アイリスとリコリス

沖月シエル

第1章/1-36

1 ▼冤罪、絶望、そして処刑。死神は睡魔とともに▼




「レンブルフォート帝国第二皇子おうじ、ルシーダ・フォル・アイリス・レンブルフォート、貴様を反逆罪で告発する!」


知らねーよ。俺はくわえていたアイスキャンディを落としてしまった。


「再三忠告はしてあったはずだが? ルシーダ」


「兄さん」


乗り込んで来た衛兵が俺の両腕をひっ捕まえる。痛えな!


宮廷中庭、アイスと共に過ごす俺の優雅な午後のひとときは、俺の実の兄、ジラード皇帝の策略によって終わりを告げた。


「…は、離せっ…!」


「おとなしくしろ」


屈強な大柄の衛兵が2人がかりで俺を左右両側から抱え込む。そのまま俺はされるがまま引きずられていく。突然のことで何も抵抗できない。軽くパニックで考えることさえままならない。


反逆? どういうことなんだ。俺には全く身に覚えが無い。全然意味が分からない。しかしそれとは対照的に、残念なことだが、これから自分の身に起こることが、もうすでに何もかも分かっている。分かっている自分を呪いたくなる。


「往生際が悪いな」


ジラードが蔑んだ目で俺を見ている。何か動物の死骸でも見るような目だ。


そう。


俺はこれから死ぬ。


ジラードの目に映る俺は、もう死んでいるのも同然なのだ。


もうお終いだ。何もかも。


連行されていく俺を、落としてしまったアイスが悲しそうに見上げている。


悪いな。最後まで食べてやれなくて。




▼  ▼  ▼




「…以上がこの者の罪状であります」


「違う! 俺はそんなことしてない!」


1時間の簡易裁判。という名の茶番。


弁護士? そんなのあるわけない。超一方的。


法廷中央、俺の正面、ヨボヨボのサンタクロースみたいな裁判長が、俺を垂直なんじゃないかっていうすごい角度で見下ろしている。見上げるたび首痛くなってくるわ。


「…第二裁判官殿、意義ありませんかな?」


裁判長が右隣のハゲのジジイに確認する。


「ありません」


「ある! 俺がある! 意義あり意義あり!」


「第三裁判官殿、意義ありませんかな?」


裁判長が左隣の毒リンゴとか作ってそうなババアに確認する。


「全くありません」


「俺の話聞けよ! 俺一言も喋ってないだろ!」


泣けてきたわ。


臨席していたジラードが薄笑いをうかべながら俺を見下ろしている。


「国家転覆罪は死罪だ。分かっているな?」


「ふざけんな!」


俺はジラードに向かって叫ぶ。


「…それでは、我らがレンブルフォート皇鉱石こうこうせきの名の下に、この者の死罪の判決を言い渡す」


裁判長が重々しく宣告する。


帝国の皇帝即位における戴冠式。この儀式の時にだけ使われる、帝国に代々伝わる帝位の証、レンブルフォート皇鉱石。青く光る宝石のような美しい石だ。普段は巨大な金庫のような『帝位の棺』と呼ばれる金属の箱に入れられている。帝位の象徴がなぜ棺と呼ばれているのか俺は知らない。


このレンブルフォート皇鉱石は強大な魔力を持つとされていて、素手で触ると命を吸い取られるとされていた。ただし、真の力を持つ者は、逆に、触れればその中にためこんだ魔力と無数の命を自分の中に取り込むことができ、名実共に真の支配者になれるという噂もあった。


先先代の死去に伴う先代の戴冠式。先代はあろうことか、式典の最中に素手でレンブルフォート皇鉱石に触れてしまったのだ。強欲な人物だったし、真の支配者になれるという話に惑わされたのかもしれない。


