第41話琴書須らく


寒山拾得からです



琴書須らく自ら従うべし



現代語訳も特に飾らずに

自分の身の回りに琴や書物を置いて生活を楽しむべし。

と、訳されています。


この詩は他にも権力や立場を求めずとも己の身を立てて行ける…と言う詩が続きます。



そして最後の結びが好きなのですが。


常に念う鷦鷯の鳥、身を安んずるは一枝に在り



鷦鷯(ミソサザイ)は己の住処に一枝しか必要としないように、分に安んじて無欲無心に生きたいものである。

と、現代語訳されます。



私は所謂「火」の様な人間でして。苛烈が過ぎて己も他人も焼いてしまうのです。

それを思う時は鷦鷯の一枝を心に持とうと思うものです。



そして冒頭の琴と書物です。


今も昔も文字は習わないと身に付きませんし、琴の様な楽器も、習い、反復してやっと奏でて楽しめる様になります。


私はそこに注目をします。

楽しみだけならば深山幽谷に親しみて、家族から言葉を習い、鼻歌を歌うだけでもいい。


だけれども、敢えて習わなければ身につかない琴と書物。これは大きいです。



日本の戦国時代。下剋上の走りの一人とされる伊勢盛時、北条早雲公は


若者に向けて二十一箇条の教訓を残しています。



その中に、歌道を知らないのは賤しく、大いに学ぶ様遺されておりますし


書物は懐に入れ、時間があれば隠れてでも読んで学ぶべし、とも。


武家とは様々に教養を求められます。


宮中にも参内した室町将軍家も雅楽の「笙」でしたと思います。その笙を上達させて披露できる様に学ぶべしとしていたそうです。


これは立場がそうさせます。宮中の雅楽である笙を吹けねば侮られ、気に留められなくなるので室町将軍家は学んだそうです。


習い事


武家でありながら蹴鞠の達人と言われている今川氏真も外せません。


父が公家との繋がりを強化していたのもあり、文治に傾倒したとされる今川氏真。


父、今川義元公が討たれ、家運が傾き大名ではなくなりますが、その教養が命脈を繋ぎました。


最終的な天下人である徳川家康公は今川氏真を「高家」として今川家を旗本としたそうですし。


話によると「父の仇」である織田信長公の面前で蹴鞠を披露して生きて帰ってきたと言う話。

苛烈な織田信長公の面前から生きて帰る事は亡国の今川家の当主として…大殊勲でしょう。



琴と書物。


これは立場ないし、友との付き合いにも関わります。


類は友を呼ぶ


勉学を好む人にはその様な友が。楽しみに楽器を学ぶ人には同じく学ぶ友が。


向学心溢れる繋がりが生まれましょう。


確かに高望みや立場、権力に背を向けようとも。



大陸の菜根譚に。


山林に隠棲しても、天下国家を論じる気概は捨ててはならない


とも言われます。


琴や書物に親しみて修養したならば、人としての「立つ瀬」が生まれる…と言う事だと思います。


余りにも世の中からの関わりを断ってしまうと、それは「居ない」事とかわらない。


世から離れたとしても「見識」を養えば、親にも子にも「立つ瀬」が有りましょう。



そしてその立つ瀬。



様々な世の中の渦の中から抜けいでて、幸運にも生きる事が叶ったなら。



それこそ鷦鷯の一枝です。


恐れ慎みてその一枝を深い森の中の住処と致しましょう。



人一人には


立って半畳寝て一畳


とも日本では申します。


権力でその他人の一畳を奪う事の虚しさ。


天下国家を牛耳っても食べる食事は一人分です。


どうして一口ずつ食い荒らす真似を良しとしましょう。



そしてこの世から隠れる事があったとしても。


生きている時に親密にしていた財産はあの世には持って行けず

親類も、死出の旅に同道させる事は出来ず


唯一その旅に同道してくれるのは生前の「徳行」のみである



己の最後の一枝。それ位は共に燃やして貰えるかもしれません。





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