第2話毒を飲みませ

少し曖昧ですが。


江戸時代に貝原益軒先生が養生訓を著されました。

内容は十分に現在に置き換えても通用する名著の一つです。

おのれの身を長く保つ事が何事も肝心…と言うお話とも言えます。

貝原益軒先生は生来体が弱く、主にお仕えするために、何事にも気を配り、細くとも長くお仕えしようとして考えられたそうです。


その中に、食べ合わせについての話が出ていたりします。

皆さんの中にも聞いた事がある人が居ると思います。有名なものですと…


うなぎとうめぼし


すいかとてんぷら


そばきりとたにし


かにとかき



これらは一緒に食べては体に悪いと言われた合せです。



ですが。


この様な毒を出されたとしても、その人を責めないで、敢えて食べる…

人にはそのほんの少しの毒が身を助ける事もあるのです。



私の子供の頃は農村でして。そこに個人商店が一軒だけありました。

農村なので、田植えや稲刈りの時期には農家さんの奥さんが料理を作る暇がなく、その個人商店さんが手作りのお惣菜を販売して下さっていて、とても助かっていました。

何せ料理している時間さえ勿体無い時代ですから。


明くる日。我が家も農家だったので、祖母から個人商店さんでお惣菜を買ってくる様に言われました。

その中に、鰻の蒲焼きの卵とじが売られていました。

小ぶりに切ってある鰻の蒲焼きを卵でとじてあり、数人で分けて食べても鰻が多い少ないと喧嘩にならない様にとの心遣いのお惣菜。


私はそれを買って帰りました。

そして台所の祖母にお釣りと一緒にお惣菜をわたし、祖母が人数分にとりわけていたら…

その鰻の蒲焼きの卵とじの底に。



沢山のうめぼしが沈んでいました。




それを見た祖母が幼い私に言うんです。


「あのお店の夫婦さんはお子さんも居ないし、他所から越して来た人達だから…きっと、辛い事があったんだろう」

そして言うんです。



「いめ、この事はおばあちゃんといめとのナイショだよ」

そう言うんです。



そして祖母は家族と私に梅干しで赤くなった部分を避けて、惣菜を取り分け…

祖母は梅干しの詰まった卵部分を台所でこっそりと食べました。



そうすると



田植えが一段落した時分に、個人商店の奥さんが訪ねて来られ。

祖母にお礼を言っていたそうです。


それも祖母は家族や村の人に分からない様に、家の裏手の庭で会って。

こっそりと帰って貰ったそうです。

祖母は、うなぎとうめぼしの事を私以外の誰にも話していませんでした。



それから時がたち



祖母が、死に目に際しても私だけを呼んで。


「うめぼしはおいしいよ」


と、私にだけわかる様に言い残して旅立ちました。


祖母の訃報が回覧板で村にまわり、すると真っ先に先の奥さんが駆けつけて来られて。

祖母の棺の前で静かに泣いて下さいました。


人間どうしても毒が必要な時があるのです。その時その毒を恨む事なく飲み干す事を、祖母が身を以て教えてくれました。




因みにですが。



うなぎとうめぼし


これは毒ではないのです。

江戸っ子は普段は質素に梅干しの塩むすびを食べる事も多かったそうです。

そしてたまの贅沢に白飯と鰻の蒲焼きを食べようとする時に。

今日は晴れの日だからいつもの梅干しは要らないよ。と言う江戸っ子の洒落っ気が産んだ言葉だそうです。





蛇足ですが。

昔と違い、今では食べ合わせで本当に命が無くなるものもあります。



原産地では有名なのですが。



ドリアンと酒



これは数時間で命がなくなります。

ドリアンの果肉が胃の中でアルコールと反応すると急激に発酵して膨れ、臓器を傷めて不全をおこして死に至ります。



あとは即死するものでは有りませんが、体に蓄積してしまう悪い食べ合わせです。




紅茶と輪切りのレモン



ソースとハム



タラコとソーセージ




皆さんが長く身を立てて下さいます様。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る