第8話 信条と決意

「いい加減……放っておけよ。関わんじゃねえよ……ッ!」

 血を吐くような声が空気を震わせる。真紅の瞳がギラギラと光り、不気味な少年を睨んでいる。しかし彼は臆するどころか、称賛するように両手を打ち鳴らした。新緑の瞳が嘲笑うように細められる。

「きひ、きひひっ。面白いね。そうこなくっちゃ。……でも残念。お前自身の意思は別に聞いてないんだよ。だってそんなもの――いいだけじゃんねぇ!」

 嘲笑交じりの声が不意に暗く染まる。かつりと音を立て、不気味な青年は霧矢に向けて踏み込んだ。ぐしゃぁ、とアスファルトの床がにヒビが入り、乾いた音が埃っぽい空気を耳障りに引き裂いた。反射的に飛び退ってナイフを構える霧矢を一瞥し――今まで静観を貫いていた唯が、凛と声を上げた。


「――カノン!」

「はいにゃんっ!」

 突如、何もなかった空間から人影が飛び出した。ボブカットの茶髪がなびき、霧矢と少年の間に小柄な姿が立ち塞がる。少女は唯にアサルトライフルとハンドガンを投げ渡すと、右手首に装着した腕時計に手を当てる。

「霧矢くん、下がってるにゃ。アディショナルゲノム――縛鎖レッド!」

 宣言し、片手を勢いよく前に出す。刹那、派手な金属音が埃っぽい空気を震わせた。瞬く間に出現した鈍色の鎖が遮るように空間を横断する。太い鎖に行先を塞がれた青年は小さく舌打ちし、鎖を軽く蹴りつけて後退する。重金属がぶつかり合う耳障りな音が響き、太い鎖にバキリとひびが入った。警戒するように片足を引く小柄な少女の視線の先で、青年は飛び出そうとする紫の少女を片手で制す。アサルトライフルを肩から提げ、ハンドガンを腰に差すと、唯は小柄な少女の隣に並び立った。霧矢を守るように片手を伸ばし、毅然と口を開く。

「悪ふざけはほどほどにしなさい。アンタたちに渡したところでロクな扱いしないでしょ? それに長期的な目で見ても悪い予感しかしない」

「君の主観で言われても困るなぁ……」

「主観じゃないわ。アンタたちの今までの所業を見れば一目瞭然じゃない。それに……彼自身の望みを踏みにじって、無駄に縛っていいように制御するだなんてふざけてる。そんなの彼を……ヒトを馬鹿にするにも程があるわ。を目指す私がそれを許すと思わないで」

 凛とした声が廃ビルに響き、霧矢ははっと視線をあげた。割れた窓からうっすらと光が差し、彼女の金髪が乾いた風を受けてなびく。ナイフを握る手から力が抜けかけて、霧矢はその形を確かめるように握り直した。痛む心臓を抑えるように息を詰めるけれど、それは今までのような毒々しい痛みではなく、むしろ――。


「僭称者がいけしゃあしゃあと……くっだらな」

「同感だ。それこそどの口が、だろう」

 紫の少女と軍服の男が吐き捨てる。茶髪の少年は不気味な笑顔を崩さない。唯は彼らを射抜くように見据え、すぐ傍の小柄な少女に声をかける。

「カノン。露払いは任せたわ。『貴女は私の大切な部下。何人も貴女を染めることなかれ』――いいわね?」

「もっちろん! 常務にゃんにお任せあれーっ! ――神官くんと両腕にゃんこのお相手は! こっちにゃんっ!!」

 上司の指示には笑って頷き、カノンと呼ばれた少女は鎖の隙間に飛び込んだ。再び腕時計に手を這わせ、鋭く叫ぶ。

「アディショナルゲノム――結界グリーンっ!」

 宣言し、少女は自らを淡い緑色の結界の鎧で覆う。茶髪の少年の拳を結界で受け止め、合金がぶつかり合うような轟音を立てて弾く。反動で一度後退しつつ、少年は鋭く踏み込んで再び少女に肉薄した。紫髪の少女が合わせてカノンに迫り、眼鏡の青年が短機関銃の引鉄に手をかける。埃っぽい空気に激しく土煙が舞い、鋭い金属音が絶え間なく反響した。

