第2話 職員室

 陽気な昼下がり。

 翔太は何気なく、職員室の窓から空を見上げる。室内にいることがバカバカしくなるほど、青々とした空が広がっていた。


「おい、鬼灯。教師の手前だ。少しは緊張しろ」

「なずなちゃんを相手に緊張するのは無理。それに昨日は霊障駆除実習で、夜遅かったから眠気で集中力もない」


 翔太はこみ上げてきた欠伸を噛み殺し、目尻に滲んだ涙を手の甲で拭う。

 それから女性の声が聞こえてきた方に視線を戻す。

 放課後ということで、部活の顧問を務めている教師の姿はなく、閑散としている職員室。翔太の視線の先には、椅子に座るというより、乗っかっていると表現した方が、しっくりくる小柄な女性――玄谷げんやなずながいた。

 自称身長は百四十三センチ、推定身長百三十八センチ。

 小柄な体躯と幼い顔立ち、ボブカットの相乗効果で、どう頑張っても中学生以上には見えないが、成人済みで神咲かみさき学園で教鞭を振るっている。

 和服と白衣という奇異な格好でなければ、学園の生徒でさえ、迷い込んだ中学生と間違える。私服で街を歩けば、五分以内に警察が補導しにくる。

 それが玄谷薺という女性だった。

 ただし、見た目に反して性格はガサツで男勝り。年がら年中、幼く見られた結果、荒んでしまったのだろうと生徒たちは噂している。

 

「あまり舐めた事言うと、霊実を再試にするぞ」

「マジっすか。あー、でも臨時収入が増えることを考えたら、悪い話じゃないな。再試で一人なら、報酬も独り占めでウハウハでいいじゃないっすか」

「……チッ、これだから霊実で死にかけたことのないヤツは。危険度の高い霊障にあたったことあるヤツなら、即座に謝罪するんだがな」

「なずなちゃん、それは職権乱用じゃないの?」

「教師と生徒の立場の違いを指導してやっただけだ。教師らしく振舞っただけで、職権乱用と言われる覚えはない。あと、ちゃん付けはヤメろと、いつも言ってるだろ」

「なずなちゃんは、なずなちゃんが、一番しっくりくるんだよ。別に舐めてるつもりは全然ないよ」

「しっくりくるこないの問題じゃない。教師と生徒、立場というものがあるだろう」

「女子生徒に結構ちゃん付けで呼ばれてるよね。それは注意しないの?」

「あいつらは、アタシを姉の様に慕っている。だから有りだ。だが鬼灯、お前はダメだ。いまいち慕ってる感が薄い」

「うわ、それは差別だよ。俺もなずなちゃんを慕っているのに。まあ、なずなちゃんから威厳とかは感じ――」

「あぁ?」


 低い声とともに、薺の大きな瞳が鋭く細められる。彼女の視線が物理的な圧力を伴って翔太を射抜く。

 職員室の蛍光灯がチカチカと点滅し、周囲の物がガタガタと音を立てる。

 さらに、薺の琥珀色の瞳が淡い燐光を帯び始める。それを見て翔太は「ヤバい」と心の中で呟く。

 感情に呼応して、周囲に影響を与えるような異能者は、内包する異能力が桁違いである証拠だ。

 現に、薺は若手でありながら三桁の式神を同時に使役する協会トップクラスの異能者だ。並みの異能者であれば、五体も式神を使役するだけで許容量不足キャパシティオーバーになる。常日頃から式神を彼方此方に常駐させ、学園および近隣の巡回を行なっている彼女の異能力は桁違いだ。

