第21話糟糠の妻



今回は糟糠の妻です。


そうこうのつまと読みます。


糟糠とは酒粕や米糠の滓の様につまらない…ありきたりで…価値がない、粗末。そのような意味合いです。


それに「妻」とは穏やかじゃないな…


そうですよね。女性を捕まえて「お前は価値がない」なんて。


これは諺の一部のみを切り出したので女性蔑視の様になっているのです。



「糟糠の妻は堂より下さず」



これが本文です。



意味合いを記憶から引き出してみますと。


ある国に有能な大臣がいました。皇帝も彼を信頼して重用します。

そこに皇帝の姉が登場します。

そして皇帝に「私に相応しい男」を夫にする様に言います。

皇帝は真っ先に大臣が思い浮かびました。

皇帝、ひいては国の為に立ち働く彼こそは姉に相応しい。姉を嫁がせるなら親族だ。これで我が国は安泰だとばかりに皇帝は大臣と二人きりで会います。

皇帝が「位には上下があるだろう。どうかな。貴方の位に相応しい子女を娶っては」

皇帝は姉だとは言わずに、「位に相応しい子女」として話しました。

すると大臣が「陛下、私が国政に参画させて頂けるのは陛下の信頼あってこそです。ですが私が陛下に召される迄はそれはもう『役にも立たぬ人間』でありました。

ですがその様な私にも『嫁いでも良いと言う子女』がおりました。酒粕や米糠の様な日々を共に過ごした『妻』です。どうして大臣と呼ばれる様になったからと言って『堂より下す』事ができましょうや…」

大臣はそう言って場を辞しました。


その話を皇帝の姉が隠れて見ていました。


皇帝は姉の元にゆき、「あれは駄目です」そう答えたそうです。

一部始終を見ていた皇帝の姉もそれで納得したそうです。


糟糠の妻の糟糠とは妻が粗末なのではなく、夫婦揃って「糟糠」な時代を潜りくけた信頼を表しているのです。



今の時代もし妻や夫を持たれていたとしましょう。

立場も結婚当初より上がり暮らしも良くなり部下も出来るかもしれません。そこでもし「言い寄られ」たら貴方なら断れますか?


皇帝を社長や国政を担う立場の人としますと余計に断れないでしょう。話の皇帝の様にすんなりと身を引いてくれるとは限りません。






話が日本の戦国時代になりますと、太閤豊臣秀吉公の妻「おね(ねね)」が糟糠の妻の代表の様に言われます。

足軽郎党と呼ばれていた藤吉郎に、位は低いが「武士の娘」であったおねが告白されて結婚します。

かなりの格差婚です。


ですから藤吉郎はマメに手紙を戦場から送ります。

「果物が手に入ったので送ります。侍女と分けて食べる様に」

等が有名ですかね。


ですが藤吉郎は「女癖」が悪いと評判でした。

おねが居るにも関わらず様々な女性に手を出します。

おねはそれでも耐えて、藤吉郎の手助けをして貰える様に親類縁者の子供を預かり「武家教育」を施します。おねは武士の娘でしたから秀吉より適任でした。



ですがある時おねの堪忍袋の緒が切れる時が来ます。


そして思い切った事に藤吉郎の主君である織田信長公に直談判するのです。


信長公は苛烈な逸話の多い大名ですが、この時のおねには親身になり、ふみ迄下されます。


要約しますと。


「おね様、この度の事は「ハゲねずみ」(秀吉)が本当に悪い。おね様の様な子女には生まれ変わってもハゲねずみには出会えぬ宝である。

その辺りは私から懇ろに言い含めておくから、おね様はもう足軽の妻ではなく武将の奥方であるから、女癖には目を瞑り奥方らしく家を守り、もり立ててほしい」


と言う様な内容でしょうか。

信長公はおねの事を部下の妻と侮らず、手紙や贈り物を渡して落ち着かせてから帰らせました。


信長公も中々な恋話のあるお人。長男、次男の母親は恋愛での通い婚であったようですが、身分が低く釣り合わないとし、女性は側室にもならずに過ごしました。そして早い段階で死に別れているようです。ですが二人の間の子供を庶子としないで跡取りとして扱いました。

有名な美濃のマムシの斎藤道三の娘を娶るのはその後の様です。

ですから好き合って結婚した夫婦にはきっと思う所があったのでしょう。



そして正に影に日向におねは働き、藤吉郎を関白豊臣秀吉…迄押し上げます。

秀吉公は「貴種」を好み、武家の姫等を集めて側室にしました。

有名な姫ですと主君織田信長公の姪にあたる「茶々」ですね。

秀吉公は信長公の妹の「お市の方」に懸想をしていて、お市の方が亡くなりお市の方の遺した三姉妹を養女として保護するのですが…やはり手を出してしまいます。


おねは秀吉公からは変わらず「正室」とされて事ある事に秀吉公はおねを引き合いに出しおねを立てたとされますが…

醍醐の花見の時でも側室を連ねて盛大な催しをしますがそこでもおねを「正室」として盃を初めに渡しますが…

二番手の盃はと言うと…盛大な女の喧嘩になったそうです。公の場で盃の順番を下げますと「立場も下」になりますからそれは譲れないですよね…




しかしてその様な喧騒の世の中で「糟糠の妻」…おねはどう思っていたのでしょうか?




最近の主流の考え方によりますと。

東軍西軍に別れた豊臣政権の関ヶ原の戦いの時です。


本来ですとおねは秀吉公子飼いの衆から上った石田治部三成を支援しても問題は無かったかと思います。

小姓の時から石田の面倒を見ていたおねでしたら徳川家康公と石田治部の言い分だったなら石田に軍配を上げてもいいものでは?


最近ですと、武将ばかりではなく、それを取り巻く要因として「正室」「側室」等の高貴な女性の動向も戦に関係があったとされます。


近年ですと、徳川家康公が「おね」に接近して懇ろに交友していたのでおねが豊臣秀吉公子飼いの大名や武将に徳川に味方する様に…と根回しをしていたとされています。


先にも述べましたが、おねは「武士の娘」であり、秀吉公や自身の親族衆を纏めて教育や推薦をして秀吉公を支えていたようですから。

おねを「かか様」と慕う福島正則や加藤清正は東軍に。養子とした小早川金吾秀秋にも徳川に味方しなさいと言ったと証拠が出てきています。




太閤豊臣秀吉公は死して後におねから「離婚」されたのかもしれません。




いかがでしょうか?

男女の関係以外にも友人関係等でも、自分が偉くも低くも無い時に懇ろに付き合った朋輩等が居たら懐かしくなりませんか?



昔の諺に、「友にも三分の義侠心がなければならない」

とあります。

血縁では無い友に対してもちゃんとした心意気が求められます。



今の時代難しいですが、もしもこのふみを読まれている方々に古くからの付き合いの絶えない人が居たならば…孤独を愛すると共に自身の身持ちも保たれると思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る