神の領域、七種・雨音

第9話


 翌日。

 必然的に紫桜と生市は、二学期の修了式に一緒に登校することになった。

 今までほとんど接点らしい接点もなかったのに、急に一緒に登校する二人の姿は、流石に学校中の話題になったものの、結局学校にいる間はいつものように話をすることもなかった上に、昼前には修了式もあったため、すぐにその噂は立ち消えになった。

 二週間の休みを挟み、これで中学生活は最後になる。

 そして、三学期に入れば後はほとんど受験に時間を取られ、そのまま卒業する。

 そうすれば、二度と紫桜と生市は合う事は無くなるだろう。

 だが、それは、紫桜にとってある種の拷問に等しいものだった。

 自分では到底及ばない実力と才能を持った碁打ちがいて、それが決して自分の届かぬ高みで今も研鑽を積んでいる。

 それを自分は知りながら、何一つとして手を出せずにいる。

 その事実が、プロ棋士たる、あるいは一碁打ちとしての立花・紫桜のプライドをひどく刺激してならなかった。

 その思いが、その日一日中、頭の中で堂々巡りを繰り返しており、気づけば紫桜は昨日の生市の家にいた。

 友達でもなければ、部活の仲間と言う訳でもない。偶々一度だけ訪れただけのクラスメートの家。

 それなのに気づけば家にいるということに、我ながらストーカーじみて気持ち悪いと思う。

 インターホンのスイッチを押すと、扉越しに微かに女性の声が聞こえ、玄関のドアが開いた。

 すると、玄関から出てきたのは、囲碁部の部長を務めている紫だった。


「あれ?立花君じゃない。どうしたのこんなところで?」


「い、いや。その、昨日のことで亘にちょっと聞きたいことがあって……。それより何で、桐藤さんがここに?」


「私はほら、幼馴染特権って言うか、部長命令って言うか?合鍵を作ってもらって、それを貰っているのよ。でもま、いいわ。上がって上がって。そんなとこにいても寒いだけだしね」


 言われるままに亘家の平屋に上がると、暖房の利いた部屋に、パチパチと碁石を打つ音がしていた。

 一瞬、生市がいるのかと思い、心臓の音が早鐘のように鳴ったが、平屋にいたのはもう一人の囲碁部の部員、常盤・若葉だった。

 碁盤に向かって碁石を打ち続けていた若葉は、こちらを見るなり、ぺこりと小さく頭を下げると、再び視線を碁盤の上に戻し、そのまま碁石を打ちづけた。

すると、そんな若葉の様子に、紫桜の後ろから入ってきた紫が深々とため息をついた。


「もー、ワカバったら、せっかく大ファンだって言うシオくん来たんだから、少しは愛嬌よくしなって」


「……別に、ファンじゃないし」


 紫からの不躾な言葉に、若葉は言葉少なにそう返事した。

 少しすねたような態度でそう言う若葉に、紫はもう一度深々としたため息をつくと、紫桜を振り返った。


「それで?シオくんはどうしてここに来たの?確か、昨日ショーイチと一緒にここに来て、南斗の神様の碁を観戦したんでしょ?それ以外に何か用があったの?」


 小首をかしげながらそう質問する紫の言葉に、紫桜は思わず視線を逸らして黙り込んだ。

 何でここに来たのか?それは自分が一番よく分からなかったからだ。

 敢えて言えば、生市との碁を打つことが目的のような気もするが、それならば、わざわざこの家まで足を運ぶ必要はない。

 連絡先を交換するなり、アプリを使って対戦するなり、手段はいくらでもある。

 それなのに紫桜はそう言う、直接的な手段を使う事もなく、ただ何となく生市とは話しそびれてしまい、いつの間にかここまで足を運んでしまった。

 そんな自分の心の動きもどう表現していいか分からず、只すねた子供のように黙り込むことしかできなかった。

 しかし紫は、そんな紫桜の態度に「しょうがないわね」と、笑いながら呟くと、ちゃぶ台の近くに置いてあった鞄の中から、一冊のバインダーを取り出して紫桜に差し出した。


「とりあえず、これ渡しとくわ。私たちの部のこれまでの対局をまとめた棋譜。勿論あのバカのこれまでの対局も残っているから、興味あるなら目を通すといいわ。代わりにその気になったらで良いから、ワカバと碁を打ってあげて」


