#3―②


◇◆◇


 幸いにしてメイベル邸におけるクレハの部屋は、庭園などに散歩がしやすいようにか、一階にしつらえてある。本来の呉葉なら地上五階くらいまでなら生身でノーロープダイブを決めても問題なく着地できる自信があるが、このきゃしゃなレンタルボディでいきなりためす勇気がないのでありがたい。

(でも、多分だけど……この感覚が間違いじゃなければ、今の『私』も、前と同じように動ける気がするのよね)

 かくして、メイドほか使用人たちの目を盗み、窓から無事にだっしゅつげた呉葉は、あしあししきないを歩き、へいを探していた。

(それにしても広い家……。テレビ番組とかでやってる、セレブのごうていほうもんしてる気分)

 庭木に水やりをする庭師の目を盗んでは、池や小川に橋までかけてある広い庭園を抜け、丸くトピアリーにまれたえんめいとっし。あっちこっちをさまよううちに、どうにか敷地のはしおぼしき高いてっさくまでたどり着くことができた。

(高さは三メートルってとこかな。前の私なら、楽にえられる程度のものだけど……うん。腹をくくって、いっちょ試してみますか)

 準備運動に軽くくっしんした呉葉は、せんたんぼうはんようけんまでついた鉄柵を見上げた。

 さらに、周囲をわたしてだれの目もないことを再度確認すると、ドレスをいで下着姿になり、服一式を丸めて柵の外に放り投げる。こちらは下着も仕様がっていて、パンツなんてひざたけまである、「もうこれだけ穿いてりゃズボンってことでいいんじゃない?」というひらひら付きのしろものだ。ドロワーズというらしい。

 ドロワーズとシュミーズという、テオバルトが見たらそっとうしそうなあられもない格好のまま、いったん柵からきょを取る。そろそろかな、というところでくるりと柵に向き直り、全速力で助走をつけると、勢いよく地をった。

「!」

 やった。──思ったとおりだ。

 呉葉は軽々と宙をい、指は鉄柵の上部をつかむ。

 そのまま柵を飛び越えると、がらな体は、ストンとれいに地面に着地を決めた。

「身体、かっる!」

 が少なすぎて思わずバランスをくずしたものの、自分の手足を確認しても、どこも痛めている様子はない。

 はっしつつ元通り衣服を身に着けながら、呉葉は結論づけた。

(どういうくつかわからないけど、私本来の骨密度とか筋肉量とか、このほそうでの中に全部収まってるみたい……)

 肉体はたましいげん、だっけ……。呉葉は、テオバルトの言葉をはんすうした。

 つまり、今の自分はかつての肉体のきょうじんさをたもちつつも、見た目はひ弱なこうしゃくれいじょうクレハのまま、と。外装こそはっこうの美少女だが、中身は経験実力技術合わせて、二十九歳の鳴鐘呉葉そのものというわけだ。

かんがすごい)

 しかし健康なのは感謝すべきだ。身長や体重は如何いかんともしがたいので、地道に今の視野や間合いなどにんでいくしかないが、さほど時間はかからないだろう。

(こういうのは習うより慣れろってね)

 まだまだ日は高い。テオバルトが戻ってくるまでには帰宅しておかねばならないとはいえ、柵で囲まれているしょならどこからでも入れることが判明したのだ。

(まずは市街地の見学に行こうかな! ひとつでも多くこの世界のことを知らないと)

 こうして晴れて自由の身となった呉葉は、ようようと邸を後にしたのだった。


◇◆◇


「うわっ、ほんとにファンタジーだ……」

 というのが、市街地に着いた呉葉のいだいた第一印象だ。

(すごい。ヨーロッパ風のRPGゲームの世界に入り込んだみたい……)

 そして、おそらくは豊かでへいおんなのだろう。

 さいな装飾がほどこされた石造りの家々には、どこもベランダにいろどあざやかなはなかごが置かれ、街路樹なども整備されて、全体的に手入れの行き届いた街だという印象を受けた。

(あ、市場がある。海外に出た時はスーパーマーケットをのぞいたら現地の生活事情がわかるっていうよね。よし、行くか)

 思い立って足を向けた先。

 色とりどりの天幕の張られた市場には、アジやヒラメなどお馴染みの形状の魚のみならず、きばのあるニワトリや三本角のヤギなどめんようちょうじゅうの肉などもるされていた。

 市場には、通りごとにそれぞれ専門があるらしく。スパイシーなにおいを放つ肉料理の屋台がのきつらねる食堂街、パン屋ばかりひしめき合って小麦の焼けるこうばしさに満ちた路地、衣装や装身具などをあつかう店ばかりのエリアもあって、なかなか興味深い。

