第5章:明日に向けての戦い

第41話:昼放課の練習には。



 ……グググ。

 昨夜、湯船の中で充分にマッサージした筈なのに、全身が痛む。


「ユカリ、大丈夫? 動きが錆び付いたロボットみたいになっているよ?」


 散々楽しんだ土日が明けて、平日の月曜日の朝。

 隣を歩くミカが、心配そうに私の顔を覗き込みながら言った。

 ……頑張って普通に歩いている心算だけれど、矢張り隠し切れないか。


「……まあ、私じゃ無かったら違和感は覚えないかも知れないけどね」


 そう言ってミカはアハハと笑った。

 ……それなら良いか。


「処でミカ、昨日貸して貰ったパンツなんだけど……」

「うん、アレがどうしたの?」

「かなり動き易かったわ。何て言うパンツ?」


 洗って返すと言ったのに、ミカの部屋で着替えた途端に奪われて洗い物カゴに放り込まれたパンツ。

 ある程度汗をかいた上でも肌にくっ付かず、突っ張る事が無くて、昨日のパス練の立役者の一人とも言える。


「え? 普通にスウェットパンツだけど……。高くは無いけど、ユカリ、買うの?」


 驚くミカ。それは当たり前の事で、私がミカと私服で会う時にパンツだった事は無いし、今も私の部屋のクローゼットに有るパンツは、学校のジャージ位のものだから。


「ううん、ああ云うのも、ちょっと良いかなって思ったのだけれど……」

「だけれど?」

「……また練習する時は、貸して貰って良い?」

「あ、……うん、良いよ! 任せて!」


 私がお願いすると、ミカは嬉しそうに笑った。

 買った方が良いのかなと思った時に、『ミカから借りられなくなる』と少し寂しく感じたのは秘密。

 ……尤も、私の心の動きなんて、ミカにバレてしまわない筈が無いのだけれども。

 私だって、さっきミカが一瞬寂しそうな顔をしたのを見逃していないのだし。


「そう言えばさ、時間にボールとか使うのって、許可とかいるのかな?」


 不意に思い出した様に口許に人差し指を当てながら、ミカが切り出した。


「私も使った事が無くて分からないから、先生に訊きましょうか」


 分からない事は何事でも、さっさと訊いてしまうに限る。


「うん、そうだね。……あ、でも」

「ん?」

「職員室に2人で訊きに行くのって、まずいかな?」

「……うん。教室で訊くなら未だしも、廊下を仲良く歩くのは拙いよね」


 だからと言って、仲良く見えない様に歩くのは、出来る事ならば積極的に御免こうむりたい。


「だよねえ……。……じゃあ、朝のホームルームの時に訊こうか?」

「ううん、それだと、バスケクラブの人が面白くないかも知れないかな」


 ……と云うのは建前で、ミカが手を上げて発言した時の空気を思うと、今から居た堪れない。


「……石橋が壊れちゃいそう……」


 見るからにミカの顔が不貞腐れて行く。

 こんなミカも可愛いと思うのだけれど、今はそんな事を言っている場合でも無い。

 今は、慎重に過ぎると云う事は無いのだから。


「ぼやかないの。……私たちが、一緒に高校生活を楽しむ為でしょ?」

「……。うん!」

「先生が廊下に出た処で訊くか、職員室に行くならミカだけで訊いて来てくれるかな」

「分かった!」


 ミカがそう元気に返事をした時に地下鉄の地上口から階段を下りて改札に着いた私たちは、定期入れを出してIC定期券マナカをタッチした。





「失礼します」


 1限後の放課に職員室を訪れた私は、そう言ってお辞儀をすると、机に向かっている担任の先生の所に歩いて行った。

 朝のホームルームは時間が押してしまった為、訊く機会が無かったからだ。


「あら、ミカさん。どうしたの?」

「はい、球技大会に向けてのユカリさんとのバスケットボールの練習の事なんですけど」

「うん。どうしたの? 何か問題が?」


 うう……。

 この先生が私に別に悪い感情を持っていないとは思っているけれど、冷静に返されると、緊張して来る……。


「昼放課とかもゴールを使って練習したいんですけど、毎回許可とか必要ですか?」

「そう、熱心なのね」


 先生はそれだけ言うと、「えーっと」と考え始めた。

 ……えーっと?


「どうだったかしら。ねえ、先生」


 そう言った先生は、隣の席の体育担当の先生に話を振った。


「ああ、特に許可は要りませんよ。倉庫は1限からクラブ終わり迄は開けて有るから、ボールも最後に片付けてくれれば好きに使ってくれて構いませんし」

「分かりました、ありがとうございます」


 私が頭を下げると、その体育教師はキャスターの付いた椅子ごと移動して来て、

「……ミカさん。ユカリさんも、……その……出るの?」

と私の耳元で感情を押し殺しながら囁いた。


「……はい」


 私も、先生に顔を寄せて同じ様に返す。


「……そう。いい試合になる様に、、ユカリさんを宜しくね」

「はい!」


 私が笑顔で受けると、体育教師は漸く神妙な顔を崩した。

 ……さて困った。今のやり取り、ユカリには何て伝えよう。




 教室に戻ると、通り過ぎて来た他のクラスとは違ってお喋りは聞こえず、ノートを走る鉛筆の音や教科書を捲る音、蛍光ペンのキャップを開けるキュポンって云う音なんかが鮮明に聞こえて来た。

 ……地味に怖いのだけれど、これはいつまで続くんだろう……。

 そう思っているとスカートのポケットに入れていたスマートフォンが震えたので、立ち止まったまま確認する。

 届いていたメッセージはユカリからで、

『ありがとう。許可は必要そう?』

と云う物だった。

 ホノカさんたちと一緒に勉強しているユカリの両手は、机の中。

 ……予め用意してくれていたのかな。可愛い。

 いつまでもここに居ても変な注目をされそうだし、歩きながら打てないしと云う事で自分の席に戻ると、アヤカたちが「おかえりー」と迎えてくれた。

 3人共自分の勉強をしながら、私がメッセージを送るのを待ってくれている。


「えっと、許可は要らないしボールも自由に使って良いって、……っと。送信」


 ブー、ブー。

『じゃあ今日の昼放課から練習する?』


「うん、体育の先生にも『くれぐれもユカリさんをよろしく』って頼まれたしね、……っと」


 ゴン!

「あれ? ユカリさんどうしたんです?」

「ごめんなさい、何でも無いわ。少し、眠気が来ただけで……」


 音のした方を見ると、ユカリが頭を手で押さえながら、周りの皆に言い訳をしていた。

 ……言われた事を誤魔化そうとしても、ユカリには直ぐにバレちゃうんだから仕方が無いじゃない。

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