「あっ、いる!」

「あっ、いる!」

 れのんが声を高くしてそう言った。

「ほーれみろ。おれの言った通りだろうが」

 と、したり顔で折戸。

 三人を乗せた車は円島女子商業高校のすぐ近くまできていた。れのんはその時点でもう幽霊の気配を感じ取ったようである。

「うん。たしかに寮のほうからいやな感じがする。そこ、左に曲がって」

 夜の学校は不気味だ。折戸は明かりがまったく灯っていない学校の裏手へ車を回した。そこにはれのんが言ったとおり、校舎の陰に隠れるようにして二階建ての学生寮があった。

「でも、どうしますか。女子寮ですよここ」

 道路の暗がりに停車した車のなかから寮の様子を窺いつつ、孝士が言う。

「あたしがいくよ。ちゃっちゃと終わらせてくる」

 れのんはおそらく例の拳銃を入れてあるのだろうスクールバッグを抱え、車のドアを開けようとした。すると、

「ぼくもいくよ」

 孝士のその言葉に、れのんは眉をひそめて後部座席を振り返った。孝士は彼女がなにか言う前に、

「頼む。篠宮さんのこと、説得してみたいんだ」

 いつにない孝士の険しい表情を前に、れのんはやや鼻白んだ。彼女は折戸をちらりと見やる。

 折戸はこくりと肯いた。

「れのん、いかせてやれよ」

「知らないよ、どうなったって。あたしはともかく、寮の誰かに見つかったら自分でなんとかしてよね」

 素っ気なく言うとれのんは車の外に出た。孝士もそれにつづく。

 折戸は車で待機となった。ぞろぞろと大人数でゆけば、当然ながら誰かに見つかる可能性が高くなる。

 円商の女子寮は鉄筋コンクリートの古びた建物だ。低い柵とツツジの植え込みに囲まれている。れのんと孝士は外周に沿って、建物の裏へと向かった。時刻は夜の九時前。裏門には鍵がかかっている。

「ここから入るよ」

 れのんが裏門の鉄製の格子扉に手をかけた。彼女はそうして、自分の背より少し低いくらいの門扉の上へ一気に身体を持ちあげ、ひらりと向こう側の敷地内へ降り立つ。

 れのんのあざやかな身のこなしに孝士は目を丸くした。

「なんか、やけに手慣れてない?」

「前に何回か遊びにきたことあるしね。裏口の鍵の場所も知ってるよ。夜遊びに出た子が帰るときに使うやつ。向こうの植え込みのなかに隠してあるんだ」

 しれっと言うれのん。孝士は少々あきれた。それから自分も彼女と同じように、門扉を乗り越えようとする。が、

「わわっ!」

 周囲が暗かったこともあるが、孝士は手を滑らせて門扉の上からずり落ちた。そのまま投げ出された荷物のように、どすんと地に転がる。苦痛に呻き、身を起こして立ちあがる孝士。それを見たれのんは、途端にぎょっとなった。

「ちょっ、ハリソンあんた!?」

「え、なに?」

 孝士は思わず聞き返した。れのんの自分を見る表情があまりにも大仰だったからだ。どこか怪我でもして血が出ているのかと思い、自分の身体を見おろしてみる。すると、足下に誰かが倒れているではないか。上は黒いTシャツ、下はよれよれのジャージという貧乏くさい格好の男だ。というか、それはまぎれもなく孝士自身と同じ服装だった。

 しばらく呆気にとられる孝士。そのうち彼は両手をあげて目の前に持ってきた。透けている。手だけではない。胴体も、両足もだ。さらに本人には見えなかったが、いまの孝士と倒れている孝士らしき人物の頭どうしが、半透明な紐のようなもので繋がっているのだった。

「ど、どーなってんのこれ!?」

「あはは、もしかしたらそれ、あたしのせいかも──」

 頬を指先でぽりぽりと掻きながら、れのんが言った。

「ほら、こないだハリソンのこと霊子力ビームで撃っちゃったじゃん。それで、きっと身体と魂の固定が緩んだとか、そういうのだと思う。いま地面に落ちた衝撃で、分離しちゃったんだね」

「じゃあぼく、いま幽霊になってるってこと?」

「まあ、そだね……」

「こここ、困るよ! この前せっかく生き返ったのに!」

「大丈夫だよ。幽体離脱は短時間なら問題ないの。自分で戻りたいって思って、身体に重なれば元どおりになるんだから」

「そうなの?」

「あっ、それにいまなら好都合じゃん。幽体なら誰にも見られないで女子寮に入れるよ」

「そ、そうだった──篠宮さん!」

 急な事態で一時は取り乱したが、孝士はここへきた目的を思い出してはっとなった。

「れのん、里保って子、どの部屋にいるの?」

「いや、あたし知らないけど、あんたいま幽霊じゃん。壁とか突き抜けて、直に調べられるでしょ」

 なるほどそうか──って、いいのかほんとに。女子高生がうじゃうじゃいる寮なんだぞ。そこを自由気ままに闊歩するなど、男の夢じゃないか。いやしかし、いまは緊急時だ。決して、決して不埒な理由から覗きのような真似をするわけではないのだ。

