第13話 朝礼

 遮光カーテンの隙間から朝の光が降り注ぐ。数度瞬きをして目を光に慣らすと、霧矢は軽く頭を押さえながら起き上がった。片手の下で昨日受け取った書類が音を立てる。見下ろすと、開きっぱなしのフラットファイルの上に皴だらけのマニュアルが鎮座していた。

(……いつの間にか寝落ちてたのか)

 それにしては頭が重いが、いつものことなので考えないことにする。とりあえず着替えようと立ち上がり、何気なくベッド脇に視線を向けると、「着替え(仮)」とマーカーで書かれた段ボールが視界にでかでかと映りこんだ。

「……ンで、こんなモンまであんだよ……」

 呟き、音を立ててガムテープを剥がす。蓋を開けると、霧矢が普段着ていたものと酷似した学生服が詰め込まれていた。ワイシャツを一枚引き出すと、校章のない真っ白な布が広がる。

「……何なんだよ、腹立つ」

 思わず口元を歪め、霧矢は苦々しく吐き捨てた。関係ない学校に風評被害が及ばないようにするためだろうが、そんな配慮すら神経を逆撫でしてくるようで。彼は乱れた黒髪を乱暴に掻きむしり、険しい目つきで眼前のワイシャツを睨みつける。


 ◇◇◇


「……はよざーす」

「おはよう。ちゃんと時間通りに出社したわね」

 オフィスに足を踏み入れると、余裕をたたえた声に出迎えられた。唯が社長用のデスクに腰かけ、ブラインドタッチでキーボードを打っていた。まだ朝八時にもなっていないにもかかわらず、ツインテールに結い上げられた髪にもゴスロリにも一切の隙がない。結局新品の学生服に着替えた霧矢は、どうでもよさそうに問いかける。

「……何時に起きたんだよお前」

「五時くらいかしら。それよりアンタ、朝は食べたの?」

「流石に食ったわ」

「そう。ならいいわ。……そうそう。今日は昨日いなかった平社員も出社する予定だから、挨拶しておきなさい」

「は? 断る」

「霧矢くんホントにすぐ即答するよね……あ、社長おはよ」

 タイムカードを押し、千草はフランクに声をかけた。金色の目を細めて笑う彼に、唯は一つ頷いて挨拶を返す。

「おはよう、千草。……雫は?」

「隠れてる。ほんと相変わらずだよね……雫ー、出てきていいんだよー? 怖いけど怖くないよー」

「その言い草はまるっきり矛盾してるのよ」

 冷静に突っ込む唯を尻目に、霧矢は何となく昨日と同じデスクに腰を下ろす。頬杖をついてそっぽを向いていると、向こうから何か話し合う声が耳を掠めた。やがて人影が背後に立つ気配がして、霧矢は視線だけをそちらに流す。


「やあ、この子かなりの人見知りっ子でさぁ。多分まともに会話できないと思うから、僕から紹介するね?」

 千草が軽く両腕を広げ、隣に立つ青髪の少女の肩を軽く叩いた。セーラー服のスカーフを握りしめている少女は俯いたままびくりと震えた。青い瞳が怯えたように床を滑る。

「この子は瀬宮せのみやしずく。霧矢くんと同い年かな? こう見えても本気出したらすごく強いよ。あと、悪い子じゃないからよかったら仲良くしてやって?」

「断る。仲良くする筋合いなんざ無ェだろ」

「えぇ……」

 吐き捨て、霧矢は社員たちから目を逸らした。挨拶しようと口を開きかけた雫が、その先を失って怯えたように目を伏せる。困ったように口元を綻ばせ、千草は助けを求めるように唯に視線を投げた。肩をすくめ、唯はぱたりとノートパソコンを閉じる。