 特に気になったのはとうけんかっちゅうなどの武具を並べてある筋だが、「さいも持っていないのに冷やかすのも……」としりみして入るのは断念してしまった。そもそも財布どころか、この国の通貨も知らないし、買い物の相場もわからない。看板や値札は読めるので、それぞれの品物と価格を見比べながら地道に勉強していった。

 街は全体的に赤いれん造りで、かつ立体的な構造をしている。はばせまい階段や細い通りが複雑に入り組んだ先は広い大通りにつながり、さらに進めば泉のある広場も見えた。

 エーメという王国の中で、ここが首都なのか地方都市なのか、どちらにせよかなりのにぎわいだ。きわきに、空を見上げれば信じられないものまでいている。

(ええ!? し、島が浮かんでるー!? どう見ても雲とか飛行船じゃないよね!?)

 本当に魔法の世界なのだ……と。きょじんが海から引っこ抜いて放り投げたように、大きなうきしまそうきゅう彼方かなたただよっている光景を見上げつつ、呉葉はあんぐり口を開けた。ひょっとしたら、探せばドラゴンなぞもいるのかもしれない。さても遠くに来たものだ……。

 ものめずらしさにあっちを見たりこっちを見たりしながらふらふらしているうちに、呉葉はいつの間にか、うすぐらい裏路地に入り込んでしまっていた。

(……いちおうこういう場所もあるんだなあ。それはどこもいっしょか)

 残飯やゴミがいしだたみの路上に散乱し、うすよごれたものいがみちばたひざかかえている。

 この街のあんはいいようだが、日本の都会の地下道などでも似たような光景はたびたび見かけるので、やはりどこに行っても物ごとには表と裏があるものかもしれない……などと、かんがいぶかく思いながら、呉葉が来た道を引き返そうとした時だった。

「離してください!」

 道の奥まったところから、悲鳴のような声がひびき、呉葉は足を止めた。

「いきなり何するんですか! あたし、先を急いでいるんです……!」

「へへ、急いでるんですぅ、だってよ。聞いたか?」

可愛かわいいじゃねえか。おいおい、そう焦らずに待てって」

「いいだろお嬢ちゃん。ちょっとくらい。なあ?」

 かんだかきょぜつは若い女性のもの。それにからむのは、タチの悪そうな男たちの声である。

(……え。そんなお約束な)

 ぎくりとしつつ、呉葉がそちらに急ぐと、案の定の事態が展開していた。

 見るからにごろつきらしい、スキンヘッドだったりいれずみを入れたりのきんこつりゅうりゅうの集団が、まちむすめ風のよそおいの少女を取り囲んでゲラゲラと笑っている。

 男たちは、かわるがわる少女の肩や背をいてはりのように行き止まりに追い込むと、「今日のは当たりだな」とこれまたいかにもな悪人の台詞せりふいた。

(まずい。早く警察に……っているの? ここ)

 治安がたもたれている以上、警察組織にがいとうするものがあるとしても、呉葉には判別がつかない。探しているうちに、彼女が取り返しのつかない目にわされるねんもある。

 ダメしに、男たちに囲まれた少女のすすり泣きが響いてきた。

(しょうがない!)

 この時点で、早々に呉葉は覚悟を決めた。本物のクレハちゃんごめんなさい。返却までできるだけていねいに扱う予定だったけれども、さすがにこれは見過ごせない。

(とりあえず五人、こしにナイフ下げてるのが一人。目視できる位置に飛び道具の装備はなし。要注意事項として、魔法とやらを使ってくるかどうか。あとは私の服だけど……動き慣れてきたし、きっとだいじょう

「あんたたち、何やってんの」

 少女の服をごうとする男たちの手を、声をかけて止める。

 男たちは振り向き、呼びかけてきたのがとしもいかない少女だったことにおどろいたのか、いっせいに妙な顔をした。おまけに、明らかに身なりのいいごれいじょうといったぜいなのだ。

 全員のげんそうな視線を受け、呉葉はあえてニコリと微笑ほほえんでみせた。

「やめなよ、その子いやがってるでしょ。いい年こいたおっさんたちがそろいも揃って。発情期の犬でももっとれいわきまえてるわ。見ているこっちがずかしい」

 ちょうはつてきな台詞を投げつけると、たんに男たちはしきばんだ。

「へえ? お嬢ちゃんが代わりに相手してくれるって?」

 手前にいたスキンヘッドの男がた調子で問いかけてきたので、ニッとうすみを唇にいた呉葉は、「その子を放してくれたらね」と応じてみせた。

 おん便びんにそっと邸を抜け出して、適当に散歩したら戻るだけのはずが、こんな事態になってしまって。本来ならば苦々しいここを味わうべきなのは、重々承知しているのだが。

(はー、我ながらしょうがないなあ)

 呉葉はため息をつく。

 否定できないことに、──期待とこうようで、血がさわぐのだ。


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