第28話 エヴァリストの過去と彼の決断

 エヴァリストさんの様子がいつもと違うことに気づいたのだろう。ワロキエが我に返ったような顔で彼を見る。


「ジョアシャン……何を……」


 エヴァリストさんの水色の瞳に、酷く悲しげで真摯な光が湛えられている。


「我々の負けです。もう言い逃れはできません。しかも、あなたは国王陛下を公衆の面前で痛罵なさったのですよ。最後の最後に、あなたはご自分にとどめをお刺さしになったのです」


 エヴァリストさんの言葉で急速に現状を理解できたのか、怒りで赤くなっていたワロキエの顔が蒼白に変わる。他の神殿騎士たちも深刻な顔で互いに囁き交わしている。


 この場にいる神殿騎士たちの中で最も冷静なのは、おそらくエヴァリストさんだ。彼は今回の暗殺未遂事件でどんな役割を果たしたのだろう。わたしの疑問に答えるかのように、イリヤさんがエヴァリストさんに声をかけた。


「エヴァリスト卿、確認しておく。そなたは一連の犯行の手引きをするために、わたしのもとに送り込まれたのだな?」


「おっしゃる通りです」


 頷くエヴァリストさんに、ワロキエが叫ぶ。


「ジョアシャン! 言うな!」


 だが、エヴァリストさんはもう、ワロキエのほうを見ていなかった。彼はイリヤさんにだけ目を向けていた。


「わたしの役目はカリストの下調べをしつつ、潜入した工作員が任務を遂行しやすいように手助けをすることでした」


 イリヤさんが静かな目で尋ねる。


「わたしの暗殺も指示されていたのか?」


「はい。あなたには隙がなかったので実行はしませんでしたが。わたしはまず、あなたの声望を地に落とすために結界を破損させ、魔物が侵入するように仕向けました」


「その結果、討伐に赴いたわたしが命を落とせば、万々歳というわけか。だが、そなたはオデットだけは巻き込みたくなかったようだな」


 確かにエヴァリストさんはわたしが討伐に参加することに反対していたし、このままイリヤさんの傍にいるのはよくない、と言外にほのめかしていた。

 エヴァリストさんは自嘲するような笑みを浮かべた。


「ご苦労をなさった末に、ようやく才能を認められたあのお方を巻き込みたくはなかった。それに、大聖女さまは覚えておいでではございませんでしたが、わたしはあのお方が聖女に就任なさったばかりの頃、お言葉をいただいたことがあるのですよ」


「……オデットはなんと言っていた?」


「──『あなたに火の神にして軍神フォーテガのご加護がありますように』と」


 わたしの頭の中に、ある過去の情景が再生される。白黒ではなく、ちゃんと色がついている。

 十三歳で聖女になり、王都メチスでの公務の際に大神殿を訪れた時のことだ。わたしは今年新しく神殿騎士となった人たちに声をかける仕事を命じられた。その騎士たちの中に、エヴァリストさんがいたのだ。


 今よりも初々しく、わたしが声をかけると感極まったように目を輝かせていた。ろくに魔法も使えず、陰で嘲笑されていたわたしの言葉にそれほど感激してくれたのは彼だけだったと思う。どうして、今まで忘れていたのだろう……。


「……ごめんなさい。あなたのことを思い出せなくて……」


 わたしが謝ると、エヴァリストさんは「構いませんよ」と少し寂しそうにほほえんだ。この時、わたしは初めて本当の彼に出会えたような気がした。


 でも、王室の方々と現聖女、それに大聖女を狙ったこんな大それた計画に、エヴァリストさんはどうして手を貸したのだろう。そもそも、彼はどうして「至高の血」に加担したのだろう。

 イリヤさんが再び口を開いた。


「エヴァリスト卿、そなたの素性は調べさせてもらった」


 エヴァリストさんは、はっとしたようにイリヤさんを見る。だが、イリヤさんが言葉を紡ぐことを遮りはしなかった。


「そなたが十歳の時、隣国のハーズが国境付近にあった、そなたが住んでいた街を襲撃したな。その時、そなたはハーズの雇った獣族の傭兵たちによって家族を失った。そして、表向きは戦災孤児救済を掲げる『至高の血』に援助され、育てられた……そうだな?」


 エヴァリストさんは暗い目をして頷いた。


「……その通りです。故郷は破壊と略奪の限りを尽くされ、わたしは全てを失いました。獣族の傭兵によって家族や隣人は惨たらしく殺されたのです。姉妹を守ろうとしたわたしは奴らに殴られ、気を失ったことで死んだと勘違いされたのか、命拾いをしましたが……」


 酷い……。まだ十歳の少年を気絶するまで殴った上に、無辜むこの民に手をかけるなんて。なぜ、そんなことが許されるのだろう。

 わたしが出会った獣族の人たちはイリヤさんをはじめとして、いい人ばかりだったから、考えたこともなかった。イリヤさんの率いていたパドキアラ団が略奪をご法度としていたから、ということもある。


 ヒョードルさんは言っていた。傭兵になる奴なんて、みんな訳ありですがね、と。多分、人族ひとぞくだからとか獣族だからということに、大した差異はないのだろう。人は条件が揃えば、いくらでも他者に対し、残虐になれるのだ。


「『至高の血』に拾われたわたしは、奴らに復讐するために剣を取り、魔法を磨き、当然のように神殿騎士となりました。神殿騎士団には、わたしと同じような境遇の者も多く、自分は正しいのだ、獣族は駆逐すべき対象なのだ、とわたしは信じて疑いませんでした。あなた方にお会いするまでは……」


 エヴァリストさんはわたしとイリヤさんを交互に見た。


「イリヤ殿下、あなたは恋愛によって人族と獣族との間にお生まれになった、わたしにとって有り得べからざる存在でした。その上、大聖女さまとあなたは固い絆で結ばれておいでです。わたしは次第に、間違っているのは自分のほうではないか、と思うようになりました。それなのに、どうすればよいのか分からないまま、今日を迎えてしまったのです。しかし、この場の状況をつぶさに見て、ようやく心が決まりました」


 エヴァリストさんは迷いのない水色の瞳を再びワロキエに向けた。

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