外は雨に加え、

 外は雨に加え、風も強くなってきていた。

 円島支社をあとにした孝士はセルフローダーに戻り、外法古墳へ向かった。運転中の彼は頻繁にバックミラーに気を取られる。誰か、後ろから追ってきてはいないかと。違法行為を犯した者として当然の心理だ。会社の車を強奪したうえ、いま孝士の手元には大量の爆薬がある。それを爆破させれば、どんな罪に問われるのだろう。

 もういくつの罪名を重ねているのか自分でもわからない。もし逮捕されれば、死刑になることはないにしても、相当な重罪判決をくらうにちがいなかった。

 せっかく世界を救っても、自分は刑務所のなかか──

 気が重くなってきた。いっそ、このままC-4爆薬で派手に爆死してしまおうか。そんな思い詰めた考えが、ふと浮かぶ。

 いいや、それもばからしい。わざわざ時間を跳び越えてここまできたのだ。生きのびるチャンスがあるなら、どんな手でも望みを託そう。

 物事は、なるようにしかならない。そして人はやれることしかやれない。それは絶対に覆せない真理だ。しかし、到底無理な困難へ挑むのを、やるかやらないかは自分で決められる。

 やるぞ。やってやる。やりゃあいいんでしょうが。めずらしく前向きになった孝士は、この時点で覚悟を決めた。

 ローダーは臼山町を東へと走っていた。郊外に差しかかると急に家並みが途絶えた。生活道路から間道に逸れて、まっ暗な山道をできるだけ急いで走る。臼山霊園を過ぎ、曲がりくねった道路の果ては小さな駐車場だった。そこから先は丸太階段で丘陵を登る。天辺が外法古墳だ。別の並行世界で、円島支社のみんなと通った道。

 孝士は駐車場のいちばん奥にセルフローダーを駐めた。

 ローダーのキャビンには泥と油で汚れた紺色の雨合羽があった。宮城の使っていたものだろう。汗臭いのを我慢して袖を通し、爆薬を入れたバックパックを携えて、孝士は外に出た。

 まずは荷台に積んだバックホーを降ろさねばならない。考えてみれば、このタイミングで重機があるのは幸運だった。なにせいま、まれびどんは地中深くに埋まっているのだ。爆薬で吹っ飛ばすにしても、あるていど地面を掘り起こす必要があった。もしや百萬坊はそれを見越して、孝士を今夜このときに送ったのだろうか。そうであったなら、気にくわないが彼に感謝だ。

 ローダーの横に回った孝士は、キャビンと荷台のあいだにあるレバーを操作した。すると二本の油圧ジャッキが作動して車体の前方が持ち上がりはじめる。それから荷台の後端にある自動あゆみと呼ばれるスロープを接地させれば、積んでいた重機を降ろすことができる。

 孝士は荷台によじ登るとバックホーのドアを開け、運転席へ乗り込んだ。キーは付いている。燃料も問題ない。車両系建設機械の免許はずっと前、会社で取得させられた。とはいえ、スムーズに動かせるほどの経験は積んでなかった。多少まごつきながらエンジンを始動させる。左手で操作するレバーでブームを少し持ちあげ、両足の間にあるレバーを二本とも前に倒すと、バックホーががたがたと振動しながら動きはじめた。

 バックホーのガラスで密閉された運転席からは、悪天候で外が見えづらかった。アームに作業用のLEDライトはついているものの、いまの条件下では光量が足りない。光が投じられる以外の場所は、ほぼ完全な暗闇だ。孝士は気をつけながら、ゆっくりとバックホーを丸太階段の登り口まで移動させた。

 駐車場から上の外法古墳までの距離は目算で四〇メートルほど。バックホーの登坂能力では、せいぜい三五度の斜面が限界だ。ぎりぎりといったところだろう。丘陵のほかの斜面には樹木が密生しているため、この階段を登るしかほかに道はなかった。

 上へ登る前に、孝士は念のため運転席の隅に置いたバックパックのなかを確認する。爆薬、起爆装置、電気雷管。すべて、ちゃんとそろっている。いざここまでくると不思議と恐怖感はなかった。というより、自分の向き合っている事態が突飛すぎて他人事のようだ。

 この外法古墳は孝士が霊界データバンクと関わることになった発端である。そこで決着がつくとは、なにか因縁めいたものを感ずる。たとえるなら、運命の糸。もしくは事象の収斂。簾頭鬼に言わせれば、外法古墳はまれびどんの影響で現世と幽世の境界となっているらしい。ならば、ここに巡り合わせが集中するのも必然だろうか。