 火花すら上げるほどの戦いを前に、唯はツインテールを翻して霧矢の方を振り返った。マリンブルーの瞳を鋭く細め、静かに問いかける。

「……で、あなたはどうしたいの?」

 マリンブルーの瞳が霧矢を見据える。その色はどこまでも深く、どのような選択も飲み込んでしまいそうで。彼女は彼から目を離し、アサルトライフルの銃口を不気味な少年に向けると、凛と言い放った。

「自分の生き方は自分で決めたい。誰かが決めた価値観なんて知ったことじゃない。正義だの道徳だの良心だの、そんなものは犬でも食わせてやればいい。それが私たちの理念でああり信条よ。――アンタはどうなの? 答えなさい、夜久霧矢!」

 土煙に満たされた廃ビルに、凛とした声が朗々と響き渡った。すぐそこで拳と銃弾と結界がぶつかり合う金属音の中でもはっきりと耳に届く声。霧矢は彼女の言葉を受け、一度強く目を瞑った。処刑場の風景を思い返し、あの日抱いた望みを探り当てる。……こんな力、もう頼らない。こんなものがなくても生きていけると証明する。幼い頃の決意を記憶から引きずり出して、弾むように脈動する心臓にきつく結びつけた。ゆっくりと瞼を持ち上げ、深く息を吸う。


「……ったく。何で、こんなんバッカ」

 吐き捨てるように呟き、彼はナイフを握る両腕からふっと力を抜いた。一歩、二歩と前進し、唯の隣で足を止め――張り巡らされた鎖の向こうを油断なく見据えたまま、口を開く。

「――こんな力に人生振り回されンのはもう御免だ。誰かに決められた生き方なんざ冗談じゃねェよ。他人に利用されるだけが俺の生き様じゃねぇって証明する。そう決めた」

 言い放ち、隣に立つ唯に視線を投げた。きつい形をした三白眼が彼女を刺すように見据える。彼女は不気味な青年から目を離さぬまま、ふっと微笑みを吐き出した。

「……悪くない決意だわ。つまり、うちを選んでくれるのね?」

「誤解するような言い方すんじゃねェよ。消去法だ。向こうの連中に下ったら散々に絞り尽くされる気しかしねェ。ここで逃げてもしつこく追っかけてきそうだし、今ここで両方殺るのも現実的じゃねェ。テメェんとこ選ぶ以外に選択肢ねーだろ」

「そう言ってる割に楽しそうね? どうあれ、うちに来るなら文句はないわ」

 不敵な笑顔が唯の口元を彩る。マリンブルーの瞳が満足げに細められる。彼女はツインテールを翻し、小柄な少女に向けて声を上げた。

「――もういいわ、カノン。戻りなさい」

「はいにゃんっ」

 茶髪の少年と拳を交えていた彼女は、即座に後方に跳んだ。そのまま鎖の隙間に飛び込み、埃を舞い上げながら着地する。今にも飛び出しそうな紫の少女を片手で制し、茶髪の少年は。唖然とした霧矢の表情も苦々しげな唯の視線も気にならないのか、彼は両手を打ち鳴らしながら狂ったように笑う。

「きひ、きひひっ……きひひひっ! そっか、お前はそっちを選ぶっていうのか! きひひっ。面白いじゃん。キーアイテムは簡単に手に入っちゃつまらないよな。……だがなぁ、お前は本当にそれで後悔しないと断言できるか? 正直オレは唯ちゃんのやり方、あんまり好きじゃないけどねぇ」

