41、皮肉な言葉

 元の調子で絵を描けるようになるまで二年かかった。

 しばらくは入院と投薬の日々だった。栄養剤と向精神薬が繋げられた点滴が、まるで生に繋げるための首輪のようだった。

 大きすぎるショックは感情にシャッターをかけるのだとカウンセラーは言った。だからあなたは薄情でも非情でもないんですよ。何か必死な声音。薬の作用で意識はいつもぼんやりとして、眠たかった。一日に十数時間寝ている以外は、ずっと壁を見ていた。

 あの部屋はひとりで住むには広すぎて、家賃も高すぎた。タカトの力を借りながら引っ越しをし、仕事場を兼ねた部屋を借りた。環境だけでも整えておきたかった。幸の病状は日に日に深刻になり、こちらを構う余裕などないはずなのに、タカトは何かと世話を焼いた。

 妻子を思い出させるものは極力捨て、小さな仏壇と写真だけを家に置いた。余裕があれば花も買うようになった。生花があると気分が変わりますからね、とカウンセラーは微笑んだ。最初はろくに名前も知らなかったのに、花屋に通ううちに、名前と種類が一致するようになった。

 次第に生活は立て直され始めたが、絵を描くことだけがどうしてもできなかった。使い物にならない俺のせいでタカトのベストアルバムの話は流れてしまった。別の人を起用して欲しいと言ったが、タカトはそうしなかった。このままではいけないと無理にキャンバスに向かおうとしても、五分とせずに過呼吸になるか、内臓が捻じれたように痛み、トイレに駆け込んで吐くことばかりだった。何もかもうまくいかないやりきれなさに、イーゼルごと手で薙ぎ払ったこともある。盛大な物音の後には痛いほどの静けさだけが残った。

 それでも、無理にでもキャンバスの前に座った。そのうち、ほんのひと筆だけ描けるようになった。休み休み、一日にひと筆。何を描こうとするわけでもなく、ただ絵の具を置くだけで、どっしりと疲れて、脂汗に服が張り付いた。片づけられなかったせいで何本も筆をダメにした。筆をとった日は必ずひどい悪夢を見た。翌日にはろくに動けなかった。医者からは何度も止められたし叱られた。

 絵に向き合うことはつまり、自分の罪と向き合うことだ。傷をむき出しにして抉ることだ。苦しくないわけがなかった。それでも俺は躍起になった。それしか生きる意味も価値もなかった。俺の手のひらにはもうそれしか残っていなかった。何が俺をそうさせるのかすらもうわからなかった。

 吐きながら、うなされながら、ボロボロになりながら、ただキャンバスに絵の具をなすりつけるだけ。色は濁ってひどい有様だった。それでも一枚、びっくりするほど長い時間をかけて、絵にもつかない何かができた。受験生だったころは三時間で埋めていた六号のキャンバスを埋めるのに、半年以上を費やしていた。

 無理がたたったのか、それから大きな不調の波が来て、寝て起きるだけの生活が続いた。夕花の教育資金だった貯金を切り崩していたが、それにも次第に限界がきた。一時期は生活保護にも頼った。母親と同じ場所に行きつくなんて何か悪い冗談みたいだ。動かない四肢を眺めながら呆然とそう思った。二枚目の絵を描くよりも、仕事に復帰する方を優先させろと言われた。絵を描くのをやめると回復は早かった。

 次に張ったのは一〇〇号の大きなキャンバスだった。『言葉』を描いたのと同じ大きさだ。釘一本打つのにも一日がかりで、休み休みの作業が必要だった。布のたわんだところを張り直したりして、真っ白な麻のキャンバスを一ヶ月かけて作った。描きたいものは決まっていた。あとは自分との闘いだった。焼き殺さんばかりの炎天の下、玉のような汗がしたたり落ちる。

 


 春の初め。近所の梅の花が咲き始めた頃。絵ができたという久しぶりの連絡に、タカトは時間を作ってすぐに来てくれた。

 壁にたてかけられた絵を見るなり、彼は息をのんで、それから何も言わなかった。柔らかな風が頬を撫でる。沈黙が不思議と心地よかった。しばらくして、なんでヒサはそう自己破壊的かねえ、とタカとは呆れたように笑った。

「聖母子像?」

「見えるか」

「見えるよ」

 あやふやで抽象的だという自覚はあったが、その一言で緊張が消えた。でかいくせに淡い色ばかりで明暗のはっきりしない絵だ。

 描いては消し、何度も重ね塗りと描きなおしを繰り返したせいで、絵の具の山が分かるほどの凹凸があった。それら全部が俺の苦難の跡だった。描いている間じゅうずっと、先の見えない吹雪の中を歩いている気分だった。投薬を増やすことになり、医者にはまた渋面を作られてしまった。それでも描き終えたあとには、濡れて重たくなった上着を脱ぐような、安堵と開放感と少しの孤独感があった。

 大判のわりに視点ははっきり定まらない。輪郭も最低限しかとっていない。「優しいのにダイナミックでいいね。ヒサの絵だ」とタカト。期待していた以上だと何度も褒めちぎるから照れくさかった。ベストアルバムを作るときはこれを使いたいとまで彼は言った。

「人間は描かないんじゃなかったのかよ」タカトは冗談めかして笑う。

「気が変わった」

 そう、という返事がやけに穏やかだった。



 喪失は順番にやってきた。死も病魔も理不尽に人を喰う。立川幸の告別式には大勢の人間が訪れた。タカトは連日カメラの前に立たされた。まだ九歳だった陽介すら、幾度もマイクを向けられていた。「お母さんが死んじゃって悲しい?」という心無い言葉も、怯えたように父親の影に隠れる様も幾度もテレビで見た。

 告別式にはいかず、俺は少人数での葬儀だけ顔を出した。タカトは疲れにやつれきっていたが、目ばかりがぎらぎらと鋭かった。傍らの少年はずっとタカトから離れようとしなかった。半ズボンから覗く華奢な足が、不安なほど白い。喪失を共に抱えた父子は、何かと対峙しているかのように、固く手を握り合っていた。



 陽介が学校に行けなくなった、と相談が来たのは唐突だった。最初は溌溂として見えたが、急に玄関から外に出れなくなった。ちょっとしたことで癇癪を起こして、泣いたり暴れたりするようになった。夜尿も増えた。精神的な揺らぎがあるのは当然だと思い、全て受け止めているつもりでいたが、「なんでこんな時に歌うの」「おれのことなんてどうでもいいんでしょ」と一度ベランダから身を乗り出そうとした。

 母親の死という途方もない喪失を、彼の小さな体はうまく受け止めきれていなかった。自分のことで精いっぱいで、その異変に上手く気づけなかったことを、タカトは深く悔いていた。まるでお前を見ているようだと。

「ヒサなら何か知ってるかと思って――どうすればいい」

 珍しく憔悴しきった声音。「とりあえず休み取って傍にいてやれ。安心できるように」「うん」いつだって自信家のタカトが、これほど何かを怖がっているのを見るのは初めてだった。

「まずスクールカウンセラーと児童心理士だな。俺が今いるのは中学校だけど、学校の方で色々訊いてみるから」

「うん。……ごめん」

「こんな時くらい頼れよ。こちとら精神の不調とは長い付き合いなんだ」

 いつから俺はこんなに皮肉屋になっただろうか。タカトのいつもの苦笑が聞こえた。それに少しだけ安心した。


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