 だけど、もうそんなことはどうでもいい。とにかく、ここで終わらせてやる。孝士はバックホーを斜面へと前進させた。なるべくブームを下げ、アームを前方へ伸ばし、重心を前方に置いて、ひっくりかえらないようにして登る。階段状に並べられた木の丸太はバックホーのゴムキャタピラーで踏み潰され、容易く折れて砕けてゆく。その振動が孝士の尻に響く。傾いだ運転席内にいると見た目以上に急な斜面に感じた。滑り落ちないでくれよ。心のなかで願いつつ、じわじわと登り進み、やがて孝士は無事に丘陵の頂上へと達した。

 外法古墳の展望台。闇に包まれた広場は異様な雰囲気を醸していた。太古の邪神が眠っているという先入観のせいかもしれない。

 展望台に繁茂している彼岸花は、まだ開花しておらずどれも細長い蕾をつけていた。

 花を踏み潰すのは気が引けたが、孝士はやむをえずバックホーを外法古墳まで進めた。展望台の奥にある地面の盛りあがりまで近づくと、すぐ手前に木製の立て札があった。きっとまれびどんの逸話でも記されているのだろう。

 孝士は運転席のシートから身を乗り出し、外法古墳の様子を窺った。雨粒に濡れたガラス越しでは、一見するとなんら異状がない。ただ土饅頭のような隆起が、LEDライトに照らされ暗いなかに浮かびあがるのみ。この様子なら、まれびどんはまだ活性化していないようだ。

 よし、いまのうちだ。孝士はバックホーのアームを操作して、バケットの爪を地面の隆起に突き立てた。

 途端、ごんという重い音が鳴った。アームの先端にあるバケットが、なにか硬いものにぶつかったのだ。孝士はふたたび運転席より身を浮かせて外法古墳を注視した。すると、バケットの爪はほとんど地面に埋まっていない。いったんアームを上にあげて、LEDライトの照らす角度を調整する。そして孝士は、外法古墳の上部に小さな岩が顔をのぞかせているのに気づいた。

 そういえば円島支社のみんなと外法古墳にいったとき、まれびどんが現れる直前、大きな岩がぽんと地中から飛びあがったのを孝士は思い出した。あれはおそらく、要石だ。通常は地震を鎮めるために置かれる呪術的な霊石だが、外法古墳ではまれびどんを封印する目的で使用しているにちがいなかった。

 ではまず、地中のまれびどんの真上にある、漬物石のようなこの岩をどうにかせねばならない。

 孝士はとりあえず、地面に露出している要石の向こう側にバケットの爪を入れてみた。そのまま土といっしょにすくいあげ、岩を取り除こうというのだ。が、またしても衝撃音が響き、バケットの爪は地中へ入るのを阻まれた。要石の地表に現れているのはほんの一部で、本体はかなりの大きさなのだ。そうなると、バックホーでも持ちあげるのがむずかしい重量であると予想される。

 どうするか──

 孝士はしばらく思案したのち、要石の見えている部分から右側を、二メートルほど余裕を見て掘った。その位置ならば掘削は可能だった。深く大きく掘ると、外法古墳のその部分にぽっかり穴が空いた。それから今度は反対側を軽く掘る。あるていどバケットが地中へ入り込めるようにしてから、孝士はバックホーを右に旋回させて要石を側面から押した。すると、最初に掘った右側のスペースにごろりと岩が転がった。

「ふう……」

 うまくいった。安堵の息を漏らす孝士。

 あとは要石のあった下を、まれびどんが見えるくらいまで掘り進み、そこにC-4爆薬をセットすればいい。

 いちど穴の様子を見てみる必要があった。孝士は足下のバックパックのなかを探って、そこから円島支社より拝借してきた懐中電灯を取り出す。運転席のドアを開け、バックホーから降りると、彼は外法古墳の穴へ近寄った。

 雨が激しい。大粒の雨が雨合羽にたたきつけられ、ばちばちと音を鳴らしている。孝士は穴の縁に立ち、懐中電灯でその下を照らす。むっとする土の匂い。覗き込むと底は深かった。右を見ると、どんぐりを逆さにしたような形の要石が、倒れて横になっている。長径は人の背丈よりもあるだろう。想像以上に大きな岩だったようだ。

 ふいに雨合羽のフードが強風でめくれあがった。横なぐりの雨をまともに顔へ浴び、孝士は思わず目を閉じた。濡れた顔を掌で拭う。それからふたたび目を開いた彼は、妙なことに気づいた。

 穴の底に、なにかある。

 ちょうど要石があった真下だ。懐中電灯の光をそこへあてる。空いたほうの手で顔の上に雨よけの庇を作り、目を細めてよく見てみる。

 黒い草のようなものが何本も生えていた。だが、土中に草は生えないだろう。なんだあれは。

 しばらく考え込んだあと、孝士の背筋がぞくりと震えた。

 まれびどんだ。前に見たその容姿の記憶が、孝士の脳裏でぱっとフラッシュバックした。まちがいない。あの細長いものは、まれびどんの頭部に生えていた棘状の突起だ。

 孝士は思わず後退った。息が詰まり、心臓が激しく脈打つのを感じた。唾を飲み込もうとしたが、彼の口のなかはからからに乾いていた。バックホーまで戻り、運転席へ乗り込むためドアにかけたその手が、細かく震えている。