先代は石に触れた途端に苦しみだし倒れた。即死だった。


そうしてジラードが若くして新しく帝位に就いた。皇帝が親子立て続けに死んだのだ。経緯が経緯だけにジラードはまだその権力基盤が不安定だ。そしてやつの帝位を脅かすのは、そう、俺一人だ。ジラードは何としても俺を消したいんだろう。


「全部お前の仕組んだことだろ! 俺を消して権力を固めたいんだな!」


ジラードは冷たい目で俺を見下ろしながら淡々と言い放つ。


「処刑は3日後の正午、建国記念公園の広場だ。銃殺だ」




▼  ▼  ▼




衛兵に連行され、地下へと続く暗く長い通路を歩く。じめじめしていて、一定間隔で壁に設置された燭台の蝋燭の明かりがなんとも陰気な感じだ。


俺はレンブルフォート正教の儀式用の部屋に通される。正式な形式のものだが、こう言っちゃなんだがまあまあ悪趣味。うちの宗教は拷問に寛容的なのもあって、主にそういう用途で使われるためだ。薄暗く気味悪い部屋の中央、大きな炉の中で炎が赤々と燃えている。


焼印だ。


俺は上半身の服を脱がされ、両腕を衛兵に押さえ付けられる。レンブルフォート正教の司祭が炉から焼きごてを取り出す。


羽が折れて落下する鳥をかたどった紋章。レンブルフォート正教で最も罪深いとされる、大罪の印だ。これを左肩に焼き付ける。


司祭が丸められた白い布を俺の顔の前に差し出す。


「くわえろ。痛みで舌を噛まぬよう」


そんな痛いのか。いらねーよと強がってみたいが、やっぱり怖いので俺は言われた通り素直に布を噛み締める。


「…汝、地獄の業火のもとで悔い改めよ」



…ジュゥゥッ!


痛みというか、一瞬殴られたような衝撃を左肩に感じる。直後に耐え難い激痛が襲ってくる。布を思いっきり噛み締める。それでも耐えられない。汗が全身からふき出す。


くうぅぅ…!


肉の焦げる嫌な臭いがする。


大罪の印を背負う者は、死後、地獄の最も深い場所で想像を絶する苦しみを永遠に受け続けるという。


苦しむ俺を見て周りが嘲笑するのが聞こえる。くそっ、野蛮なサディストどもめ!


先に地獄で待ってるぜ。




▼  ▼  ▼




地下牢は寒い。粗末な囚人服。重い鉄製の手枷と足枷。渡されたのは薄い布一枚。眠る時もこれしかはおる物がない。


衛兵が地下牢まで食事を持って来る。割れた食器に、何の味もしないスープ。わざとだろう。しかも量が極端に少ない。


「どうだ? 囚われの生活は」


衛兵がおもしろそうに聞いてくる。


「その食事、似合っているぞ。お前にはそれで十分だ」


「…最後に、オフィーリアの墓に連れて行ってくれないか」


オフィーリア。俺の異母姉弟だ。


先代の子供は3人いる。第一皇子ジラード。妹の第一皇女オフィーリア。俺は末っ子だ。全員母親が違う。


次期皇帝はジラードに決定していたし、周りもジラード派ばっかりだったから、オフィーリアと俺はなにかと冷遇されていたところがあった。そのせいか、10歳以上歳が離れていたにもかかわらず、俺たち2人は仲が良かった。オフィーリアは優しい人だった。俺が何かいいがかりをつけられても、彼女はいつも自分をさしおいて俺をかばってくれた。


ある時から、オフィーリアは体調が優れなさそうな日が多くなった。そして突然、俺の前からいなくなった。宮廷のどこにもいなかった。俺は不思議に思って周囲の人間に聞いてまわったが、もうすぐ、半年もすれば帰ってくるとだけ聞かされていて、子供だった俺は素直にそれを信じて待った。約束の半年ほどの時間が経過して後、オフィーリアが死んだという知らせが届いた。数日後、彼女は無言で帰って来た。