「……だから私は、別にファンという訳じゃ……」


 紫の言葉に若葉が咄嗟に反応すると、そんな若葉を見て紫はにやりと笑いながら若葉を見た。


「あれえ?私は別にワカバがシオくんのファンかどうかは言ってないわよ?それとも何?そんなにシオくんと碁を打ちたかったの?」


 若葉は思わず紫の言葉に顔を赤らめると、そのまま黙り込んでしまった。

 そんな二人を見ながら、ふと紫桜は疑問を口にした。 


「……そう言えば、紫さんは亘と一体どういう関係なんですか?どうやら相当に親しい間柄の様子ですけど……?」


 すると、そんな紫桜の疑問に紫は快活に笑いながら答えた。


「そりゃあ、あれよ。幼馴染ってやつ。まあ、あんな馬鹿を相手に付き合い切れるのは、私くらいだしね」


 しかし、そう笑いながらも、紫はふと遠くを見るような目をすると、昔を懐かしむような、あるいは何か悲しむような、そんな顔で微笑んだ。


「まあ、それ以外だとヒーロー……かな?」


 そう言う紫の言葉に釣られて、紫桜も紫の言葉を繰り返してしまった。


「ヒーロー……?」


「そ、ヒーロー。ま、そんなこと言ったらアイツは絶対調子に乗るから絶対に言わないけどね。シオくんもこれは黙っていてね?」


 まるでいたずらっ子のように笑う紫のその表情は、その手の感情に疎い紫桜ですらも思わず頬を赤らめてしまうほどに美しく、何故か慌ててその視線から顔を逸らしてしまった。


 その時だった。


「おう。誰かいんのか?」


 そんな声が玄関先から聞こえ、無遠慮な足音と共に生市が、紫桜たちのいる部屋に顔を出した。

 すると、生市は部屋の中にいる紫桜の姿を見るなり、露骨に眉をしかめると、うげッと言いながらちゃぶ台の傍に座り込んだ。


「おいおい立花。何またこんなとこに来てんだよ。お前の言う通り神様の碁を見せてやったろう。ここにまだ何か用があるのかよ。ってか、お前帰らなくてもいいのかよ?昨日ここに泊まってから家に顔だしてねえんじゃねえのか?」


 生市の指摘に紫桜は、大丈夫と言い返した。


「これでも一応プロの囲碁棋士だからね。家を留守にすることは何度もあるから、とりあえず電話だけ入れとけばいいから。それより、君の方こそ何でここに来るのに送れたんだい?」


 すると、紫桜から質問された生市は、あー。と面倒くさそうに口を開けると、頭を掻いて投げやりに応えた。


「なんつうか、あれだ。悪霊退治だ。町に住みつている悪霊を退治してきたんだよ。俺は一応、神に仕える一族の末裔だからな。それより何?お前、俺のことを追ってきたの?」


 生市からの質問に、紫桜はしばらくの間黙り込むと、やがてゆっくりと口を開いた。


「君もそうだったけど、南斗の神様は、とてもすごい碁の打ち手だった。本当に、本当にすごい碁の打ち手だった。僕自身、プロ棋士として幾つもの強敵を相手に戦ってきたし、そのトップの戦いを目の前で何度も見てきた。でも、その戦いのどれもが、君たちの一局にはかなわなかった」


「だから、北斗の神にも会ってみたい、か?」


 紫桜の言葉を引き取ってそう言う生市に、紫桜は静かにうなずいた。

 そんな紫桜を見て、生市はカラカラと笑い声をあげた。


「ま、そうだと思ったし、言っても無駄だと思うけど、一応言っとく。やめとけ」


 ちゃぶ台に肘を付きながら、生市は紫桜を見上げて言った。






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