22 ▽果実の味、甘く、乱暴なほど▽




ガタンッ。


客の相手をしたばかりのニキータが、少しふらつきながら待機室に戻って来る。顔色がそれとはっきり分かるくらい悪い。


「…ニキータ、大丈夫?」


ニキータは呻きながら休憩用の粗末な簡易ベッドに横になる。


「何かひどいことされたの?」


「大丈夫だ…いつものことさ」


全然大丈夫じゃなさそうだ。


「…水持ってこようか?」


「ああ…すまない。あと、薬頼む」


「薬?」


ニキータは棚洗面台の近くにある棚を指差す。


「…あの棚、右端に塗り薬があるから」


「分かった」


僕は洗面台まで行ってコップに水を汲むと、指示された棚からそれらしい塗り薬を見つけて、ニキータのところまで持って行く。


「…ありがとな」


ニキータは上体を起こして、水を一口飲む。


「…これ、何の薬?」


「軟膏さ。血が出たからな、塗るんだよ。痛み止めにもなる」


「どこか怪我したの?」


「ケツだよ」


あ。僕は少し戸惑う。ちょっと配慮が足らなかった。そりゃそうだよね…


「…ご、ごめん」


「いいさ」


ニキータは再び横になって、天井をぼんやりと見る。


「…もうラウンジには戻れないかな。オレけっこう客とわいわいやるの楽しかったんだけどな…」


王国軍が来てから、ニキータは飲食接待をするラウンジには一度も出ていない。出させてもらえないのだ。王国軍と館の経営陣の判断で、ニキータは売春接待専用の奴隷にされてしまった。しかも僕の見る限り、彼はほとんど休んでいない。休んでいないというのは、文字通りだ。たぶんまともに寝ていない。


「…アナスタシア、聞いたか? 隣の10番館で、女どもが脱走したんだ。全員すぐに捕まって、1人は見せしめに殺されて、残りは拷問されたらしい。詳しくはオレも知らないけどな」


「そうなんだ…ひどいね」


女の奴隷がいる1番館から10番館でも営業方針が大きく変わって、奴隷たちから不満の声が上がっているらしい。でも死人が出るとまでは思わなかった。やはり王国軍にとっては、レンブルフォートの奴隷なんて、家畜かそれ以下の存在みたいなものなのだろう。


僕たちもこのままだと危ないかもしれない。僕はまだともかく、ニキータが心配だ。いざとなれば、イスカールを護衛にここから脱走するしかない。しかしそれだと王国軍のお尋ね者になってしまう。僕の計画上、それは非常にまずい。一応僕の考えでは、あと少しすれば状況は良くなるはずだ。それにどれくらい時間がかかるかは分からないけれど。ただそれまでは、耐え抜くしかない。


「…アナスタシア、その…少し腕を、さすってもらえないかな?」


「え?…ああ、いいけど、どうして?」


「悪い、変な意味じゃないんだけど、こう…しんどくてさ」


慣れているはずのニキータがつらそうにしている。いったいどんなことを強要されているのだろう…想像しただけで気分が悪くなってくる。それに、僕の心がどこか、チクチクと痛むのを感じる。


「いいよ」


僕は優しくニキータの腕に触れる。すべすべして綺麗だ。


「…なんだか、お前に触られると落ち着くな」


「そう? よかった…僕も役に立てて嬉しいよ」




▽  ▽  ▽




11番館の飲食接待エリアのラウンジは、王国軍が来てから大きく改装された。前のような開放的な感じは無くなり、それぞれの卓が透ける素材の薄いカーテンで仕切られて、個室っぽい雰囲気にされ、そこで奴隷がけっこう何でもありの接待をさせられるようになった。服を脱いだりなんて前はご法度だったんだけど、今では客が要求すれば、こちらは義務で脱がなければならない。ニキータは、品の無い店になったと嘆いていた。なんというか、全体的に卑猥度が増した感じだ。給料はほとんど貰えなくなったのに、ちょっとあんまりだ。


「…アナスタシア、指名だよ」


館長に指示される。僕はあまり指名されないので少し戸惑う。


「僕ですか?」


「王国の亜人の年寄り連中でね、アコギな商売で儲けた成金どもだ」


亜人は人間と他の種族との混血だ。


「亜人…エルフとのハーフですか?」


「エルフじゃないね…見た感じ、ドワーフかホビットあたりの血が入っているだろう。あんたの珍しい体を見てみたいそうだ」


…面倒くさ…


「僕は見せ物じゃありません」


「は? お前今何と言った?」


館長が険しい表情で睨みつけてくる。


「…ぼ、僕は奴隷です…」


「分かればよろしい」


僕はげんなりしながら、指示された卓に接客に行く。


「…いらっしゃいいませ。本日はご指名ありがとうございます…」


カーテンを開けて、ぞっとした。客は、5、6人の亜人の老人たち。見た目が普通の人間と少し違う。あんまり汚いたとえをしたくないが、どれもガマガエルみたいな外見で、男か女かもかろうじて判別がつくくらい。


