[6-2]楽譜に苦悩する退魔師とあやかしの力

「来月の月夜見つくよみ祭。うちのクラスではコーラス合唱をすることに決まりました!」


 授業が終わった帰りのホームルームの時間、河野かわの先生は弾んだ声でそう宣言した。


 予想は当たっていたみたい。

 クラスのみんなはノリが良く、それぞれ歓声をあげたり拍手したりしている。雨潮うしおくんをのぞいて。


 ただ、不満の声がまったくなかったというわけじゃなく。当然、ブーイングをあげる子もいた。


「えー、あたしバザーが良かったなあ」

「ごめんなー。俺もバザーが良かったんだけど、抽選で外れちゃってさー。まあでも河野かわの先生もいるし、みんなでステージ立つのも悪くないんじゃね?」


 そう言ったのは月夜見つくよみ祭の実行委員会に入っている子だった。

 歌は好きだけれど、みんながみんなコーラスに賛成するわけがない。演劇がよかったり、バザーがしたかった子だっている。

 みんな口々に思ったことを言っている。教室いっぱいに話し声で満ちていく。

 そんな空気を入れ替えたのは、先生の柏手だった。


「はいっ、おしゃべりはそこまでよ。時間も限られていることだし、さくさくいくわよ。まず、歌う曲だけど——」


 先生の声って穏やかだけれど不思議と教室ではよく通る。自然とクラスのみんなが耳を傾けていく。

 説明していき、印刷された楽譜が前の席からまわってきた。

 受け取ってから、ふと昨日の雨潮うしおくんを思い出した。焦ったような困惑したような、そんな表情で先生と久遠くおんさんを追いかけて行ったんだっけ。


 そっと隣を見てみる。

 普段無表情に近いその顔は眉間のシワが刻まれていて、明らかに不機嫌そうだった。




 ☆ ★ ☆




 先生は普段の授業でわたしたち生徒の声を把握していたみたい。手早く四つのグループの分けていった。

 女子はソプラノとアルト、男子はテノール、バスへと。パートごとに分けてそれぞれ練習していき、最終的にみんなで合わせて練習していくという方向みたい。


 わたしはソプラノだった。

 先生が選んだ曲は最近の流行りのもので、クラスの大抵の子はみんな知っていた。きっと先生がわたしたちが楽しみながら歌えるものを考えて選んでくれたんだと思う。

 歌声にみんなの笑い声が混じっていく。まったく知らない曲ではないし、わたしも歌うのがすごく楽しみになってきた。


「あ、高すぎるかも。ひとつ音を落とした方がいいよ」


 ラジカセから流れる音を聞きながら歌っている途中で、ふと気になって言葉を挟んだ。指摘したらクラスメイトのひかりちゃんは嫌な顔をせず、むしろ目を輝かせてくれた。


「そっか。ありがとー! 紫苑しおんって楽譜読めるから頼りになる」

「そ、そう? わたしも役に立ててうれしいかな」


 小さい頃から楽譜を読みピアノを弾いていたことが、意外なところで役に立てるなんて。

 勉強はそこそこ、運動は全然だめ。取り柄の少ないそんなわたしが得意なことで認められ、褒められるのはすごく嬉しかった。


 同じ半妖でも、雨潮うしおくんは全然違う。

 彼はいわゆる文武両道ってタイプで、勉強も運動も完璧だ。少し前の体育祭の時だって学校の誰もが息を呑むくらい活躍していた。音楽が苦手なのは意外だったけれど。

 雨潮うしおくんは男子に混じって今も練習しているはず。

 そっと視線を移してみると、眉間に皺を寄せたあの不機嫌そうな顔で楽譜と睨めっこしていた。やっぱり苦戦してるみたい。


 助けになってあげたい気持ちは少しあるけれど、わたしは今になって大切なことを思い出した。

 そうだ、放課後に河野かわの先生と久遠くおんさんにピアノの演奏を聴いてもらうことになってたんだった!


