2-2.青髪の鬼の子

 「ハヤテ。お前の兄者を連れてきた」


 イナサがガラリと戸を開ける。紅、桜、芥子からし、山吹、若草……色々な色の小さな袋が床に散らばっている。まるで、花畑の中にいるような光景に、シナトは目を奪われた。そして、部屋の真ん中には、青い髪、青い瞳、まるで青空を写し取ったような鬼の子が、女の鬼達に囲まれて座って、袋を投げて遊んでいた。


 イナサの顔を見た途端、鬼の子は、ぱあああっと花を咲かせるように顔をほころばせた。シナトの前に立つイナサの雰囲気が一気に柔らかくなる。


 鬼の子は、めったに生まれない。そして、生まれてもとても弱い。だから、親になった鬼は全力で自分の子どもを守る。鬼のどこにその愛情があるのかと思うほど愛してやまない。一説によると、鬼の子は、愛されるための香りを発するというが、本当のところは誰も知らない。しかし、イナサも、この部屋の中にいる女の鬼達も、頬を緩ませている。


 ―― あいつが十七になったら、俺はあいつに喰われる。


 シナトも思わず頬を緩ませそうになって、下唇の裏側をきつく噛む。


 走り寄ってきた鬼の子を、イナサが抱き上げる。


 五つくらいだろうか、可愛い鬼の子だとシナトは思った。まだつのも生えていない。ひたいのあたりに小さなコブがあるくらいだ。シナトは自分の額の横に生えてきたばかりのつのを触る。先日のひどい頭痛の原因は、角がめきめきと生える痛みだった。シナトが目を覚ました時には、五寸ほどの角がふたつひたいからのびていた。


 ―― 鬼を喰らって、鬼になった…。


 シナトは口の中に鉄の味を感じて顔をしかめたが、慌てて笑顔を取り繕う。


「あ、に、……?」

「そうだ。お前には、兄者が必要だと思ってな」

「あにじゃ!」


 鬼の子は、鈴のような声をならして、シナトに笑顔を向ける。晴れ渡った青空のように曇りのない笑顔に、シナトは戸惑いと苛立ちを覚えた。新しい木綿の着物を着させてもらったのに、自分が穢れてしまった気がしたからだ。まだ、鼻の奥には血の匂いが残っている。


 シナトは、自分の感情を読まれないように、深く深く頭をさげた。


「とっさま、じゃあ、シナトは、ハヤテとずーっといっしょ?」

「ああ。お前が大人になるまではな」

「やったぁ。とっさま、うれしぃ!! とっさま、すき!!」


 鬼の子が、イナサの首に手をまわしてぎゅっと抱きついた。


「あにじゃ! あにじゃ!! 」


 ハヤテと呼ばれた鬼の子は床におろされると、シナトの腕に自分の腕を絡ませた。

 

 ―― 触らないでくれ!!


 そう思いながら、シナトは、笑顔を浮かべる。生きるためだ。自分の感情を押し殺して、こいつに媚びをうるなんて造作ない。生きるためだ。シナトは自分自身に言い聞かせる。

 

「あにじゃ! なにしてあそぶ? なにする? なにする??」

「……ハヤテ様の好きなことをしましょう」

「やったぁ! やったぁ!! あにじゃ、すきー!!」




 ハヤテは日に日に大きくなり、シナトが世話係を始めてから五年が経つ頃には二人の体格差はすっかりなくなってしまった。逆にハヤテの方がこぶし三つ分大きい。がっしりした体系のハヤテと華奢なシナト。力の差は歴然としているように見えた。

 しかし、何をしても、ハヤテはシナトに勝てなかった。


 剣の打ち合いをすると、ハヤテはシナトに負ける。


 シナトが使うのは、ハヤテでさえコントロールをとるのが難しい大剣だ。それをシナトは、まるで踊っているように軽やかに振り回す。「どうして、そんな風に扱えるのか」と聞けば、「鍛錬ですよ」と涼しい顔をしてシナトは答える。ハヤテは、たいていの鬼がそうであるように鍛錬が嫌いだ。自分が嫌いなことを涼しい顔をしてできるシナトは、すごいと思う。だから、相変わらず、ハヤテはシナトにまとわりついて暮らしていた。鬼は強いものが大好きなのだ。 


「兄者! 今日は、槍で勝負だ!」


 ハヤテが、槍を二本持って、木陰で木片になんやら書きこんでいるシナトに声をかけた。シナトは、鬼にしては珍しく人間の文字の読み書きができる。実の父親が人間だったからだと悪口を言われているが、そんなことはハヤテにとってはどうでもよかった。自分にないものを持っているシナトにあこがれ続けていた。


「槍投げですか。少しお待ちください」

「なにしてたんだ?」

「花を描いていました」

「花? そんなのどこにあるんだ?」

「これです」


 ハヤテはシナトのそばに駆け寄って、シナトの視線の先を見る。シナトが指さした先には、花らしいものは見当たらない。地味な色合いの穂がゆれるばかりだ。


「はあ?」

よもぎです。穂のようにみえるところが花です。この里で花が咲いているのを初めて見ました。どこからか種が飛んできたのでしょうか。春になったら、葉を摘んで薬を作りましょう。血止めにもなりますし、お婆様も最近、腰が痛いとおっしゃってましたから……」

「そんなもの、いるのか?」

「まあ、私の趣味みたいなものですよ」

「でもよぉ、兄者は、その蓬のこと、どこで知ったんだ?」

「…………、さあ、絵も描き終わりました。槍投げに行きましょう」


 その言葉をシナトはするりと無視した。ハヤテはシナトのことをもっと知りたいと思っているのに、シナトは自分のこととなると絶対に話さない。もやもやするのだが、ハヤテはいつか話してくれるだろうと楽観的に考えることにしている。鬼はくよくよ悩まないのだ。


「今日は夜叉山まで行こう! 無花果がいっぱいなっているから、帰りにお婆にお土産にとってこよう!」

「わかりました。では、今日は何を狙いますか? ウサギにしますか?」

「ウサギはかわいそうだ」

「では、鹿はどうですか?」

「鹿もかわいそうだ」

「では、どうするのですか?」

「どちらが遠くまで投げられるか競争する!」

「……、わかりました。ですが、ハヤテ様、いつまでも動物を殺すのをためらっていては、お館様にお小言をもらいますよ?」

「とっさまになんと言われても、俺は殺したくない」


 ハヤテは動物を殺すことをよしとしない。いくらシナトがけしかけても、それだけは頑として譲らない。

 生肉も食べない。ウサギや鹿の肉は、ちいさく団子にして鍋にはいっているものは食べる。それ以外は見るのも嫌がる。一度、ウサギを丸焼きにして出した時は、体を震わせてぽろぽろと泣き出してしまった。


「しかし、鬼は屠るもの。相手の命を奪うことで強くなるものです」

「でも、やなもんはやだ。俺は、命を奪わなくても強くなる。兄者と一緒なら、強くなれる。兄者がいてくれたら、最強の鬼になれる! そうなったら、とっさまだって、文句を言わないよ。だから、大丈夫!!」


 ハヤテは、青い空に宣言するように、槍を突き上げた。







 


 


 

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