 とりあえず、魂の抜け殻である孝士の身体を目立たない場所まで引きずって隠してから、彼らは二手に分かれることにした。れのんは寮の裏口へ向かい、孝士は各部屋の窓が並ぶ建物の横手へと回った。

 前に篠宮が宙に浮いたりするのを見たことはあったが、まさか自分もそうなるとは。孝士は慣れない幽霊の身体に苦労しつつも、さっそく篠宮の捜索をはじめる。実は寮の敷地へ入ってから、うっすらと悪寒は感じていた。気配は上階のほうからだ。孝士は空中を泳ぐように、ふわふわとそちらを目指した。途中で後ろを振り返ると、いま幽体である自分の頭からのびて肉体と繋がる紐が、たよりなさげに揺れている。いわゆる魂緒だ。孝士はもしこれがちょん切れたらやばいんだろうなあと、どこか他人事のように思う。

 季節は夏ということもあって、寮の女の子たちも窓を開けている部屋が多い。孝士は端から順に室内の様子を窺った。真面目に勉強している子がいたかと思えば、ベッドにだらしなく寝そべってスマホをいじっている子もいる。床にエクササイズマットを敷いて腹筋運動に励むのはスポーツ少女だろうか。はわっ、こっちはパジャマに着替え中。まずいぞ。もしかすれば、ついまちがえて風呂場に突入するとかのハプニングがあるかもしれない。などと、ちょっと期待に胸を膨らませる孝士だった。

 そして、いくつかの部屋を回り、カーテンの閉じている窓のところへきたとき──

 孝士の悪寒が高まった。ぞくりと身体の総毛が逆立つ。

 きっとここだ。カーテンは閉ざされていたが部屋の明かりは点いている。孝士がそっと手を前に出すと、なんの感触もなく簡単に窓を素通りした。いま幽体の自分だが、ほんとうに他人から見えないのかと心配しつつ、彼はそのまま上半身を室内に入れてみる。

 部屋のなかの光景を見た孝士は、冷水を浴びたような心地で息をのんだ。そこにはベッドで仰向けになった少女と、それに馬乗りになる幽霊の姿があった。幽霊は負の念が高まり、全体がどす黒く変色している。悪霊化だ。まるで鬼のような形相をしているが、孝士にはそれが篠宮だとわかった。髪を振り乱し、両手を少女の首にかけている。

「篠宮さんっ!!」

 室内に飛び込み、孝士が叫んだ。その声に篠宮が顔をあげる。いきなり現れた孝士に彼女が困惑したのも無理はなかったろう。表情がふと和らぎ、その手が止まった。

「針村……さん?」

「篠宮さん、やめてくれ。その子から離れてよ」

 と緊張した声で孝士。里保という少女が篠宮の下でわずかに身じろぎした。よかった、息はあるようだ。意識が朦朧としているのだろう。なんとか間に合ったことに、孝士はほっとする。

「なに、あんた、わたしの邪魔しにきたの?」

 篠宮がぎろりと孝士を睨む。その目と口調にあきらかな敵意を感じ、孝士はたじろいだ。

「ちがうよ。助けにきたんだ。知ってるよ、元恋人だった大学生のこと。その子との関係も」

「それがなんだっていうの。あんたに関係ないでしょ」

「関係あるよ。篠宮さんは、ぼくの担当地域の幽霊だし。それに、誰かが傷つけられるのを見過ごすわけにはいかない」

 孝士は宙に浮いた身をじりじりと進ませて篠宮に近づいた。なんとか彼女を落ち着かせなければ。

「まずは冷静になってほしいんだ。残念だけど、その子をどうにかしても元には戻れないよ。だって──」

「そんなことない!」

 激高する篠宮。

「なんにもわかってないくせに。彼、わたしのお葬式のとき、いっぱい泣いてくれたんだから。こいつよ……わたしたちの仲に割り込んできた、こいつが悪いのよ!」

「無駄だよ、ハリソン」

 ふいに横手から聞こえたのは、れのんの声だった。女子寮の裏口からなかに入って、いま里保の部屋へ駆けつけてきた彼女は、後ろ手にドアを閉じた。その片方の手には、霊子力ビームを放つリボルバーがある。突然に現れた第三者に面食らう篠宮は、孝士とれのんをしばらく見比べるようにして眺めた。