棺に納められたオフィーリアの遺体は、冷たい石の彫像のように美しかった。その遺体に、棺から溢れるほどのたくさんの花々を添えて埋葬した。その全てに一番近くで立ちあっていたのに、その時の俺はどこか彼女の死を実感できずにいた。


オフィーリアの墓は、宮廷の近く、海の見える丘の上にある。景色の綺麗な場所で、晴れた日には海峡を挟んだ向こうに、女王の統治する王国の大陸が見える。


「…却下する」


…だろうな。最後に、あの綺麗な海を、オフィーリアと一緒に見たかったんだが…


オフィーリア。俺ももうすぐそっちに行くよ。




▼  ▼  ▼




この3日間ろくに食事もしていない。空腹でめまいがする。こんなに腹が減ったのは生まれて初めてだ。


ブーツの金属音が聞こえてくる。衛兵の近づいてくる足音。部屋の前で立ち止まる。


「…出ろ。時間だ」


処刑直前の待機部屋まで通される。中で待っていたレンブルフォート正教の司祭が話しかける。


「処刑される者は、処刑直前、何でも好きなものを一つ、最後に食べてよいことになっている。何を望む? 言え」


「…睡眠薬を」


このルールは知っていた。ずっと考えていたんだ。まあアイスでもよかったんだけどな。


「睡眠薬?」


「広場で眠り込むほどの量を頼む」


司祭が笑い出す。


「…なるほど! 死ぬのが怖くて眠ってしまいたいと、そういうわけだな! 臆病者め!」


何とでも言え。処刑される身にもなってみろ。とにかく意識とともに死の恐怖が遠のけばそれでいい。


「分かった。用意させよう」




▼  ▼  ▼




広場に向かって歩いていく。


それにしてもけっこうな量の睡眠薬を用意したもんだな。全部飲んで大丈夫なのかと思ったが、どうせ死ぬし、せっかくなので飲んだ。すでに意識が朦朧としている。


鉄の足枷が重く歩きにくい。それだけでなく、体に経験したことのない重力がかかっている。


今から殺されるとはこういうことなのか。


妙に心は澄み切っている。諦めているからだ。でも魂がその心を拒絶している。おそらく、怖いんだ。死ぬのが。


「速く歩け!」


手枷に繋がれた鎖を衛兵が強く引っ張る。足がよろめき、転びそうになる。こいつら俺の扱いが雑なんだよな。


通路の出口を出ると、太陽の強い日差しが目に飛び込んでくる。視界が真っ白に潰れて何も見えない。大勢の国民が広場に集まっていて、俺が姿を現すと一気に叫びだした。音の洪水。聴覚も狂う。


「これより、皇帝の名のもとに、第二皇子、ルシーダ・フォル・アイリス・レンブルフォートの処刑を執り行う!」


大臣が高らかと読み上げる。観衆は一段と盛り上がる。


俺は高台の上に上がる。用意された杭に体を強く縛り付けられる。


イタタ。


ああ俺、本当に死ぬんだな。


今さらながら実感が湧いてきた。


死ぬ。


俺は今死ぬ。


もういいよな。うん。この期に及んで、今さらどうということもない。皇子として生まれてまさかこんなめにあうとは。


眠い。


いろいろな音がごちゃまぜになって聞こえてくる。大臣やジラードが何か盛大に演説しているが、もうよく分からない。凶悪な睡眠薬だ。でもこれでいい。


「…用意!」


演説が佳境に入った。衛兵が銃口を俺に向ける。


いよいよか。


悲しいか?


悲しいといえば悲しい。でももういい、もういいんだ。


ジラードが言い放つ。


「…撃て!」


さよなら。




…ん? 長いな。


「…撃て!」


ジラードが再び命令する。




は、はやくしろ。怖くなってきただろ。


「何をしている! 撃たないか!」



撃たない。



もうだめだ。眠い。寝てしまう。


バン!


銃声。



…あ、死んでない。


今の銃声はなにか遠くで聞こえたような。


だめだ。


俺は眠ってしまった。



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