 ちなみに薺の式神の大軍から繰り出されるオールレンジ攻撃は『破壊神の降臨』と称され、協会では恐怖の代名詞になっている。


「ちょ、ちょっと口が滑りました。今の発言は聞かなかったことにしてください」

「自分の非を素直に認められるのは美徳だ。霊実の評価、マイナス一点で勘弁してやる」

「ありがとうございます」


 恭しくこうべを垂れる翔太。

 霊障駆除実習は、駆除に成功すると八割の点数が貰えるのでマイナス一点の減点は、評価に影響しないレベルのペナルティだ。

 ふん、と薺が鼻を鳴らすと、職員室に日常が戻ってくる。


「で、だいぶ話がそれたが、職員室ここに呼び出された理由はわかる?」

「……いや、わからないです。霊実は問題なく・・・・クリアしたし、ここ最近は暴れた記憶もないので」


 翔太の脳裏に一瞬、タカマサのことが浮かんだが、口に出すことは憚れた。

 薺は翔太の様子にピクリと柳眉を動かしたが、特に追求はしなかった。


「アタシが霊実の記録云々のために、式神を生徒に同伴させているには知っているよな?」

「はい、事前の説明で聞いてます。公正さと安全のためだと」

「不正をする生徒は稀だが、霊障の規模が想定を超えることは多々ある。生徒の手に負えない規模になることも年に一、二回はある。

で、鬼灯を呼び出した理由はコレだ」

 薺は右手の手のひらを上に向け、翔太の方に突き出す。

 一呼吸置いて、手のひらの上の空間に映像が映し出される。

 それは、昨晩の翔太と梓の霊障駆除実習の様子を式神が記録した映像だった。光量が足りないのか、モノクロだが梓が翔太の腹に一撃叩き込んだシーンが綺麗に撮られていた。

 翔太は額に手をあて、薺は嘆息する。言葉はないが、彼女は状況を察しているようだった。


「なぜ、神代かみしろは鬼灯に一撃を叩き込んだんだ? セクハラでもやって手痛い仕返しをもらったのか?」

「セクハラとかしないって、玄谷先生はわかってるしょ。どこをどう見ても俺は被害者。俺を呼び出すくらいなら梓を呼び出して問い詰めてくださいよ」

「すでに呼び出し済みだ。神代は鬼灯が絡まなければ、見た目通りの優等生なんだけどな。鬼灯が絡まなければ」

 薺は大げさなため息をつきながらガックリと肩を落とす。

「いやいや、俺のせいじゃないですよ」

「自信を持って断言できるのか? 神代の普段の姿をよく知っているくせに、断言できるのか?」

「……すみません」


 翔太は、薺の大きな瞳に見据えられ、素直に謝ってしまう。

 梓は、翔太がそばにいるといないでは、行動が大きく変わる。

 翔太のいない梓の学園生活は、特にやることがなければ、教室や図書室で勉強や読書で時間を潰す。口数も少なく、声を荒げたり、馬鹿笑いをすることもない。

 何も知らなければ、育ちの良いお嬢様。深窓の令嬢と言われても違和感がない。

 しかし、翔太が絡むと途端に行動が極端になる。翔太に敵対する存在は、塵芥に変えても罪にならないと本気で思っているからだ。


「鬼灯が絡んだ時の歪みきった思考回路さえなければ、どこに出しても恥ずかしくない生徒なんだがな。ちなみに神代にさっきの映像について尋ねたら『翔太がいきなりプロポーズしてきたので、どうしていいのかわからなくなって、一撃叩き込んでしまった』と恥ずかしそうに頬を染めながら答えたぞ」

「いやいやいや、明らかに嘘ですから。真っ赤すぎる嘘ですよ。つーか、音声でバレるでしょ」

「すまんな、鬼灯。神代がいれば、天災級の霊障でも起きない限り問題ないと思って、式神を省エネモードにしていたんだ。音声は一切録音していない。映像がモノクロなのもそのせいだ」

「……職務怠慢じゃないですか、玄谷先生」

「最大使役数が多いせいか、一度に十数体の式神を操ることは簡単だと勘違いしているバカがいる。式神は単純な動作をさせるだけならアタシは二百五十六体くらい操ることをできるが、監視とか複雑なことをさせると一体でも疲れるんだ。霊実で何かトラブルが起きれば即座に対応が必要になる。つまり何処かで手を抜かないと、いざという時の余力が無くなるんだ」


 腕を組み、ウンウンと頷く薺。

 動きに合わせてサラサラと揺れる髪が愛らしさを増幅し、翔太の抗議する気力を削ぐ。


「ぶっちゃけ神代が真面目なことを口にするとは端から思っていない。映像から念のために神代を先に呼び、ダメだったので鬼灯を呼び出した。鬼灯が異能力ちからを使おうとしたから、神代がとっさに止めた、というのがアタシの予想だ。違うか?」