 運転席のシートに座ると、孝士はそこで身を縮こまらせて自制に務めた。落ち着け、これが最後だ。もうすぐ終わる。折戸から聞いたC-4爆薬を爆発させる手順を思い出すんだ。

 深呼吸して落ち着いた孝士はまず、バックパックからC-4爆薬をひとつ取り出した。それを膝に載せ、円島支社から持ってきた事務用カッターでビニールの皮膜を破る。

 C-4爆薬自体は白色で粘土に似た質感。触れるとひんやりしていた。孝士はそれへ細い金属製の電気雷管を挿し込んだ。電気雷管からはコードがのびており、起爆装置と接続できる仕様だ。ややためらったのち、電気雷管と繋がった起爆装置の電源スイッチを入れる。装置の赤いパイロットランプが点灯する。

 孝士は待機状態となったC-4爆薬と起爆装置を、そっとバックパックへ戻してから、長く細いため息を漏らした。これでいいはずだ。あとは遠隔操作器のスイッチを入れれば、C-4爆薬が爆発する。

 雨音に混ざって、なにか物音が聞こえた。

 つづいて、だしぬけな振動とともにバックホーが揺れた。驚いた孝士は顔をあげる。

 正面。バックホーのアーム前部に、なにかが絡みついていた。黒と青の斑模様。

 バックホーがまた揺れた。孝士はいま起こっている事態を理解した。

 封印となっていた要石を取り除かれて、まれびどんが覚醒したのだ。アームに巻きついているのは、まれびどんの手だ。

 金属の軋む音を立て、バックホーが大きく傾いだ。前へ引っぱられている。

 あわてて孝士はバックホーを後退させた。が、動かない。なんて馬鹿力だ。このままでは穴に引きずり込まれる。

「う、うあああああああああっ!!」

 叫んでもどうなるものでないとは、わかっている。しかし、気合いの問題だ。

 自身を奮い立たせた孝士は、バックホーのブームを下げてまれびどんの腕を穴のなかへ押し戻そうとする。

 さすがに建設用重機の強力な油圧にはまれびどんも対抗できなかったようだ。徐々に力負けして、バックホーのアームを摑んでいる手が下にさがってゆく。

 いける、と見越したものの、孝士のその思惑はあっさり覆された。まれびどんのもう一方の腕が穴からのびてきて、バックホーのゴムキャタピラーを引き裂いたのだ。

 怒り狂ったまれびどんが両腕でバックホーを揺すりはじめた。まずい。危険を感じた孝士はバックパックと起爆装置の遠隔操作器を手に取ると、運転席から飛び出た。

 ぬかるんだ地面に足を取られて無様に倒れ込む。泥まみれになりながら、ようやく身を起こして片膝をつく。孝士のその様子をまれびどんが穴の縁から見ていた。ぎょろりと動く不気味な双眸とまともに視線がぶつかり、彼は生きた心地をなくした。

 風雨の音にまぎれて、まれびどんの咆吼が耳に届いた。身体がすくんで動かない。孝士のなかで絶望と生存本能が相克する。

 こうなったらもうやけだ。ふざけるなよ。こいつのせいだ。太古の邪神かなにか知らないけど、ぼくの人生を狂わせやがって──

 孝士は必死で立ちあがると、持っていたバックパックをまれびどんがいる穴へ投げ込んだ。そしてくるりと背を向けると、あらん限りの力で駆けた。先の見えない闇のなかへ。

 走っていたのは、ほんの数秒だったろう。気づけば、ふいに足下の地面が消えていた。いきなりの浮遊感に孝士は思わず小さな声を漏らした。ふたたび足が地に着くと、そこは急斜面だった。展望台の下は外法壁だ。足首に激痛を感じた。ひどく挫いてしまったらしい。そのまま前につんのめり、地面に顔面をまともに打ちつけた。斜面を滑落し、身体が回転しはじめる。どっちが上か下かもわからない。

 孝士が握りしめていた遠隔操作器のボタンが押されたのは、ほとんど奇跡だ。なにかの拍子に指が触れたのかもしれない。ただの偶然か、天の配剤か。

 だが、それでC-4爆薬の起爆装置は作動した。

 耳を聾すとはこのことだったろう。いままで聞いたことのない爆音と、体験したことのない衝撃が同時に起こった。外法壁を転がり落ちていた孝士は、音速を超える爆風に直撃されるのを免れたが、それにより生じた崖崩れに巻き込まれた。

 土砂にのまれ、崖下に流されてゆく孝士。なにも見えない。息ができない。

 うそだろ。生き埋めなんて、いちばんいやな死に方じゃないか。

 なんだよ。結局、こうなるのかよ──

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