第2話


垢が腐ったような、すえた臭いが鼻を突いた。俺の脳内で激しく警戒サイレンが鳴る。


まずい、これはかなりまずい。

命は取られないかもしれない。だが、人生が終わる予感がする。


学生時代、コロンビアでマフィアもどきに捕まった時も、かなり命の危険を感じた。

あの時は、手持ちのキャッシュをくれてやり、仮想通貨の「盗掘」を教えることでなんとか切り抜けられた。当時、デイトレーダーもどきをやってた経験が生きたってわけだ。

だが、こいつらに言葉は通じねえ。つまり、利益をちらつかせたろう絡は、どうやっても当面不可能だ。……どうするか。


「×○◎!!」


騎士が俺を無理矢理引っ張る。鎖が手首に食い込み、酷く痛い。

そして、足蹴にされて俺は床に這いつくばった。目の前にいるのは、奴隷商人のテンプレのような、デブの中年だ。


「%▲◁◇◯★?」


「◯◯★▲……」


何を話しているかはさっぱり分からないが、内容は分かる。恐らくは商談だ。

デブの商人が、俺の顎を持ち上げた。こいつの体臭も酷いものだ。どうにも、文明レベルはかなり低いらしい。

商人が「ふん」と鼻を鳴らした。


「◆◇○▲○」


鎖は騎士から、商人の部下の手に渡った。引きずられるままにされると、地下牢のような所に連れてこられる。

俺はパニックになりそうな頭を何とか落ち着かせ、歩きながら辺りを見た。中には奴隷がいるが、皆無気力そうな目を向けるばかりだ。男が多いみたいだが、一応女もいる。


5人ほど見て、俺はあることに気付いた。


人種がバラバラだ。アジア系、黒人、白人。この世界の人間はアングロサクソンに近いのに、これは妙だ。

何より着ている服装が、上の奴らと違う。いや、これは、まさか……


奥の方で、騒いでいる男の声がした。俺はそこまで語学に精通している訳じゃない。だが、それがロシア語で、こんなことを言っているのは、ハッキリ分かった。



「ここはどこなんだ!!早く出せよ!!」



背筋が凍る思いがした。

間違いない、ここは……異世界の人間専門の、奴隷商だ。



商人の部下が、喚く男の牢の前に向かった。俺もそれに引きずられる。


「日本人か?」


男が驚いたように言った。次の瞬間。


「◆◆◇」


男の喉が、何かで貫かれた。「ア、ガ……」と短く小さな断末魔を残し、男は事切れた。

商人の部下は、つまらなさそうに男に突き付けた指を見た。髭面の騎士が俺に向けて撃ったような魔法を、この男はやったのだ。


俺はその場でへたりこみそうになった。こいつらにとって、俺たちは家畜に等しい。奴隷として買われた先で、マトモな扱いはまず期待できそうもないのを悟った。

言葉が通じず、しかも無力な存在。そんな存在は、ただ従順な奴隷ぐらいにしか使えない。

そして、反抗して暴れる奴は、それすらも値しない。だから殺すのだ。


「○○◇」


部下は息絶えたロシア人の隣の牢を開け、俺をぶちこんだ。鎖は、まだついたままだ。部下は、俺に一瞥もくれずにそのまま去っていった。


「……クソ」


顔を上げると、向かいの牢に人がいるのが分かった。陰鬱そうな顔をしている、頭が禿かかったスーツの男だ。

スーツはかなり薄汚れているが、しっかりした仕立てでブランド物なのが分かった。男はじっと俺を見ている。


「……何だよ」


「無駄口は叩かない方がいい。隣の男のようになるだけだ」


流暢な、東海岸訛りの英語が聞こえた。やはり、こいつも俺と同じ異世界……というより地球から来たようだった。


「大人しくしろ、ということかよ」


男は少し驚いたように目を見開いた。


「パニックにならないのか」


「泣き叫びたいのを必死で耐えてるだけさ。ここにいるの、全員俺らと同じだろ?あんたはニューヨークかボストンかどこかの人間、そしてそこそこのホワイトカラー。違うか?」


「ここに来たばかりでそこまで分かるか」


「特技は人間観察なんでね」


記者として重要な資質は、人と事実の真贋をどう見抜くかにある。会ってすぐにその人間の大まかな性格を把握できないと話にならない。……と、あの小うるさいデスクは言ってたな。

まさかここでデスクに感謝するとは思わなかった。だからといって、事態が好転したわけでもないが。


「君、名前は」


「福永だ。福永穣一。『ジョー』と呼んでくれ」


「OK。私はケネスだ。ケネス・ヒューイット」


……聞いたことがある。どこで聞いた?まあそれはこの際どうでもいい。


「了解だ、ケネス。ここには、いつから?」


「一昨日だ。1日に1度ぐらいの頻度で、『新入り』が来る」


「俺みたいな奴だな。出られる見込みは」


「分からない。買い手がつけば……だろうな」


ケネスが苦笑した。


「奴隷商だろ、ここ。表にいた連中は」


「多分、『入荷』から大分経ってるのに売れなかった、バーゲン品だろう。私もちらっとしか見てないが、健康状態からしてどっちにしろ長くはないな」


「ああなる前に、買い手がつくのを祈るしかない、ということだな」


「そういうことさ」


そこまで話して、俺は気付いた。向かいの牢にいる男の名に、聞き覚えがあるわけだ。



ケネス・ヒューイット。この前の大統領選予備選で、民主党から立候補した若手政治家だ。



そんな奴がどうしてここに?それが分かるのは、ずっと先のことだ。


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