「その通りです。わかっているなら、最初からそう話してくださいよ」

「予想通りか、つまらんな。神代が口にしていることが真実という可能性がゼロじゃない可能性に賭けていたんだがな」

「そんな可能性はゴミ箱に叩き込んで、不燃物で処理してもらってください。わかってんなら、わざわざ呼び出すとか面倒なことをしないでくれよ」

「面倒でも、ちゃんと手順を踏むのが教師というものだ。アタシはちゃんとした教師だからな」


 グッと親指を立てて、ドヤ顔になる薺。

 教師の威厳とか、大人の貫禄とか、一切なく、ただただ可愛いだけだった。


「とりあえず、用件はそれだけですか?」

「そうだな。あぁ、そう言えばキナ臭い話が協会から回ってきたな。『人類解放軍』という秘密結社の活動が活発らしい。魔術師寄りか、超能力寄りか、不明らしい。ただ『神降之儀かみおろしのぎ』に絡んでいた連中がいそうだと言っていたな」

「……関係者は全滅したんじゃなかったんですか?」

「協会が公表した調査結果では全滅。上位の存在に触れ、その場にいた関係者は消えた、と最終的にまとめていたな。だが、『アレ』に喰われると存在が消える。正確に誰が参加していたのか、調べることが出来ないからな。喰われたヤツは、例え肉親ですら忘れてしまうからな。いや、忘れてしまうは違うな。最初から存在していないことになるから、肉親という事実も無くなるか」


 タカマサが”世界喰い“と表現した、人知の及ばない存在。

 翔太の内側に巣喰い、眠っているとされる存在。


「……中心にいた霧島家は?」

「霧島家か。前にも言った通り、いつ・・絶家したのかわかっていない。鬼灯と神代の話から五年前は霧島家の人間が神降之儀を取り仕切っていたと推察されるが、十年以上前に当主を失い、霧島家は血が途絶えている。お前たちが嘘を言っているとは微塵も思わないが、計算が合わない」


 薺の言葉に翔太は唇を噛む。

 当時、十歳前後の翔太と梓の証言を「大規模な実験の被験体になったため、記憶が錯綜している」と協会から派遣された調査官エージェントは断言した。

 唯一、薺だけが二人の証言を真実とし、色々と手を尽くして調べてくれた。


「もし、『人類解放軍』とやらに、神降之儀に関係する連中がいるのであれば、十中八九、鬼灯に目をつけるはずだ。超能力を使うことを躊躇していられなくなるぞ。最後に大きく超能力を使ったのは、三年前の『朱い聖夜』か?」

「そう、ですね。七割以上の出力で異能力を使ったのは、それが最後ですね。一割未満なら、ここ最近でもチョイチョイありますけど、いつも通り長時間は活動できないです」


 翔太は自分の超能力を自由に扱えない現状に自嘲する。


「世の中、儘にならないことが多々ある。ゆめゆめ鍛錬を忘れず、覚悟・・はしておけよ」

「覚悟、ですか」

「ああ、そうだ。準備万端で望んだ展開が起こるなんてあり得ないからな。これで話は終わりだ。霊実の疲れがあるだろうから、帰ってゆっくり休め」

「了解。……あ、霊実で式神が撮ってた映像ってノイズが入ったりしてた?」

「いや、なかったと思うぞ。余程、高濃度の霊障なら、干渉されてノイズが入ることはあるがな。そういえば、鬼灯と神代が一瞬、ボーッとしている映像ならあったな。何か気になるモノでも見つけたのか?」

「あまりにも霊障が片付いたから、呆気にとられただけだよ。テレビのオカルト番組って、よく映像にノイズが入ったりするけど、そうそう起きやしないか。じゃ、帰るよ、玄谷先生」


 翔太のは誤魔化すように言葉を返し、薺に背を向ける。薺は怪訝そうな顔をしながらもデスクに向き直り、書類の整理を始める。

 トンネルで遭遇したタカマサ――霧島家当主は本物・・だったのだろうか、と翔太は口には出さず、足早に職員室を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る