腰を痛めることだろう。


 無理のないペースで鍬を振るっていると、少ししてミーナがやってきた。


「ありがとうね。よいしょっと」


 ミーナも俺と少し距離を空けて、鍬を降り始めた。


「おじさんの具合はどう?」


「あと数日も休めば動けるようになるみたい」


「なら良かった。

 ウチの親父も腰をやったことあるけど、腰は痛めると辛そうだからな。

 おじさんが無理しそうなら、遠慮なく呼んでくれよ」


「そうするわ。ラザックがいてウチは本当に大助かりね」


 にこりと笑みを向けてくるミーナ。

 今朝ライラからミリアとの結婚の話をされたからだろうか。

 見慣れた笑顔がどうにも気恥ずかしく、俺は視線をそらした。


「お互い様だよ。

 おばさんが作ってくれるパイは絶品だからな。

 これくらいお安いご用さ」


「ふふっ。わかったわ。

 あとでお母さんに美味しいパイを焼くようお願いしておく」


「よっしゃ!」


 おばさんの焼く木の実を使ったパイは、小さい頃からの大好物だ。

 あの芳ばしい香りと、優しい甘味を想像しただけで、お腹が鳴りそうになる。


 他愛のないことを話ながら、畑を耕していく。

 きっとミーナと結婚したら、こんな生活が続いていくのだろう。

 穏やかで代わり映えのしない日々。

 そんな当たり前の小さな幸せがいつまでも続くことを、俺は疑いもしなかった。

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