 れのんに撃たせてはならない。あせる孝士は歯がみし、篠宮へ懇願するように言った。

「篠宮さん、頼む。やめてくれ」

「じゃあ、わたしにどうしろっていうの? 彼とこいつがしあわせになるの、指をくわえて見てろっていうの?」

「聞いてよ、幽霊が成仏するのは本人しだいなんだ。いまならまだ間に合うよ。篠宮さんがふたりのことを認めれば、そうしたら、輪廻管理センターでつぎの来世を与えられて、またやり直せるはずなんだ」

「自分が当事者じゃないからって、そんな綺麗事ばっかり──」

「ちがうよ! ぼくは篠宮さんのことを思って、いちばんいい方法を言ってるんだ」

 その必死な様子の孝士を篠宮は嘲笑った。

「わたしのことを思って? いったいなんなの、あんた。もしかして、わたしに気があるとか? そういえば最初に会ったときから、ずいぶんなれなれしくすり寄ってきてたわよねえ。幽霊に妙な感情抱くなんて、あんた変態じゃないの。気持ち悪い!」

 言葉に詰まる孝士。そのとき、篠宮に組み敷かれる里保が苦しげに呻いた。

「このメスガキがあ……泥棒猫みたいなマネしやがって!」

 怒りを再燃させた篠宮が、里保の細い首を絞める両手にふたたび力を込めた。孝士は咄嗟にそれを阻むため、篠宮へすがりつこうとする。

「邪魔すんなって言ってんのよ!」

 喚き散らす篠宮の顔はいかめしい獣じみたもので、もはや孝士の知るかつての彼女とは別人のようだった。

 恐怖を感じた。孝士は一瞬、ひるんだ。そして彼は、自分に向かって襲いくる篠宮が、青白い閃光に貫かれるのを間近で見た。

 れのんが撃ったのだ。霊子力ビームを浴びた篠宮は、なんらかの連鎖反応を引き起こしたように全身を発光させた。その輝きはすぐに収まる。孝士はびりびりとした不快な衝撃を感じた。部屋の蛍光灯が瞬き、きな臭い匂いが漂う。霊子力ビームによって過剰に活性化させられた篠宮は、負のエネルギー体からごく短時間で燃え尽きた塵と化した。やがて、空気中に漂う薄煙に似たそれも、ふいに消える。あとかたなく。

 孝士が最後に見た篠宮は苦しげに顔を歪ませ、なにかを後悔しているようだった。

 呆然となった孝士がれのんを見やる。リボルバーをスクールバッグにしまう彼女は、冷淡そのものだった。

「わかったでしょ。あんなふうになった幽霊に、話は通じないの」

 部屋の外の廊下で物音がした。騒ぎに感づいた寮生だろう。

 れのんはベッドに横たわる里保の様子を確認した。

「うん……大丈夫みたい。ここはもういいよ。下で落ち合おう」

 孝士は言葉もなく、言われるままにその場を去った。

 女子寮の裏門近くのところまで戻った孝士は、地面に倒れている自分の身体に重なってみた。れのんの話によれば、これで元に戻れるらしいが。すると磁石が引き合うように、すっと魂が身体へと吸い込まれる。

 数舜の意識の喪失。それから孝士は眠りから覚めるのに似た心地で、ふたたび意識を取り戻した。ふらつく頭を押さえつつ立ちあがる。身体が重い。と、暗がりから誰かの足音。れのんだった。

「騒ぎになってた?」

 と孝士。

「うまくごまかしてきたよ。いこう」

 言うと、れのんはきたときとおなじく裏門をひらりと乗り越える。孝士も、やや苦労しながらだったが彼女につづき、ふたりは女子寮をあとにした。

 寮の横手にある路地を、どちらもが無言で歩いた。角を曲がると折戸の車が見えてくる。孝士たちに気づいて折戸がエンジンをかけたのだろう、遠くでふたつの赤いテールランプが灯った。

「ハリソンが気に病むことないよ。幽霊は、もとから死んでるんだからさ」

 歩きながられのんが言った。彼女なりのなぐさめのようだったが、孝士にはそれがなんの意味もないものに聞こえた。

「でも、それって幽霊の心残りをないがしろにして、あの世へ送るってことだろ?」

「そうだよ。だからかわいそうだって?」

「うん。幽霊だって、ちゃんと話せば、わかってくれるときもあるんだ。元は人間じゃないか」

「ちがうよ。人間てさ、生きてるうちにできることをしとかないといけないんだ。死んでからようやく後悔して、未練がましくあがくなんて、みっともないよ」

 含蓄めいたことを口にするれのんを孝士はじっと見つめた。

「それは生きている人間の理屈だろ。本人が望まないで幽霊になることだって、あるよ」

「ハリソン、この際だから言っとくけど──」

 急にれのんが足を止めた。そして、

「あたし、幽霊なんて、みんなこの世からいなくなればいいと思ってる」

 年頃の少女には似つかわしくない、冷めた言葉。

 孝士は、このときのれのんのことが、ずっと忘れられなかった。

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