「おお、あんたが例の、ちょん切ったってやつかね?」


老人の1人がひどくかすれた声で話しかける。聞いているとこっちの喉がいがいがしてくるタイプの声だ。


「どれ、そこに乗りなさい」


老人はテーブルの上を指差す。テーブルの上には、グラスに注がれたワインと、色とりどりの果物が置かれている。紫のぶどう、りんご、オレンジ、パイナップル、半分に割った緑のキウイ…テーブルの真ん中のスペースが空いている。そこに僕を添えて、完成、というわけなのだろう。卑猥だな。


「…テーブルの上、ですか?」


「そうだ」


「で、でもそれは、はしたないというか…」


「金はもう払ったんだ。早くしろ」


僕は仕方なく、グラスと果物にぶつからないように注意しながら、テーブルの上に上る。真ん中の空いたスペースで、膝を抱えて座る。なんか自分が食材になった気分だ。変な感じ。


「よし、脱げ」


「…は?」


今、脱げと言われた。僕はここに来る前に、接待の詳しい内容は聞かされていない。


「…そ、それもすでにお支払い済みですか?」


「つべこべ言わずに言われた通りやれ」


…なんか一方的で腹立つな。


仕方ない。


脱ぐしかない。


僕はドレスの背中のファスナーを下ろす。位置が高いと手が届かなくて、誰かに手伝ってもらわないと脱げないんだけど、これは自分で脱げるタイプのやつだ。僕は狭いスペースでもぞもぞと器用にドレスを脱いで、下着だけになる。


「ほう! 女みたいな体つきだな! いいぞ! さあ、全部脱げ!」


「全部ですか!?」


「何だ? 口答えするのか?」


「す、すみません…」


つい声を荒げてしまった。でもこんな状況で全裸になるなんて…



嫌だ。


ただ、最近は、ここの奴隷はみんなやらされていることだ。僕も所詮逃げられないという、それだけのこと。


男の裸の何がおもしろいのかね。僕は目の前の老人たちを半ば蔑みながら、下着も脱ぐ。


すぐ太ももの内側を合わせる。


「…おい! 見えんじゃないか! 股を開け!」


何て下品な言い方なんだ。


「嫌です」


「話が違うじゃないか。なあ?」


老人が、隣の老人に話しかける。


「こりゃ、後で話をつけてもらわんとならんな」


…そんなことまで勝手に話をして、代金をやり取りしたのか。僕はやるとは言ってないのに。奴隷だからこんなものなのか。


…僕が意地を張ると館に迷惑がかかる。何をされるか分からない。僕だけじゃなく、他の奴隷も。



…ニキータ。


君はこれとは比べものにならないくらい、ひどいことをされているんだろう?


僕は彼の何を見てきたんだろう。彼のことを少し知った気になっていたが、違っていたのかもしれない。彼の人生全体は、今の僕なんかには到底知りえないくらい、実は暗い闇の底に沈んでいるのかもしれない…


僕は少し股を開く。


「…ほう! 本当に無いんだな!」


別の老人も僕の股を覗き込む。


「こりゃ奇妙なもんだね! 女とも違うね!」


ガマガエルみたいな亜人の老人たちがもの珍しそうに僕の股間をまじまじと見つめてくる。


…気持ち悪い。僕は顔を彼らから背ける。


「これ! もっと開かんか! よく見えんじゃないか!」


気持ち悪。


ひどくみじめな気分だ。


僕はさらにもう少しだけ股を開く。


「…さて、それでは食事にしようか!」


老人たちはワインの入ったグラスで乾杯をして、果物を食べ始める。


むしゃむしゃ。


老人特有の咀嚼音がいやに響く。


くちゃくちゃ。むしゃむしゃ。


…なんだか気分が悪い。レイプされているみたいだ。



気持ち悪い。


気持ち悪い。


気持ち悪い…


「…おや? 泣いているのか?」


「え?」


僕は思わず顔を上げて、頬に手を触れる。知らない間に、涙が一筋、頬をつたっていたようだ。まさか泣くなんて…情けない。自分で気づかずに泣いたのは初めてだ。


「仕方ないねえ…初めてなのかね? 別にいじめたいわけじゃないんだぞ? ほれ、1つやる」


老人がぶどうを一粒、僕に寄越す。黒に近い鮮やかな紫の、大粒のぶどう。


「いいんですか?」


「食べな」


「…じゃあお言葉にあまえて。いただきます」


僕はぶどうを口に含む。



甘ったるい味の果汁が、舌の上にじわりと広がる。けっこう高級なものかもしれない。


…甘い。


乱暴で、暴力的なくらい。その甘さは僕の舌と、体と血液と、心と感覚と、あと何か僕の大切なものの中を、おぞましい虫のように這い回っていった。



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