「ハッ、知るかっての。テメェらに下って絞られるよかマシだろうが」

「どうだかね。……まぁいいや。気が変わってオレのとこに来たくなったらいつでもおいで。来たくなくても折を見て迎えに行くから。早めに諦めた方が身のためだと思うよ? ……唯ちゃんも覚悟決めときな? 勿論そんなことしたくないけど、関係ないお仲間に手を出さないとは限らないからな。そいつ、いつでも差し出せるように準備しとけよ?」

「……私がそう簡単に明け渡すと思うのかしら?」

「きひひっ、唯ちゃんが頑固だってくらい知ってるよ。でも明け渡す気になってくれるように色々考えとくから楽しみにしてろよ? ――武器庫、処刑台。退くぞ」

「……承知しました」

「むー……神官様がそう仰るなら」

 享楽的に笑っていたはずの声は、また冷徹な響きを帯びた。その背後に控える二人が不承不承頷く。青年は唯たちに背を向け、ステージから去ってゆく俳優のように歩き出した。埃っぽい廃ビルの門をくぐり抜け、何気なく振り返る。

「じゃあね、また遊ぼうね。サクリフィ・ア・デストリエル!」

 ――新緑の瞳が無邪気な光を湛え、なのにどこか妖しげに瞬いた。


 ◇◇◇


「にゃーん……なんとかなってよかったにゃん!」

「そうね。『パートシュクレ』のトップスリーが直々に現れるなんて、流石に予想外よ。一応アンタを連れてきといてよかったわ」

「にゃーん」

「よしよし。……にしても何なのかしら。結界グリーンを使ったカノンと互角にやり合うなんてありえない。あいつはそもそも元一般人プレーンの『神官』のはずなのに……いえ、これは後で考えるべきね」

 本物の猫のようにじゃれついてくるカノンをあやし、唯は霧矢に視線を投げた。真紅の瞳が複雑な光を湛えて、青年たちが去っていった方向を見つめている。

「……デストリ、エル」

 妙な違和感を覚える。それは忘れられない名だったはずなのに……何故だか思い出してはならない気がする。苛立ったように舌打ちをすると、腰のホルダーにナイフを仕舞い唯の方に視線を向ける。唯はカノンからそっと手を離すと、彼に向き直った。

「……念のため確認するわ、夜久霧矢。あなたはうちに身を寄せるってことで構わないかしら?」

「ああ、今んとこそれでいいぜ。異論はねェ」

「そう。……それなりの代償を払ってもらう必要はあるけど、覚悟はできていて?」

「今更何言ってやがンだよ。失くして困るモンなんざ俺には大してねーよ」

「本当にそうかしら? ……まぁいいわ。じゃあ一応……よろしく、とは言っておく」

「あ? 誤解するような言い方すんじゃねェ」

 顔をしかめ、霧矢は心の底から嫌そうに吐き捨てた。こめかみの血管がびきびきと音を立てる錯覚さえする。きょとんと目を瞬かせる唯から目を背け、彼は乱暴に言い放った。

「お前のこと、信用したわけじゃねェかんな。それだけ覚えとけや」

「……ふふ、構わないわ。そんなもの、これから勝ち取ればいいだけじゃない」

「はっ。できるもんならなァ」

「私を誰だと思ってるのかしら」

 不敵に笑い、唯はゴシックロリィタの裾を翻した。アサルトライフルを外してカノンに渡し、歩き出す。

「さぁ、そうと決まれば話は早いわ。これからうちのオフィスに来てもらうわよ」

「おう。てめーらには聞きてェことが山ほどあンだよ」

「にゃははっ。霧矢くん楽しそうにゃんねー。奇人変人狂人悪人集団のウチにも割とすぐ馴染めそうにゃんっ!」

「ざけんな! 誰が馴染むかっての。つか俺様が楽しそうに見えンなら目薬さした方がいいぜ」

 じゃれついてくるカノンを払いのけつつ、霧矢は唯のあとを大人しくついてゆく。

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