「全く……仮にも同じ会社の仲間じゃない」

「誤解するような言い方すんじゃねェ。ナカマになった覚えなんざ無ェよ。だいたい俺様はお前らのこと、まだ信用してねぇかんな」

「今すぐに信用しろとは言ってないわ。ただ、今度の任務はそれなりに大規模かつ、それなりの危険性も伴う事案よ。死にたいならどうしようが知ったことじゃないけど、そうじゃないのなら割り切りなさい」

「…………チッ」

 うだうだ言いかけて、舌打ちをするに留める。これ以上言っても無駄だろう。なにせ向こうには立場がある。霧矢は頬杖をついたまま、不貞腐れたように言い放った。

「わぁったよ……協力する分には文句はねェ。けど、囮とかそういうゴミカスみてぇな真似したらシバき倒すかンな」

「そ、そこまで言っちゃう? ……まぁいいや。霧矢くんに不利益が出るような手段は取らないって約束するよ。他の子がそういうことしようとしても、僕が責任持って止めるから安心して?」

「…………そういうことにしといてやンよ」

 いかにも親切そうな笑顔を一瞥し、どうでもよさそうに言い放つ。話は終わりだとばかりにデスクに突っ伏すと、入り口の方から二つの足音が重なって響いた。ぎこちないスキップに似たステップと、革靴の無機質な足音。声から判断するに、白銀紅羽と……もう一つ、知らない少女の声。

「おっはよー! いちおう間に合ったぁ!」

「……紅羽、3発くらい殴らないと、起きなかった……から、苦労した」

「二人ともおはよ。ずっと思ってたんだけどさ、真冬まふゆに殴られてピンピンしてる紅羽はなんなの? 人間なの……?」

「さあ?」

「いや君のことじゃん……あとタイムカード押そうね、紅羽」

 朝から大騒ぎする社員たちの声に、霧矢はわずらわしそうに顔を上げた。乱れた黒髪を片手で掻きつつ、苛立ったような視線を周囲に投げる。斜め前のデスクに恐る恐る腰を下ろそうとする雫が、怯えた小動物のように肩を震わせた。

「……ワケわかんねー。マジで何なんだよ、ここ」

「……犯罪対策会社……?」

「えっと真冬さん、多分そういうことじゃない……と、思います」

「多分じゃなくてもそういうことじゃねーわ……」

 無造作に言い放ちつつ、霧矢は険しい瞳で周囲を見回す。無意味に楽しそうな紅羽と、薄く笑いながら彼女をいさめる千草。妙に和気あいあいとした雰囲気が肌に絡みつくようで煩わしい。左の手のひらに爪を立て、霧矢は苛立たしげに彼らから視線を逸らす。


「はいはいそこまで。今日は常務と雛乃ひなのが休みよね……っと、全員揃ったなら朝礼始めるわよ」

「はぁい」

 唯が軽く手を打ち鳴らし、デスクから立ち上がった。大人しく着席する社員たちを睥睨し、彼女は尊大に腕を組んだ。

「本日の業務を確認するわ。昼間の市中警邏当番は紅羽と真冬。千草と雫は連続殺人犯の追跡・捕縛任務……ね。夜久霧矢も二人に同行すること」

「あー、うん、異論はないけど。即席パーティーになるけど大丈夫?」

「何かあってもアンタと雫ならフォローできるでしょ。紅羽や雛乃の時もそうだったし。いいところ見せなさいよ先輩社員」

「って言ってもこの会社発足から1年も経ってないじゃん。皆ほぼ同期じゃん」

「つべこべ言ってんじゃないのよ。私は夜久霧矢の実家と中学校に話をつけてきて、その後は侵宿しんじゅくの同業者と会合。専務はいつも通り拠点防衛と電話対応。以上よ。各自さっさとやること始めなさい」

「はーい!」

 紅羽が嬉々として席を立ち、真冬が音もなくそれに追随する。困ったように微笑み、千草は雫と霧矢のほうに目を向けた。

「……それじゃ、僕たちも始めようか?」

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