「あっ、ごめん。わたし河野かわの先生に音楽室に来るよう言われていたんだった」

「え? そうなの? だったら早く行った方がいいんじゃない?」

「うん、そうする! みんなは練習してて」


 久遠くおんさんはわたしの能力がどういう仕組みであやかしたちを癒やしているのか見極めてくれるって言っていた。

 先生はピアノの演奏を見てくれるのかしら。授業でも先生自身もよくピアノを弾くし、もしかしたら上手な演奏の仕方を教えてくれるのかもしれない。ちょっと楽しみかも。


 教室の引き戸を開けて、胸を弾ませながら廊下に出た。そのせいか、背後から近づくひとに気付かなかった。


三重野みえの

「きゃあっ」


 心臓が大きく飛び跳ねそうになった。ふいにがしっと肩をつかまれて、思わず悲鳴をあげた。

 おそるおそる振り返れば、そこには見覚えのあるひと。雨潮うしおくんが立っていた。焦燥に駆られたような、余裕のない表情だった。


「びっくりした。どうしたの、雨潮うしおくん」


 たぶん走ってきたと思うのだけど、万年運動不足なわたしと違って雨潮うしおくんは少しも息を切らしてなかった。なのに、尋ねてもすぐに返事をしてくれない。

 一体、どうしちゃったんだろう。

 そんな疑問が頭に浮かんだ頃、かすかな声がぽつりと聞こえてきた。


「……くれ」

「え?」

「……楽譜の読み方を、教えてくれ」


 雨潮うしおくんが。普段自分からあまり話しかけない、寡黙であまり愛想がいいとは言えない、あの雨潮うしおくんが、頼み込んできた。

 彼が誰かに頼む姿なんて見るのは初めてなんじゃないかしら。


 たぬきくんの事件がきっかけで雪火せっかと仲良くなってから、雨潮うしおくんはクラスの子ともそれなりには話すようになって、ここ最近学校にも打ち解けてきたと思う。

 そりゃあ昨日の喧嘩はビックリしたし、後でちゃんと謝っていた。もしかしたら彼は雪火せっかとだけでなく、みんなと仲良くなりたいのかもしれない。

 雨潮うしおくんとは色々あったしこわいという気持ちはまだ抜けないけれど、わたしとしても仲良くなりたい。同じクラスだし、なにより彼はわたしと同じ半妖なのだから。


「うん、いいよ。今からちょうど音楽室に行くし、一緒にピアノの音を聴きながら練習してみない?」


 ラジカセから流れる音源と耳で直接聞くピアノの音はやっぱり違うと思うの。

 本番はピアノの演奏を聴きながら歌うわけだし。音程を取るのに、少しは役に立てるかもしれない。


 雨潮うしおくんはうなずいて快諾してくれた。せっかくだから二人横に並んで歩きながら、音楽室に向かうことにする。

 だからと言って、わいわいおしゃべりをするというわけでもなく、お互いにずっと黙ったまま。

 放課後はクラスそれぞれが月夜見つくよみ祭の準備に追われているらしく、廊下にまで賑やかな声が聞こえてくる。


 ふと、わたしはなんとなく雨潮うしおくんをそっと観察してみた。大した理由なんてなかった。


 金属みたいな光沢をした短い銀髪と赤い宝石みたいな両眼。髪と目の色だけ見ると日本人離れした容姿だと思いがちだけれど、鼻が低くて日に焼けた肌はわたしと同じ日本人っぽい。

 普段から刀を振るうせいなのかな。筋肉がしっかりとついていて、アルバくんに劣らないたくましい腕をしている。


 退魔師は悪いあやかしを退治するのが仕事だと、前に雨潮うしおくんは言っていた。


 前に雨潮うしおくんの一太刀はアルバくんを黒く染め上げた。どうして、彼の刀が邪気をもっていたのかわからない。けれど、それはアルバくんの言葉を借りれば、雨潮うしおくんが妖力に怨念——あやかしを強く憎む気持ち——を込めているということらしい。

 そもそも邪気はあやかしには持ち得ないもので、人間の悪い感情が源になっているんだって。だからアルバくんは人間の悪い夢を食べ続けると黒くなってしまうみたい。


 雨潮うしおくんが使う力はあやかしのものなのか、それとも退魔師のものなのか。わたしにはよくわからない。

 けれど、妖刀を持って戦えるってことはあやかしの血を継いでいるってことだよね。


 久遠くおんさんはわたしにも妖力があるって言っていた。でもわたしは刀を出せたことなんて一度もない。

 わたしと同じ半妖である雨潮うしおくんなら、どうやって妖刀を出せるようになったのか知っているかもしれない。


「ねえ、雨潮うしおくん。聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「なんだ?」

雨潮うしおくんはどうやって妖刀を出せるようになったの?」


 たぶん、わたしは聞いてはいけないことを聞いてしまったんだと思う。


 ガラス玉みたいだったくれないの瞳が変化した。

 急に立ち止まり、雨潮うしおくんは目を見開いてわたしを見た。大きく揺れるその瞳は明らかに動揺していた。


「なぜそんなことを聞く?」

「だって、わたしもぬえ討伐の役に立ちたいもの。久遠くおんさんはわたしにも妖力があるって言ってたわ。だから妖刀もがんばれば出せるかなって思ったの」

「……あのカラス、余計なことを言いやがって」


 小さな舌打ちが聞こえたような気がした。

 思いつきで聞いてはいけないことだったのかしら。でも、雪火せっか雨潮うしおくんもアルバくんもがんばってるのに、わたしは見てるだけっていうのも納得いかない。


 答えを待っていると、雨潮うしおくんは観念したかのように深いため息をついた。

 くれないの双眸がわたしの顔を見返してくる。


三重野みえのに妖力があるのは本当だ。けど、俺としては別に妖刀を出せなくていいと思っている」


 やっぱり、久遠くおんさんの言う通りわたしにも妖力があるんだわ。雨潮うしおくんは知っていたんだ。


「どうして? みんなが鵺に立ち向かおうとしてるのに、わたしだけ見てるだけなのは申し訳ないわ。雪火せっかだって手伝ってるのに」

雪火せっかは魔法が使えない魔女で、普通の人間だ。憑いている九尾きゅうびが規格外な妖怪だから心配いらないが、お前と同じく戦う術は持っていない。だから三重野みえのだって無理して妖刀を持たなくていい。相手が妖怪でも、誰かを傷つける武器を使うのはお前には無理だ。それに、」


 不自然に言葉が切れた。

 少し視線を落とした雨潮うしおくんはいつもと違っていた。まるで辛いのに痛みを我慢しているような顔だった。


三重野みえのはまだ〝覚醒〟していない」

「覚醒?」


 聞き返すと雨潮うしおくんはうなずいた。

 瞳を細め、真顔でわたしに向き直る。いつになく真剣な雰囲気に飲まれそうになる。


「……お前には、教えるつもりなんてなかった。言葉にすると現実になりそうな気がしたから」

「どういうことなの?」


 決然たる態度で雨潮うしおくんはわたしをまっすぐに見据えて、こう告げた。


「最悪の事態を避けるためにもはっきり言っておく。俺としては、お前に〝覚醒〟を勧めることは絶対にできない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る