第4話
「ケネスっ!?」
俺は思わず叫んだ。格子越しに聞こえる息は荒く、明らかに高熱を出していると見えた。
これは……敗血症を起こしているかもしれない。
コロンビアで一度、似たような場面を見たことがある。俺がバックパッカーだった時に身ぐるみ剥がされかかった、武装集団の村でだ。
連中に仮想通貨の「盗掘」を教えて、随分仲良くなった頃だ。特に俺に懐いていた、2つ下のロドリゲスが、敵対組織の奴に撃たれて戻ってきた。
最初は軽傷に見えた。だが、劣悪な衛生状況と不適切な処置は、急速に傷口を化膿させ、奴を死の病……敗血症へと追いやった。
ロドリゲスの姿は、見ていられないほどだった。高熱にうなされ、発狂し、ロープで縛り付けているのに痙攣で暴れ出すのだ。
俺になす術はなかった。一介の大学生に医学的知識なんてあるわけもない。そして、この村の人間にも。抗生物質すら、ここにはなかった。
ただ、敗血症の存在だけは知っていた。それが致死率が極めて高い病であることも。
そしてロドリゲスは急速に弱っていき、「助けて、ママ……」と弱々しいうわ言を吐きながら、奴は逝った。まだ19だった。
……俺の名前も、うわ言の中にあった気がする。それはあまりに痛々しくて、記憶の片隅へと追いやっていた。
奴が死んで、俺は香典代わりにほぼ全財産をその村に置いて去った。人の死の重さに、痛さに、耐えられなかったからだ。
目の前で人が死んでいくのを見たのは、今のところ、あれが最初で最後だ。いや、昨日のロシア人もいたか。
そして3回目を、これから目にすることになるかもしれない。そのことに、俺は怯えた。もうあんなのは、たくさんだ。
「え……ちょっと待ってよ。助け、呼ばないの?」
隣の女も、ケネスの異変に気付いたようだった。俺は小声で伝える。
「……無理だ。ここの連中にとって、俺たちは家畜同然だ。病死しても、多分助けない。
それと、騒ぐな。お前の前にその牢にいた奴は、騒いだ結果殺されたぞ。恐らく、無駄口を叩いても」
「あんたも叫んでたじゃない」
「……ああ」
だから、殺される可能性がわりとある。ただで殺されてやるつもりは、さらさらないが……この環境下で、武器もなしでどこまで抵抗できるのか。
俺は精々簡単な護身術ぐらいしか身に付けてない。筋力も人並みだ。
このまま無抵抗に死んでいくのだけは真っ平ゴメンだが、果たしてどこまでできるだろう。
「……あんた、斜め前の牢の奴と、友達なの」
女が口を開いた。黙った方がいいと伝えたのに、お喋りな奴だ。
死ぬならお前だけ死ねよと思ったが、俺の心は無視しきれるほど強くはなかったらしい。深い、溜め息をついた。
「……いや。昨日会ったばかりだ。俺は昨日、ここに『落ちて』きた。ケネスは、4日目らしい」
「そう。会ったばかりなのに、よく他人に肩入れできるわね……あたしは、もうたくさんよ……ここから、早く逃げたい」
啜り泣く声が聞こえた。
「生殺与奪の権は、俺たちじゃなくあのクソ商人が握っている。いつ解放されるか、それは運だな。だが、俺よりはお前の方が早く出られるだろうよ」
「……何を根拠に」
女が呟いた。フランス人のようだが、にしては流暢な英語を話す。ハーフかなにかか。
「お前の見た目は、チラリとしか見てない。だが、かなりいい線行ってる。性奴隷としてのニーズは、間違いなくあるだろうな。
俺にはんなもんはない。まあ、ただ死んでいくつもりはねえが」
「……性奴隷……また、元の木阿弥じゃない……」
女の泣き声が大きくなった。俺は「静かにしろ」と語気を強める。
「お前の過去なんざどうでもいい。俺は確度の高い推論を言ったまでだ。実際、お前は犯されかけた。違うか?」
「……そうよ」
「そして、襲った男は多分殺された。売り物に傷を付けようとしたからだ。高値で売れると見られてなきゃ、んなことにはならねえ。
……俺がどうなるかは分からねえ。ケネスもだ。だが、あんたはかなりの確率でここから出られる。性奴隷だろうとなんだろうと、あんたは生きて足掻ける可能性が高いんだよ!」
俺は早口で捲し立てた。その時、ケネスが動いたのが見えた。
「……ケネス」
「ジョーの、言う通りだ。……人には、神に与えられた、役割がある……君も、例外じゃ、ない」
「神?……神なんていないわ。あるのは、腐った現実だけよ。やっと、抜け出せると思ったのに」
「だが、現実を変えるのも、君だ。その力があるなら、使うべき、だ」
「……偉そうに。牧師か何か?」
俺は話に割って入った。ケネスの体力を、無駄に使わせてはならない。
「こいつはケネス・ヒューイットだ。知らねえかもしれないが、アメリカ大統領になるかもしれなかった男だ」
「そんなに偉かったの?……ふん」
随分と性悪な女だ。構ってやるのが馬鹿らしくなってきた。
「とにかく、死にたきゃ死ねよ。俺はあんたに、もう構わねえ」
俺は無視を決め込むことにした。馬鹿に付き合う余裕は俺にも、ケネスにもない。
「……あんた、名前は」
「……」
「……黙ってないで、言いなさいよ。あたしはマリィ。マリィ・バルバドス」
「……」
女は沈黙に耐えられない性質らしい。だが、一度決めたことだ。
「……悪かったわよ。あんたの言う通り。気が立ってた、ゴメン。ケネス、あんたにも」
……存外素直な奴だな。というか、20かそこら、下手したら未成年だろうから、あの対応は当然かもな。恐らくは娼婦か何か、教育もそんなに受けていない。
俺はもう一度、溜め息を吐いた。どこまでお人好しなんだ、俺は。
「俺は、福永穣一。ジョーと呼ばれてる」
「……日本人?確かに訛ってたけど、アメリカ人かと思った」
「一言多いな。あんたも、英語が上手いな」
ハッ、と笑う声が聞こえた。
「ママがイギリス出身なのよ。あと、生きるために必要だった……やっと、ダンサーとして舞台に上がれるとこだったのに」
「娼婦で金を稼ぎ、客のツテで這い上がるか。まあ、そんなとこだな」
「……え」
「推察、だよ。ああ、俺はそれを馬鹿にしねえから心配するな。職業柄、推察は得意でね」
ケネスが再び意識を失っている。……まずい。
マリィは気付いていないのか、話を続けた。
「職業?何、超能力者?」
「記者だよ。……ケネスの具合が悪い。しばらく、黙っていていいか」
「……!分かった」
ケネスの喘ぎだけが、地下牢に響く。……ひょっとしたら、今ここにいるのは、俺たちだけじゃないかという錯覚を覚えた。
いや、案外それは正しいかもしれない。俺たち以外に5、6人はいたはずだが、やけに静かすぎる。バーゲン品として出されたか、自然死か。それとも殺されたか。
カツ、カツ、カツ……
その時、階段を誰かが降りる音が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます